スカウトとは、ゲームプレイ動画『【パワプロ12】能力値ゼロからのマイライフ』に登場するプロ野球選手(投手)である。
生年月日:1987年2月24日生、利き腕:右投両打、守備位置:投手、プロ入り:2004年ドラフト6位
なお、パワプロシリーズに登場するスカウトの影山さんとは別人である。
プロ入り前
野球部のない高校であったため、地元の社会人野球チームに所属。スポーツ用品店・遊園地・コンビニなどでアルバイトをし、球場使用料などにあてていた。
最速131km/hを投げ、キャプテンとしてチームを引っ張り、社会人野球チームの頂点を決める猪狩ドームカップに決勝まで進むものの、4失点で敗戦。その後、参加したプロテストでの初球で80km/hの直球を投げ、その場にいた誰もが絶句したが結果は合格。ヤクルトのドラフト1位での指名を約束されたが、手違いにより6位の指名になった。
プロ入り後
2005年
春季キャンプで力をつけ、オープン戦に臨むが1イニングを持たず失点し開幕2軍スタートとなった。
3月26日のインボイス戦で初登板。2/3を1失点で敗戦投手。この年は2軍で先発・中継ぎ・抑えとフル回転し、85登板で防御率4.18 7勝 9敗 3セーブ 27ホールドの成績を残した。
2006年
2006年から就任した豊田泰光新監督から指定強化選手に選ばれる。その成果もあってかオープン戦3試合に登板し無失点。初の開幕1軍に選ばれる。4月8日の中日戦でプロ入り初登板。福留、T・ウッズ、谷繁から3者連続三振を奪う鮮烈なデビューとなった。同時にプロ入り初セーブも達成した。4月22日に本拠地初登板を果たすが、連打を浴び1失点。翌日の広島戦でヒーローインタビューに呼ばれ、アナウンサーの「全部スローボールでしたね」との問いに「ストレートも投げました」と返し一部で話題になる。これ以降ヒーローインタビューではアナウンサーとの掛け合いが名物となった。その後も順調にセーブを挙げていくが、5月18日のソフトバンク戦でズレータ・松中に連続ソロを打たれサヨナラで初黒星を喫すると失敗が続き中継ぎに降格する。8月13日にプロ入り初ホールドを記録。再び安定した投球を見せると約1週間で抑えに復帰した。この年は24セーブを挙げたが、新人王は防御率3.45 11勝12敗 の中日の中田が選ばれた。ローテーションを守ったことや229回を投げたことも評価された点である。契約更改では2000万アップの2500万円でサインした。背番号もスローボール使いの現実世界のユウキがつけていた29に変更した。
2007年
オープン戦で調子が上がらず2軍行きを通告されるが、翌週の試合を無失点に抑え2年連続の開幕1軍を勝ち取る。4月20日の広島戦で1失点し同点に追いつかれる。その裏にチームがサヨナラ勝ちしたためプロ入り初勝利を挙げた。その2日後には1球セーブを記録。4月は 防御率3.00 1勝 4セーブ で月間MVPに選出される。5月29日のロッテ戦で所属するヤクルト以外の11球団からセーブを挙げた。6月26日の中日戦、30日の巨人戦でそれぞれ3ランホームランを打たれるなど精彩を欠き、7月2日に1軍登録を抹消されるとシーズン終了まで登板機会がなかった。戦力外を覚悟していたが、前半戦の活躍が評価され微増。タイトル獲得またはチームのリーグ優勝のどちらかが達成できなかった場合引退すると発表した。中継ぎ代表格の五十嵐と石井弘が移籍した。より一層スカウトに責任がのしかかる。
2008年
4月4日の開幕戦からセーブを挙げるとそこから5連投。チームの信頼感と本人の意気込みを見せた。5月31日で通算50セーブを達成。7月20日で通算100登板。その試合で前年を超える25セーブを挙げる。9月27日ではデイゲームで40セーブをあげ、ナイトゲームで巨人が敗れチームの7年ぶりの優勝。胴上げ投手となる。最終的に42セーブで最優秀救援を獲得した。オリックスとの日本シリーズではチームが4連敗し、自身も登板機会が無かった。契約更改で約1憶円アップの1億3290万円でサインし、初の1億円プレイヤーとなる。
2009年
オープン戦で「ど真ん中にスローボール」を試す。意外に使えることを知り公式戦でもたびたび使用した。開幕すると失点を重ねることが多く、サヨナラホームランを浴びるなど調子は良くなかったが、5月13日に今年移籍してきた松坂大輔とノーヒットノーランリレーでセーブを挙げる。6月2日のオリックス戦では福川の送球が逸れて打者走者の村松が生還し、敗戦投手となるなどなど不運が重なった。7月3日には3人を3球で仕留め、通算100セーブを達成。しかし調子はあがらず中継ぎでの起用も増えた。8月8日の中日戦で8連投も力尽き、チームの連勝も7でストップした。10月8日の巨人戦では勝った方が優勝という大事な試合に登板し、2失点ながらもセーブを挙げチームの2年連続の胴上げ投手となる。10月27日に日本シリーズ初登板で初セーブ。その後チームは日本一になる。
2010年
2試合抑えで登板するが先発に転向。4月13日の阪神戦で初先発するものの4回1/3を3失点で敗戦投手に。翌週の阪神戦でプロ入り初安打も勝ちはつかず、5月4日の巨人戦で先発4試合目にして初勝利。5月18日のソフトバンク戦で交流戦初勝利。同時にFA権を取得した。6月15日に通算200登板。5回2/3を2失点に抑えるも、後続が5点リードをひっくり返され、最終的に延長12回に勝ち越しを許し勝ちに結び付かなかった。8月17日で初の2ケタ三振を奪い自身の連勝を4に伸ばした。9月21日には4回2/3を投げ勝利投手となる。これは「コナミ特別ルール」と言われる特殊なルールであり、基準が曖昧であるため説明が難しい。しかしこの勝利により初の2ケタ勝利となる。この年は連敗を止めることが多く「連敗ストッパー」と呼ばれた。また11勝はチームトップであり、ローテーションを守り続けたが規定投球回に2/3足りなかった。FA権を取得したが行使せずに残留した。契約更改では初のダウン提示となるが一発でサインした。
2011年
開幕投手を務めるも敗戦。中継ぎで起用されるが回の途中でビハインドの場面が多かった。先発復帰。5月10日の楽天戦で初の無四球完封勝利。5月31日には初の複数安打、3打点と打撃でも魅せた。8月16日の広島戦で2年連続の2ケタ勝利を達成。8月23日の中日戦で自己最多の11奪三振を記録した。
「打たれて取る」という投球を心掛けており、チームの守備力がそのまま勝敗に繋がることが多かった。現在は三振を奪えることもあり、この現象は若干減少傾向にある。
一部のファンから三者凡退や三振を奪った投球に対して調子が悪いと言われたことがある。これは「持ち味は併殺」という投球スタイルのためであり、実際に併殺にとることが非常に多い。
打者からは打ちやすいと思われるのか、初球から手を出されることも多く一球に関する記録も多く達成している。
年度別投手成績
| 年 度 |
球団 |
防御率 |
投 |
勝 率 |
勝利 | 敗戦 |
セ |
ホ |ル ド |
登板 | 先発 | 完封 | 完投 | 奪三振 | 与四球 | 与死球 | 被 本塁打 |
被安打 | 暴投 | 失点 | 自責点 |
| 2005 | 一 軍 出 場 な し | |||||||||||||||||||
| 2006 | ヤ | 3.27 | 41.1 | .000 | 0 | 3 | 24 | 1 | 48 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | 0 | 7 | 42 | 0 | 15 | 15 |
| 2007 | ヤ | 7.50 | 12.0 | .500 | 1 | 1 | 10 | 1 | 16 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 4 | 23 | 0 | 10 | 10 |
| 2008 | ヤ | 2.56 | 52.2 | .500 | 1 | 1 | 42 | 0 | 59 | 0 | 0 | 0 | 24 | 0 | 0 | 7 | 70 | 0 | 15 | 15 |
| 2009 | ヤ | 2.83 | 63.2 | .600 | 3 | 2 | 37 | 1 | 65 | 0 | 0 | 0 | 34 | 1 | 0 | 8 | 95 | 0 | 22 | 20 |
| 2010 | ヤ | 3.84 | 145.1 | .688 | 11 | 5 | 2 | 0 | 28 | 26 | 0 | 0 | 135 | 9 | 0 | 27 | 223 | 2 | 64 | 62 |
| 通算 | 3.49 | 315.0 | .571 | 16 | 12 | 115 | 3 | 216 | 26 | 0 | 0 | 227 | 12 | 0 | 53 | 453 | 2 | 126 | 122 | |
投手記録
打者記録
その他の記録
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最終更新:2025/12/07(日) 05:00
最終更新:2025/12/07(日) 04:00
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