ケイエスミラクルとは、日本の元競走馬である。
儚い奇跡の結晶としか言いようのない、そんな馬。
日本ではミスタープロスペクター系が「アメリカのダートの短距離専門だろ?」くらいの認識の時期に輸入された馬だが、
父は40戦3勝、この馬の他には重賞で活躍した馬が一頭もいない超三流種牡馬Stutz Blackhawk、母も近親にCrafty Prospectorがいるくらいという地味過ぎる血統で、なんと3万ドルという安さであった。
日本にわざわざ輸入する理由がないレベル…は言いすぎかもしれないが、異系種牡馬としての期待を込めて輸入するったって限度があるぞっていう感じであった。
のちの快速を血統的に見ると、母の父Never Bend、母の母の父Dr.Fagerという快速種牡馬の血が入ったことが良かったのかもしれない。
とまあ、けちょんけちょんに言ってしまったのだが、この馬のアレさは血統のみにあらず。生まれつき日本脳炎を患いデビュー出来るかおぼつかないという状態だったのである。
馬主さん、騙されちゃったのォ!!ってレベルであったがなんとかこれは完治。いやあ、3万ドルが無駄にならずよかったよかった…と思ったのもつかの間、
デビュー前に深刻な脚部不安を発症。もうだめだぁ…おしまいだぁ…と思われたがこれも奇跡的に快方に向かった。
二度も奇跡を起こしたことから、彼の馬名は冠名のケイエスに、ミラクルをつけることとなったのであった。
デビューしたのは1991年の4月。ここは2着に敗れるが2戦目で勝利。その後札幌の夏競馬でレコードで4馬身、続くレースでは9馬身ぶっちぎり一躍話題の的となった。
ちなみに1200mでこれだけぶっちぎるということは、スピードが違いすぎるということである。展開のアヤも何もない。
9馬身ちぎった時は条件戦なのに単枠指定馬にされる圧倒的な支持を受けた。そんな勢いのままセントウルステークスに臨んだがなんとブービー負け。
これで人気も一旦冷めてしまったのだが、オープンのオパールステークスをレコード勝ち。スワンステークスに向かった。
ここは勝ち鞍が集中していた1200mではなく1400mで、メンバーもダイイチルビーやダイタクヘリオスがいるなど強烈だったことから
5番人気とやや低めに見られたが、ダイイチルビー以下をねじ伏せてレコード勝ちを収める。こりゃ短距離の新星誕生かと言うことで、次走のマイルチャンピオンシップでは3番人気になったのだが
京都の1600mなら本気出すと言ったかどうかは知らないが、例によって爆走して押し切ったダイタクヘリオスに敗れて3着に終わった。
脚に疲れが見えたため、本来ならここで休養する予定だったのだがマイルGⅠでも勝負になったんだからスプリントGⅠならただ貰いだろうという馬主の意向で
当時年末開催のスプリンターズステークスへ向かうこととなった。ここでは勝ち鞍が集中しているスプリント戦でダイイチルビーをレコードで負かしたスピードがあるなら
充分勝てるだろうと一番人気に推された。レースでも素晴らしいスピードを見せ、4コーナーで早くも先頭に並びかける勢いで進出。
これはダイイチルビーとの激戦になるぞと思われたが…荒れた中山の馬場に脚を取られたか、生まれつきの体質の弱さが、一年で10戦したことに耐えられなかったか
彼の脚は砕けてしまった。せめて、生きて種牡馬入り出来れば…当時はミスタープロスペクター直系はレアだし、スピードは充分示した、生きてくれ…
と馬主が三度目の奇跡を願ったかはわからないが、三度目の奇跡が起こり彼を救うことはなかった。予後不良、薬殺でとなった。
ちなみに、この馬主は彼が勝ったスワンステークス以降、重賞を勝つ馬を所有することはなかった。
彼を大事に使っていれば、もっと勝てていたかもしれないが…所詮たらればの話である。
とにかく後に残ったのは、8ヶ月の間にレコードを3回作った、当時としては奇跡のような快速馬が呆気無く消えていったという、悲しい事実のみである。
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最終更新:2025/12/13(土) 14:00
最終更新:2025/12/13(土) 13:00
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