キヨヒダカ 単語

キヨヒダカ

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キヨヒダカとは、1978年生まれの日本競走馬である。JRA(日本中央競馬会)所属。

な勝ち
1982年:ガーネットステークス
1983年:新潟大賞典安田記念京王杯オータムハンデキャップ

概要

・*ホープフリーオン
シカドール
Sica Boy

安厩舎に所属し、1980年デビュー戦を迎え2着となると次の中京競馬場での未勝利戦で初勝利をあげる。4歳になるとクラシック出走をして1勝でありながら京成杯スプリングSに挑戦し、共に3着で出走権を確保する。しかし、本番の皐月賞では見せ場は作るも13着。その後、東京優駿の出走をかけてオープン特別に出走するも6着に敗れ、出走権を得ることは出来なかった。その後はダート条件戦で圧勝すると、芝の条件特別でも安定した成績を残す。

5歳時は中で芝の条件特別に勝利したあと、中山競馬場ダート1800mのオープン戦を1:49.0のレコードタイムで快勝。その後、札幌競馬場での3戦はいいところがなかったが、函館競馬場賞で勝利する。その後もしばらくは惨敗続きだったが、休養を挟んでのダービー卿CTで2着に入った。

そして6歳になって、中山競馬場でのダート1800mのオープン戦を自身のレコードタイムを上回る1:48.5のタイム勝利。続くダートオープン特別では敗れるが、その後はスプリンターズSを2着、京王杯スプリングハンデキャップを3着。そして新潟大賞典では初騎乗の増沢末夫を背に、重賞勝利を飾った。その後に出走した安田記念では、桜花賞優勝のブロケードを差抑えて優勝する。しかしGIに格付けされたのは翌年で、この年は格付けのないハンデキャップ重賞であった。更に1戦挟んで京王杯オータムハンデキャップ勝利毎日王冠では7着。福島民報杯でも3着と敗れたが、この年は重賞3勝をあげた。

7歳時には晴れGIとなった安田記念に出走し5着にるも、その後はいい結果を出すことが出来ずに、8歳で引退した。

種牡馬となるも、種付け頭数は多い時で9頭と少なかった。しかし、その中から重賞3勝をあげるヒダカハヤトを輩出した。またキヨヒホウから生まれたレオリュウホウは、4歳時のセントライト記念勝利馬連万馬券を演出。6歳時の日経賞では単勝万馬券を演出し、ステイゴールドメイショウドトウグラスワンダーといった面々に勝利している。

この中山競馬場ダート1800mのレコード叩き出したのは1983年。数十年経ってもいまだに破られない不滅のレコードとなっている。そのため、競馬新聞等の出表にもよく名前が掲載されるため、この時代のとしては知名度はかなり高い。

血統表

*ホープフリーオン
Hopefully On
1972 栃栗毛
Raise a Native
1961 栗毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Sweet Tooth
1965 鹿毛
On-And-On Nasrullah
Two Lea
Plum Cake Ponder
Real Delight
シカドール
1965 鹿毛
FNo.2-i
Sica Boy
1951 鹿毛
Sunny Boy Jock
Fille de Soleil
Sica Meridien
Sylla
*パーミーン
1958 鹿毛
Pardal Pharis
Adargatis
Dynamene My Babu
Anne of Essex
競走馬の4代血統表

クロス:Bull Lea 5×5(6.25%)、Asterus 5×5(6.25%)

主な産駒

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