エンタープライズ(CV-6) 単語


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エンタープライズシーブイシックス

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「...そして1隻の応急修理された航空母艦があった。

南太平洋戦線  海軍少将 トーマス・C・キンケイド

エンタープライズ(USS Enterprise CV-6)はアメリカ海軍が保有した航空母艦である。ヨークタウン級航空母艦の2番艦。ビッグEの愛称で親しまれた。艦名のEnterpriseは"困難な場所へ入り手に入れる"という意味から英語で「冒険心」を意味し、この名を受け継いだ艦としては7代目にあたる。

太平洋戦争においてはアメリカ海軍の中核戦力として非常に重要な働きを見せ、開戦から終戦まで多くの主要な戦場に出撃、宿敵である日本海軍とは幾度と無く激戦を繰り広げた。

手傷を負う事も少なくなかったが、3隻建造されたヨークタウン級の中で終戦まで唯一生き残った艦であり、より大型で高性能なエセックス級航空母艦が登場した後も奮戦を続け、日本海軍の保有する多くの主要艦艇の撃沈、撃破に貢献し、アメリカ海軍史上最高峰の武勲を挙げた名艦として、その名を刻んでいる。

艦歴

1936年10月3日、ニューポート・ニューズ海軍造船所で進水。ちなみに、後にその名を受け継いだ原子力空母も同じ造船所の生まれである。

真珠湾攻撃時はウェーク島への航空機運搬任務の帰路の途上にあったため、日本軍の攻撃を免れる。日本軍を捜索するものの、発見には至らなかった。その後は近隣の哨戒活動を実施し、1941年12月10日には、艦載機が日本軍の伊70潜水艦を撃沈している。

1942年2月11日、ギルバート、マーシャル両諸島の日本軍基地への奇襲攻撃に参加。

4月にドーリットル空襲を行う為にB-25爆撃機を搭載した姉妹艦「ホーネット」の護衛に就く。日本本土への初の空襲作戦は成功し、日本国民は衝撃を受ける事となる。

6月5日、ミッドウェー海戦では、日本軍の空母赤城加賀に爆撃を行い、撃破する戦果を挙げる。最終的には赤城他日本軍の主力空母4隻全てを撃沈する事に成功し、アメリカ軍は完全な勝利を収めた。一方で、姉妹艦である「ヨークタウン」が日本軍の反撃により沈没してしまうなど、少なくない犠牲もあった。ちなみにこの海戦後の6月11日の新聞で(嘘という意味合いの)大本営発表を行い、大本営発表通りだとこの時にエンタープライズは沈んだことになる。

8月の第二次ソロモン海戦で、空母翔鶴、瑞鶴の攻撃により中破し、10月までハワイにて修理を受ける。

10月26日、南太平洋海戦では、ついにもう一つの姉妹艦「ホーネット」が日本軍の集中攻撃によって撃沈され、エンタープライズはヨークタウン級空母最後の1隻となってしまう。この戦闘では沈没した「ホーネット」の搭載機を収容しつつ奮戦するものの、翔鶴他日本空母の攻撃により中破、撤退を余儀なくされる。8月31日にソロモン諸島海域で哨戒していたサラトガは潜水艦の雷撃に推進系統の被害で戦線から離脱し、9月15日にはワスプが潜水艦の雷撃に沈没した状況だった。ソロモン諸島周辺で稼動可能な空母が一時的にゼロになるなど、危機的な状況に陥る事になってしまった。この日は「史上最悪の海軍記念日」と言われている。しかし、一方で航空機搭乗員を始めとした人的な被害は少なく、逆に日本軍は度重なるアメリカ側への無理な追撃で、相当数の航空機とその搭乗員が失われ、以降の戦闘に少なからぬ影響を及ぼす事となる。

南太平洋海戦での戦闘で中破したエンタープライズであったが、ガダルカナル島周辺の防衛の為、10月30日で応急修理を始め、11月11日には修理要員を乗艦させたまま出撃、道すがら修理を行いつつ、そのまま第三次ソロモン海戦に参加、重巡衣笠を撃沈し、前日の戦闘で損傷していた戦艦比叡の離脱を妨害した。その後、離脱に失敗した比叡は沈没した。11月16日、海戦終結後エンタープライズはヌーメアに寄港して修理を行い、12月4日に修理を終えて活動を再開した。

翌1943年1月のレンネル島沖海戦では日本軍の攻撃に晒される味方艦隊の直掩に就いて奮戦した。1943年夏から秋に掛けて、度重なる戦闘で受けた損傷の修復と大規模な改修が実施され、ヨークタウン級の弱点であった水雷防御の強化も行われた。その後、エンタープライズは11月には戦線復帰を果たした。

1944年からは、クェゼリン島への攻撃を始め、ギルバート・マーシャル諸島の戦い、トラック島への空襲などに参加し、ギルバート諸島沖で日本軍の陸上攻撃機部隊に夜襲を仕掛けられた際は、逆に夜間戦闘機部隊で反撃し、返り討ちにしている。また、トラック島空襲では、駆逐艦舞風太刀風追風文月のほか、練習艦香取の撃破などに貢献した。

10月の台湾沖航空戦でも日本軍の航空部隊を返り討ちにし、続くレイテ沖海戦ではシブヤン海での戦闘で大和型戦艦武蔵を撃沈、エンガノ岬沖の戦闘で瑞鶴を始めとする空母部隊に損害を与えた。幸運艦として知られる瑞鶴であったが、この戦闘でついに命運尽き果てて沈没した。

1945年からは、硫黄島の戦いに参加して防空任務に集中、4月には沖縄へ向かう戦艦大和を始めとした水上特攻部隊への攻撃に参加しなかった。

そして最後の戦闘へ~

1945年5月14日、沖縄攻略戦支援の為に防空を担当していたエンタープライズは、対空砲火を巧みに掻い潜って接近して来た日本軍機の特攻を受け、東部ソロモン海戦(第二次ソロモン海戦)と同質の深刻な損害を被る。

特攻機の搭乗員の遺体はエンタープライズの艦内で発見され、その健闘を讃えて丁重に埋葬された。またバラバラになった機体の破片は、戦後遺族の元に返還されたのであった。この戦闘がエンタープライズにとっての最後の戦闘になり、修理のためにアメリカ本国に帰還 終戦時はピュージェット・サウンド海軍工廠の第6番埠頭に停泊していた。

戦後は復員任務に従事し、1万人を超えるアメリカ兵士を母国に送り届けた。

1947年、エンタープライズは除籍され、1960年には完全に解体された。武勲著しい名艦ゆえに保存運動なども起こったが、結局実現しなかったのは誠に残念なことである。

しかし、その名とビッグEの愛称は世界初の原子力空母に受け継がれ、軍艦としての生涯を通して立てた輝かしい戦歴は、現在もなお燦然と輝いている。

性能諸元(最終時)

基準排水量 21000t
満載排水量 32060t
全長 252m
全幅 35m
吃水 8.5m
機関 120000馬力 4軸推進
速力 最大32.5ノット
航続距離 15ノットで12500浬
兵装

5インチ単装砲×8基

ボフォース40mm機関砲(連装5基、4連装11基)

エリコン20mm連装機関砲×16基

搭載機

予備機含む最大96機

(艦上戦闘機)F4F、F6F、F4U

(艦上爆撃機)SBD、SB2C

(艦上攻撃機)TBD、TBF  など

エレベーター 3基
カタパルト 2基

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関連項目

  • アメリカ合衆国
  • 軍用艦艇の一覧
  • 航空母艦
  • USSエンタープライズ(CVN-65)

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