ジョージ・アルトマン 単語


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ジョージアルトマン

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ジョージ・アルトマン(George Altman)とは、元プロ野球選手のことである。

概要

OB
ジョージ・アルトマン
George Altman
基本情報
国籍 アメリカ合衆国アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州
生年月日 1933年3月20日
身長
体重
197cm
92kg
選手情報
投球・打撃 右投左打
守備位置 外野手、一塁手
プロ入り 1959年
引退 1975年
経歴
選手歴
  • テネシー大学
  • カンザスシティ・モナークス(1955年)
  • シカゴ・カブス(1959年-1962年)
  • セントルイス・カージナルス(1963年)
  • ニューヨーク・メッツ(1964年)
  • シカゴ・カブス(1965年-1967年)
  • 東京オリオンズ
    • ロッテオリオンズ(1968年-1974年)
  • 阪神タイガース(1975年)
コーチ歴
  • ロッテオリオンズ(1972年)
プロ野球選手テンプレート

1933年3月20日生まれ。アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身。

テネシー大学では野球だけでなくバスケットボールの選手としてもプレーした。

1955年、ニグロリーグのカンザスシティ・モナークスと契約。3ヶ月のプレーの後、当時の監督の薦めもありシカゴ・カブスと契約。

マイナーでの数年間プレーの後、1959年にメジャーデビュー。ルーキーイヤーからレギュラーの座を掴むと、この年から1962年まで毎年2桁本塁打を記録、1961年、1962年と2年連続でオールスターゲームにも選出されている。特に1961年には打率.303、27本塁打、96打点の好成績をマークするなどメジャーでも屈指の外野手として活躍。

1963年にセントルイス・カージナルスへ移籍し、その後はニューヨーク・メッツへ移籍の後、シカゴ・カブスに復帰するも目立ったか成績は残せなかった。

1968年、東京オリオンズに入団。

初年度のキャンプから持ち前のパワーで周りを驚かせ、狭い東京球場という条件も手伝いアルトマンは大活躍を見せる。主に4番レフトとして起用され、打率.320、39本塁打、100打点の成績で打点王に輝き、ベストナインにも選出された(本塁打はパ・リーグ2位)。

翌年は成績が若干下降したものの、1970年には打率.319、30本塁打、77打点と盛り返し、ベストナインに選出される活躍でチームのリーグ制覇に貢献。翌1972年にもベストナインに選出されている。

1972年はコーチ兼任としてプレー。チームは5位と沈んだものの、野球に対する真面目な姿勢やプレーする面での考え方を的確にコーチし、好影響を与えた。

1974年、開幕から打ちまくり、6試合連続本塁打を記録するなど来日して以来最高の状態でシーズンを送っていた。

だがシーズン途中、試合中にアルトマンが気絶したことから彼の体調に異変が生じていたことが判明する。診断の結果は初期の大腸がん、発覚時には下血があるなど目に見えるレベルで症状があったものの、アルトマンはチームのために病を隠しながらプレーしていたのだ。

重病と知った球団は即時に帰国して手術を命じた。手術は無事成功したものの、当然チームのリーグ優勝の瞬間に立ち会うことも、日本シリーズ出場も叶わなかった。この年の最終成績は85試合出場で打率.351、21本塁打、67打点であった。

その後、ロッテは病み上がりであることや入院生活での体力の低下、更に42歳と高齢であること等を理由に年俸を抑えようとしたことから契約交渉が決裂、7年在籍したチームを退団することとなった。

アルトマンは退団後も練習を続け、1975年阪神タイガースの入団テストを受け、合格。体調面でも問題がなく、そのまま入団となった。

この年、外国人選手として初の通算200本塁打を記録したが流石に衰えは隠せず、この年限りで退団し現役を引退。

人物・エピソード

極端に狭いスタンスで構える独特のクローズスタンスの打撃フォームから、鋭いスイングで打点や本塁打を稼いだ。常に真面目で全力にプレーする姿は他チームの選手からも好感を持たれていた。

また、日米ともに野球殿堂入りしている大投手から多く本塁打を放っている[1]

2メートル近い長身故に手足が長く、チャリティー活動にも熱心だったことから「足長おじさん」と呼ばれ多くのファンから親しまれた。また、メジャーリーグ時代は長身とパンチ力のある打撃から「ビッグジョージ」とも呼ばれていた。

ファンサービスにも熱心でファンから求められればサインにも丁寧に応じ、チャリティー活動の一環として自腹でシーズンシートを購入し「アルトマンシート」と名付け、児童養護施設の子どもたちを招待していた。

日本シリーズでの守備の際、味方のショートと交錯しショートを守っていた選手が失神してしまったが、外野をボールが転々と転がる中一切追わず、倒れたチームメイトを必死に介抱していた。目先の勝利よりも倒れた味方を気遣い介抱する姿は、スポーツマンシップに溢れていると称賛された。

通算成績

打撃成績

通算:17年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:9年 991 3419 3091 409 832 101 403 52 19 21 268 20 572 43 .269 .329
NPB:8年 935 3608 3183 452 985 205 656 31 4 45 353 23 360 50 .309 .378

獲得タイトル・記録

  • 打点王:1回(1968年)
  • 最多安打:1回(1968年) ※当時連盟表彰なし
  • ベストナイン:3回(1968年、1970年、1971年)
  • 6試合連続本塁打(1974年6月13日~23日)
  • 首位打者未獲得での通算打率:.309(※3000打数以上での歴代最高)

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関連項目

  • プロ野球
  • シカゴ・カブス
  • セントルイス・カージナルス
  • ニューヨーク・メッツ
  • シカゴ・カブス
  • 東京オリオンズ
  • 阪神タイガース
  • 大腸がん
  • プロ野球選手一覧

脚注

  1. *本塁打を放った選手→MLB:ジャック・サンフォード、ドン・ドライスデール、サンディ・コーファックス、ボブ・ギブソン、ウォーレン・スパーン、ホアン・マリシャル、ゲイロード・ペリー、ジム・バニング NPB:稲尾和久、梶本隆夫、鈴木啓示、東尾修、皆川睦雄、山田久志、米田哲也

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