イタリア軍 単語

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イタリア軍とは、イタリアの軍隊である。
日本ドイツと違い、第二次世界大戦後に軍が解体されなかったため、イタリア統一成立当初からの組織をそのまま引き継いだ形となっている。

概要

イタリア軍は、陸軍海軍空軍に加え、国家憲兵隊(カラビニエリ)を加えた4軍によって構成されている。
イタリア軍事費は、世界第7位であり、世界的に見ても軍事費の高い国家のひとつである。

イタリア軍の組織

イタリア陸軍

正式な発足は1861年。その10年後までにプロイセンが行ったドイツ統一戦争を利用する形でベネチアローマを併合した後、アフリカへ進出、エチオピアには失敗したエリトリアオスマン・トルコからリビアを奪い取った。
その後、第一次世界大戦ではドイツオーストリアとの三同盟を破って連合側につく事で苦戦しつつもトリエステ、チロルを獲得したが戦後経済的困窮のは大きく装備の更新や兵員の充足はままならなかった。

そうした中、台頭したムッソリーニ率いるファシズム政権の政策によってアフリカ一の独立エチオピアの再征を行う。新鋭武器えて挑んだイタリア軍であったが、(フランス支援していたとはいえ)旧式武器力のエチオピア軍に苦戦。ガス兵器まで投入してようやく勝利を収めた。続いてスペイン内戦に介入。ドイツと歩調を合わせ、フランコ総帥率いる支援した。さらにアルバニアへの侵攻を行い、アルバニア軍がイタリア軍以上に弱かった事もあって勝利。傀儡に仕立て上げた。しかし征後の結果は芳しくなかった。第二次世界大戦ではロシア戦線とエリトリア戦線では現地軍が奮戦したが北アフリカ戦線ではイギリス軍に大敗。エジプトを攻めるどころか、イタリアリビアにまで攻め込まれ大半を奪われる情けない事態に発展している。イギリスもイタリア軍が弱い事を知り、ドイツ軍との対決を避けてイタリア軍ばかり集中攻撃するようになったとか。対ギリシャ戦でも上陸したは良いものの、反撃を受けてアドリア海へ落とされそうになる。イタリア軍の脆弱っぷりに頭を抱えたドイツ軍は渋々助け舟を出し、シチリ部隊を進出。ドイツ軍の助勢で戦果と活躍は上塗りされ、イタリア軍は後述のネタ扱いにされる羽になる。また後述の戦果も敗戦でに帰した。

戦後アメリカドイツからの輸入兵器戦後で得た工業力で兵器を装備する傍ら1980年代からは国連平和維持活動や北大西洋条約機構組みで海外兵を行っている。

また、伝統的な歩兵隊としてアルピーニ(山岳兵)』ベルサリエリ(快速歩兵)』が知られる。

イタリア海軍

陸軍と同時期に発足したが前述のドイツ統一戦争の際に生起したリッサ戦での敗北以前は体である旧サルデーニャ王海軍と旧ナポリ海軍の対立がしく、士官学校が2つに分かれている有様だった。
リッサ戦の敗北後は改革とイギリスからの技術輸入で再編強化が進んだ結果、オスマン・トルコとの戦争で大いに活躍した。

第一次世界大戦ではオーストリアハンガリーとの大規模戦は生起しなかったが、オトラント峡の封鎖線は潜水艦は限定的ながら水上艦に対して有効に機し、一時封鎖線が破壊された際の地中海での連合側の通商破壊被害は甚大なものとなって程なく封鎖線は再建され、再破壊を狙って出撃したオーストリア戦艦イタリア魚雷艇によって撃沈され、その模様は動画で撮されている。
更に大戦終盤にはオーストリアがスラブ系の独立勢力に譲渡した戦艦水中工作員が艦底に時限爆弾を仕掛けて沈没させる戦果を挙げ、後に組織化されることになる。

第一次世界大戦後は陸軍同様、経済困窮に苦しみ在来の改修で糊口をしのぐ一方、オーストリア戦艦の撃沈成功とコストパフォーマンスの観点から駆逐艦魚雷艇潜水艦といった小艦艇を力に据えた戦略を視野に入れた。スペイン内戦ではイタリア潜水艦が共和の輸送を撃沈していたが、ブチ切れたフランス(共和支持)が「籍不明(実質イタリアの名し)の潜水艦は沈める」と発表し、慌てて取りやめている。ファシスト政権の台頭の結果、艦用の燃料不足と征戦争に由来する整備不足に苦しんだまま、第二次世界大戦に突入した。

前述の燃料不足のため重巡洋艦以上の水上艦の運用を制限されたイタリア海軍戦艦部隊イタリア半島南端のタラントに結集させ地中海ににらみを利かせる作戦に出たがイタリアの消極的な姿勢を見抜いたイギリス艦載機を用いた夜襲戦艦部隊に打撃を与え水上艦隊の動きをさらに消極化させた。
一方で前述の小艦艇やスペイン内戦から運用を開始していた水中工作部隊は奮戦し少なからず戦果を挙げた。
結局、1943年連合軍のイタリア本土上陸に際して海軍は艦隊決戦を期して僅かな燃料を集めたが出撃直前にファシスト政権が崩壊したため出撃は投降に切り替えられたがドイツ軍の報復と新兵器フリッツX』誘導爆弾実験を兼ねた攻撃で最後に手痛い打撃を受けることとなった。

戦後ヘリコプター搭載巡洋艦+全通甲式ドック揚陸艦からの軽空母⇒強襲揚陸艦保有により戦時中に成しえなかった空母機動部隊の整備に成功する一方、CIWSとして40㎜、76㎜を運用するというしい形態をとっている。
また、2000年代からはフランス合同で防ミサイル駆逐艦フリゲート補給艦開発・調達を行うと共に艦数の削減と再編成を実施している。

また、17世紀に発足した海兵隊『サン・マルコ』旅団も編成されている。

イタリア空軍

発足は1923年だが前身の陸軍航空隊の発足は1884年とく、オスマン・トルコ戦では第一次世界大戦開戦の2年前に飛行船を用いて爆を行っている。第一次世界大戦本番では当初こそ輸入機に頼ったが産機の運用も開始され終盤にはオーストリア首都ウィーン航空隊が侵入して降勧告文を撒いて追撃を振り切った戦果も挙げた。これらの経験を鑑みた航空隊経験者ジュリオ・ドゥーエ少将戦略爆撃による早急戦争終結した『制を著している。

戦後経済困窮の空軍にも降りかかったが戦前に行われていた航空機レース、長距離飛行は威発揚として絶大な効果があったことからファシスト政権は要幹部のイタロバルボを最高指揮官に据えて空軍を優遇しバルボもそれに応えて自ら大西洋横断飛行を2度も行って成功した。
そして第二次世界大戦に当たって政権は『中艦隊』構想を立案して戦争に突入したが乗員の練度と工業力不足と燃料不足により不充分なものだったがそれでも較的充実していた爆撃機を中心に連合側に打撃を与えている。
また、特異な例として1942年6月から7月にかけて同盟である日本への往復飛行を成功させている
しかし飛行の途上日本とまだ交戦していないソビエト連邦の領を侵犯していたことから日本はこの飛行を極秘扱とするようイタリア側に要請したが帰還後にイタリア表したことで日本側の不を買いこの飛行は2度と行われなかった。

戦後戦闘機を中心にアメリカからの輸入を行う一方で共同開発の形で攻撃機練習機、輸送機の配備を行っている。
また、アクロバットチーム『フレッチェ・トリコローリ』も著名である。

イタリア国家憲兵隊

『カラビニエリ』の名で知られる憲兵部隊時は内務省の管轄で暴動鎮圧や大統領の儀兵、美術品の警護、組織犯罪対処(テロ通貨偽造)、在外館警備も対応。
有事の際は憲兵業務だけでなく地上戦を中心に正面戦闘にも従事する。

イタリア軍の装備

イタリアNATOにも参加する西側諸国の一員であり、装備もそれに準じている。
しかし、戦車であるアリエテ装甲車であるチェンタウロプーマ、また歩兵用のアサルトライフルであるベレッタ社のAR70/90など、特に陸軍においては独自の兵器開発も行っている。性についてはいずれも先進国標準のレベル

また、火については伝統的に質が高く、世界各地の陸軍で榴弾等が採用されている他、OTOメラーラ製の76mm、127mm艦載砲は、自衛隊護衛艦にも採用されている。

近代のイタリア軍

とはいえ、上で述べた現代イタリア軍については、よほどの軍事オタク同士の会話でもない限り、口に上ることは少ないと言ってよい。
特に昨今のインターネットにおいては、イタリア軍が語られるのはほぼ第二次世界大戦終戦以前の話である。

イタリア軍最弱伝説?

イタリア立か第二次世界大戦までにかけて、イタリア軍について様々な伝説ネット上で語られているが、あれらはほぼ全てネタである。ネタでない部分についても、意図的に事実をぼかしたり、誤解をするような書き方がなされているため、偽の判定をする知識がないのであれば、とりあえず全てであると考えておいたほうがよい。

以下に、有名な話のいくつかについて解説を行う。

  1. 砂漠ん中でパスタを茹でたせいでがなくなって降した
    もちろん前線兵士は飲みにすら困る有様であり、食べ物ビスケット缶詰だけであり、飢えや渇きで多くの死者を出している。
    ちなみに、戦線の後方にあり物資も豊富にあった部ではパスタを食べていた。ただしここで言う「パスタ」は、大量のお湯ではなくスープと一緒に煮る煮込みパスタなので決して無駄遣いしているわけではない。
    そもそも補給が潤沢に受けられる後方部隊前線部隊より良い環境にあるのはや時代に関わらず当然なことで、(にも本土から料亭や芸者を呼び寄せ後方司令部で毎晩宴会を催していた司令官がいる)イタリアばかり糾弾するのはどう考えても不であろう。
  2. マスケット銃で武装したエチオピア軍に大敗し、戦車ガスを使用してやっと勝った
    この伝説にはいくつかのが重ねてある。まず、イタリアが第一次エチオピア戦争のアドワの戦いにおいて決定的敗北を喫し、併合を断念して撤退したというのは真実である。だが当時のエチオピアは、アフリカ植民地化を免れていた地域であり、またエチオピア皇帝は、イタリア植民地を得ることを快く思わないフランスと取引をし、なんとイタリア軍の装備よりもさらに最新式の機関銃ライフルで武装していた。先述のアドワの戦いにおいても、イタリア軍約1万5千に対し、エチオピア軍は約8倍の12万名を動員。しかもその内78万名が近代兵器で武装していたといわれており、戦力差ではエチオピア軍が圧倒的に有利であった。
    ガスを使用したのは第二次エチオピア戦争ではあるが、この戦争においてガスは進軍速度めるために使ったにすぎず、奇襲やゲリラ戦でいくらかの被害は出したものの、要な戦いのほぼすべてで勝をおさめている。
    なお余談ではあるが、結局ガスはあまり有効ではなく、進軍速度にはほとんどがなかったらしい。
  3. 勝手に北アフリカ戦争を始めてドイツに迷惑をかけた
    ヒトラーが、バトルオブブリテンに合わせての北アフリカ英軍攻撃を要したのが理由であり、イタリアドイツの要請に応えただけである。
  4. 武装した漁と戦うも、返り討ちにあって降した
    したというのは潜水艦ガリレオ・ガリレイ」の話であり、この一文は概ね事実であるが、降に至るまでの経緯はそう単純なものではない。戦闘の数日前、「ガリレオ・ガリレイ」は英軍艦艇の爆雷攻撃を受けて損傷しており、そので発生した塩素ガスのせいで乗員達は体調不良に悩まされ、しかもガスを換気する必要性から長時間の潜行が不可能な状態であった。当日、英航空機に発見された「ガリレオ・ガリレイ」は武装漁もとい、武装トロールムーンストーン」の爆雷攻撃を受ける。ガスのせいで潜行不能になった「ガリレオ・ガリレイ」は浮上し決死の戦を挑むが、体調不良のせいで乗員達はまともに戦えず、逆に「ムーンストーン」の弾がに直撃して艦長以下部要員が全滅揮系統を喪失。最後はガスの乗員が甲に這い上がり、シーツを振り回して降したという。
    武装漁という言葉から誤解されがちな「ムーンストーン」だが、実際には排水量約600tのトロール艦砲や機爆雷を搭載した事実上のコルベット(特設艦)であり、港町で見かけるような漁とは全く異なるものである。

など、有名なところだけ見てもいかにが多いかわかって頂けるだろう。
これを読んで巷のイタリア軍伝説について疑問を持った方は、是非他の伝説についてもその偽を確認していただきたい。

イタリア軍最強伝説!

第二次世界大戦において、イタリア軍は連合軍を相手に大活躍をしている。
ここでもいくつか具体例をあげさせていただきたい。

  1. アオスタ侯アメデオ2世快速師団 サヴォイア騎兵連隊(東部戦線
    ドン流域に地をしいていたイタリアドイツ連合軍だが、ヒトラースターリングラード攻略作戦のためにドイツ軍は引き抜かれて、イタリア軍やルーマニア軍など、ドイツ軍べると装備の劣った同盟軍だけが残された。
    当然、ソ連がこのような隙を逃すはずもなく、積極的に攻撃を仕掛け、を挟んでの攻防戦となった。騎兵部隊であるサヴォイア騎兵連隊は、機動性を生かすために回り込んで側面を突こうとしたが、同様に浸透攻撃を図ろうとしていたソ連狙撃兵大隊2部隊と遭遇、重迫撃砲支援を受けたソ連軍と交戦となった。サヴォイアの官はひとつの決定を下した。
    各員、抜して突撃せよ!
    その命に応えて騎兵隊は抜、なんとサーベル突撃で、サブマシンガンライフルで武装した歩兵を蹴散らしたのである。さらに反転して再度突撃、兵士にも軍にも被害を出しながらも、ソ連軍を撃退することに成功した。これは欧州戦線における、最後の成功した騎兵突撃である。
    なお余談であるが、装甲車を装備した機甲部隊としてサヴォイア騎兵連隊は今も残存しており、チェンタウロの1台ごとに、この突撃の際に戦死した名前をつけている。イタリア兵は心も優しい。
  2. モンテ・チェルヴィーノ山岳スキー大隊(東部戦線
    イタリア軍の北側のは山である。当然、陸軍は山で戦う部隊を専門に育成している。モンテ・チェルヴィーノは、その中でもギリシャ攻撃に参加したものを選抜して作られたエリート部隊だった。
    迷彩を身にまとい、スキーで山岳を縦横尽に駆け巡り、ソ連戦車を足止めし、歩兵を射殺する彼らは、劣勢であったスターリングラード失陥後の戦闘においても奮戦し、ソ連からは『白い悪魔』(イタリア語ではディアヴォロ・ビアンコ)と恐れられたという。
  3. イタリア陸軍情報局(北アフリカ戦線)
    時に1941年北アフリカ戦線ではドイツアフリカ軍団が圧倒的優勢を誇るイギリス軍に対して善戦していた。エジプト首都カイロに駐在していたアメリカ陸軍武官のフェラーズ大佐は、北アフリカ戦線の戦況を本ワシントンへ逐一報告し、防諜のためブラック暗号と呼ばれる最新の暗号表を使用。9月、この暗号表を奪取するためイタリア陸軍情報局の局長チェザレ・アメ将軍スパイローマアメリカ大使館にび込ませた。スパイローリス・ゲラルディは大金庫から暗号表を盗み出し、表を写真で撮して情報局に送った後は何事もかったかのように金庫内へ戻されたため、アメリカ側は全く気付けなかったという。以降ブラック暗号で送られた通信は全てイタリア軍に解読され、イギリス軍の配置が筒抜けとなった。ちなみにブラック暗号ドイツ軍にも解読されている。
  4. イタリア海軍潜水艦(地中海大西洋間)
    さんご存じの通りイタリア地中海に位置している。したがって戦場大西洋へ出て行くには西側の出口であるジブラルタル海峡を突破する必要があった。しかし、そのジブラルタル海峡イギリス軍の牙哨戒機駆潜艇らせていた上、また大西洋側から地中海に流れ込む強い潮流もあり、地中海側から大西洋に出るのは困難だった。実際ドイツUボート地中海に来ているが1隻たりとも大西洋へは戻れなかった。そんな中、一の例外があった。イタリア潜水艦である。彼らはしれっとジブラルタルを突破して大西洋に進出、Uボートと共同戦線を行い、帰投命が出たら再びジブラルタルを抜けて地中海へと戻っていたのだ。しかも潜水艦は大かつ旧式であり、性Uボートに劣っている。一体どんなトリックを使ってイギリスを欺いたのだろうか…。

もちろんこの他にも、北アフリカ戦線で活躍したアリエテ戦車師団やフォルゴーレ挺師団、地中海イギリス軍を苦しめた第10MAS部隊など、大活躍した部隊はたくさんある。

なぜ勝てないのか

一言でいえば、装備と物資の不足である。
第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、イタリアは度重なる戦争で軍も経済もぼろぼろであった。開戦初期でべれば、日本よりもさらに物資の備蓄や工場の生産力は低かったのである。
さらに、輸送においても機械化が不十分で、北アフリカ戦線では港に物資が十分あるにも係わらず、前線に届けることができなかった。

なにを隠そう、イタリアも、根本的な敗戦原因は日本と同じだったのである。

記事がある保有装備の一覧(退役含む)

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