キヨヒダカとは、JRA(日本中央競馬会)所属の元競走馬である。
父・ホープフリーオン
母・シカドール
母父・Sica Boy
美浦の森安厩舎に所属し、1980年にデビュー戦を迎え2着となると次の中京競馬場での未勝利戦で初勝利をあげる。4歳になるとクラシック出走を目指して1勝馬でありながら京成杯、スプリングSに挑戦し、共に3着で出走権を確保する。しかし、本番の皐月賞では見せ場は作るも13着。その後、東京優駿の出走をかけてオープン特別に出走するも6着に敗れ、出走権を得ることは出来なかった。その後はダートの条件戦で圧勝すると、芝の条件特別でも安定した成績を残す。
5歳時は中京で芝の条件特別に勝利したあと、中山競馬場のダート1800mのオープン特別を1:49.0のレコードタイムで快勝。その後、札幌競馬場での3戦はいいところがなかったが、函館競馬場の巴賞で勝利する。その後もしばらくは惨敗続きだったが、休養を挟んでのダービー卿CTで2着に入った。
そして6歳になって、中山競馬場でのダート1800mのオープン特別を自身のレコードタイムを上回る1:48.5のタイムで勝利。続くダートのオープン特別では敗れるが、その後はスプリンターズSを2着、京王杯スプリングハンデキャップを3着。そして新潟大賞典では初騎乗の増沢末夫を背に、重賞初勝利を飾った。その後に出走した安田記念では、桜花賞優勝馬のブロケードを鼻差抑えて優勝する。しかしGⅠに格付けされたのは翌年で、この年は格付けのないハンデキャップ重賞であった。更に1戦挟んで京王杯オータムハンデキャップも勝利、毎日王冠はでは7着。福島民報杯でも3着と敗れたが、この年は重賞3勝をあげた。
7歳時には晴れてGⅠとなった安田記念に出走し5着に粘るも、その後はいい結果を出すことが出来ずに、8歳で引退した。
種牡馬となるも、産駒は2年間で6頭と少なかった。しかし、その中から重賞3勝をあげるヒダカハヤトを輩出した。また妹のキヨヒホウから生まれたレオリュウホウは、4歳時のセントライト記念で勝利し馬連万馬券を演出。6歳時の日経賞では単勝万馬券を演出し、ステイゴールド、メイショウドトウ、グラスワンダーといった面々に勝利している。
この馬が中山競馬場のダート1800mでのレコードを叩き出したのは1983年。30年たってもいまだに破られない不滅のレコードとなっている。そのため、競馬新聞等の出馬表にもよく名前が掲載されるため、この時代の馬としては知名度はかなり高い。
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最終更新:2025/12/12(金) 18:00
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