セントルイス(アズールレーン) 単語


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セントルイス

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セントルイスとは、STGアプリゲーム『アズールレーン』に登場する、第二次世界大戦時のアメリカ海軍所属のセントルイス級軽巡洋艦1番艦CL-49〈USS St.Louis〉をモチーフとしたキャラクター(艦船少女)である。
デザイン:雲桑、CVは未実装。

うふふ、指揮官くん、概要を見てるの?

ユニオン(アズレン世界でいうところのアメリカ)に所属する軽巡洋艦。レアリティはSR。セントルイス姉妹の姉で、妹はアズレン三幻神の一人と謳われるヘレナ。
日本版では、2017年12月15日のアップデートにて小型艦建造に追加実装された……のだが、その戦艦もかくやというど迫力の胸部装甲や、いかにもお姉さんな雰囲気に、間違って大型艦建造を回した指揮官も少なくなかったとか。ちなみに、排出率の関係で、SRの一本釣りはSSRよりも難しいと言われているのでご注意されたし。
また、10-3でもドロップするが、10面はこの時点でのエンドコンテンツ的な海域で行くのさえ容易ではないと、まぁこちらも高嶺の花である。
建造・ドロップのどちらにせよ、運良く入手できた指揮官は大切にしていただきたい。
ちなみに、セントルイス級軽巡はブルックリン級軽巡の改良型で、ホノルルはそのブルックリン級の末妹、つまりセントルイスのすぐ上の姉にあたる。

そんなセントルイスは、ヘレナと同じ青髪(先端に行くにつれて紫になるグラデーションが美しい)をポニーテイルにまとめたヘアスタイル。瞳の色は赤みの強い紫。制服はボディコンである。ものすごい自己主張をしている胸部装甲にばかり目が行きがちだが、等身も高く、魅惑のくびれのウェストからヒップラインへの美しいカーブも必見である。あと、何とは言わないが赤のようである。
いかにも年上のお姉さんな雰囲気で、指揮官のことは「指揮官くん」と呼び、余裕のある口ぶりで翻弄してくれる。言ってみれば、「ユニオンの愛宕さん」というイメージ。服装や髪、目の色合いは妹艦のヘレナと合わせていると思われるが、ヘレナの絵師とは違うのにここまで一目で姉妹と判るデザインとは侮れない。

性能については、妹ではなく三幻神のもう一人に数えられるクリーブランド兄貴姉貴に似た特徴を持つ軽巡。入手難易度の差こそあれ、クリーブ兄貴の代替として使える優秀な艦である。
スキルは史実艦のあだ名でもある「ラッキールー」で、これは自艦にかかるバフ。
もう一つのスキル「対空配置」は対空能力が上がるが、代わりに火力が低下するという相反するスキル。スキルレベルを上げることで火力低下を押さえることが出来る(完全に無くなるわけではないが)ので、早めに強化することが勧められる。
このほかに、1凸で「全弾発射-ブルックリン級」を覚える(完凸で強化される)
このようにスキルは自艦強化型なので、シナジー効果を持つ艦と組ませるのが良いだろう。

全てのことは「サイオウホース」…うん……教えてくれたのは誰だっけ…

セントルイス級軽巡洋艦は、ワシントン及びロンドン軍縮条約の条件に従って設計されたブルックリン級軽巡洋艦を小改造したものである(このため、改ブルックリン級とされたり、資料によってはブルックリン級に含められたりする。アズレンでもセントルイスとヘレナはブルックリン級とされている)。わずか2隻のみの建造で打ち切られたのは、アメリカが防空巡洋艦であるアトランタ級の建造に移行したためで、従来型軽巡をやめて防空型軽巡に移った判断は(主に日本との比較で)アメリカの先見の明を現すエピソードとしてよく取り上げられる。

それはさておき、セントルイス級のネームシップ(ブルックリン級とするなら8番艦)である〈USSセントルイス〉は1936年12月10日に起工、1938年4月15日に進水、1939年5月19日に竣工した。艦名はミズーリ州のセントルイス市にちなむ。
余談だが、「セントルイス」という名前自体はフランスのルイ9世のことであり、この王様はカトリック教会から聖人とされたため聖ルイ(英語読みでセント・ルイス)と呼ばれていた。ルイ9世が何故聖人になったかは、色々ときな臭い話になるので省略(まぁ、第7回と第8回の2回の十字軍を起こした張本人というあたりでお察しください)。

竣工後、〈セントルイス〉は大西洋に訓練航海に出るが、そのさなかに第二次世界大戦が勃発。訓練を兼ねて北大西洋を哨戒した〈セントルイス〉は、その後太平洋に出ると、1940年12月から真珠湾を母港として活動していた。

そして、1941年12月7日も、〈セントルイス〉は真珠湾にいた。

ちょうど位置的に最も手前にいたが故に、日本の攻撃機隊は〈セントルイス〉の頭上を越えて、奥の港へと殺到していった。即座に〈セントルイス〉は対空戦闘準備、わずか10分後には対空射撃を行いながら出航、さらに15分後には6インチ砲発射の準備も整えていた。
しかし、湾口にはアメリカ艦を逃がすまいと日本の特殊潜航艇「甲標的」が待ち構えており、そこに出てきた〈セントルイス〉へ魚雷を発射する。しかしこれが運良くそれ、随伴していた駆逐艦の爆雷攻撃で甲標的は撃沈された(余談だが、この甲標的は全5隻が真珠湾に突入、全艦帰らず、搭乗していた9人は大本営発表で九軍神と称えられた。だが、甲標的が座礁したため脱出して米軍の捕虜第一号になった1人については存在を抹消した。これが日本軍クオリティ)。
〈セントルイス〉は続いて真珠湾から脱出に成功した軽巡〈フェニックス〉〈デトロイト〉と駆逐艦と共に、真珠湾を攻撃している南雲機動部隊の捜索を行うが、全然見当違いの方向に進んでしまったために見つけることが出来なかった。

こうして、アメリカ的にはズタボロにされた真珠湾攻撃の中、無傷だった〈セントルイス〉は幸運艦と呼ばれ、「ラッキー・ルー」のあだ名で呼ばれるようになる(ルー(Lou)はルイスの略称)。

1942年12月、サンフランシスコでのオーバーホールを終えて〈セントルイス〉は出港。第36.1任務部隊に配属となり、僚艦の〈ホノルル〉〈ヘレナ〉と第21駆逐群と共にソロモンに向かう。

7月6日、クラ湾夜戦では、日本の第三水雷戦隊を相手取り、三水戦旗艦だった秋月型駆逐艦〈新月〉を大破炎上させるが、そちらに気を取られていた隙に忍び寄った駆逐艦〈涼風〉と〈谷風〉の雷撃を受け、任務部隊の旗艦だった妹艦の〈ヘレナ〉が轟沈してしまう。
戦闘後、喪失した〈ヘレナ〉の代わりに、イギリス生まれで当時はニュージーランド海軍所属だった軽巡〈リアンダー〉が36.1任務部隊に配属された。一方の日本側は〈新月〉と共に第三水雷戦隊の司令部を失うという痛手を受ける。

〈ヘレナ〉を失うという痛い犠牲を払いつつ、日本の第三水雷戦隊を退けた36.1任務部隊が次に相対したのが、華の二水戦と謳われた、軽巡〈神通〉の率いる第二水雷戦隊だった。7月12日のコロンバンガラ島沖海戦である。
最初の交錯で、探照灯を照射していた〈神通〉に集中砲火を浴びせ、文字通りに真っ二つにするがこのときに〈リアンダー〉が大破して離脱。そして、〈神通〉に集中していたアメリカ軍は、その真の狙いを看破出来ていなかった。
二水戦配下の駆逐艦は〈神通〉が集中砲火を受けている間に魚雷の二発目を装填し、雷撃を敢行。日本の誇る酸素魚雷の直撃を、36.1任務部隊は受けることになった。アメリカ側にとって運が悪かったのは、戦闘を続けるうちに敵味方が入り乱れてしまい、最新型だったホノルルのレーダーには「いっぱい写ってるけど敵か味方かわからん」という状況になってしまったことだった。とにかく、36.1任務部隊にとっては、突然それは起こった。
〈セントルイス〉の艦首で爆発が起こり、艦首の下がもぎ取られる。〈ホノルル〉も艦首で爆発が起こり、こちらの艦首は下の構造物を失って垂れ下がった状態になった。駆逐艦〈グウェン〉は大破炎上(のちに沈没)、また駆逐艦〈ブキャナン〉と〈ウッドワース〉は衝突事故を起こした。また、最初に大破した〈リアンダー〉もその後復帰することは無かった。
こうして、〈神通〉と第二水雷戦隊司令部と引き換えに、36.1任務部隊は大損害を受けて撤退を余儀なくされた。ただ、日本側から見れば36.1任務部隊に日本の誇る水雷戦隊が2つも潰されたということになるわけで、戦術的にはともかく戦略的には日本側の被った痛手は小さいものでは無かった。
(ただし、アメリカ側からすれば1週間足らずで巡洋艦4隻が戦線離脱に追い込まれたわけで、ニミッツ提督などは36.1任務部隊を率いてこの2度の海戦の指揮を執ったエインズワース少将を酷評している)

妹を失い、仲間を失い、それでも〈セントルイス〉の戦いは続く。
1943年11月、修理の終わった〈セントルイス〉は最前線のソロモンに復帰。
1944年2月、上陸作戦の支援のため哨戒任務を行っていた〈セントルイス〉は日本の九九艦爆隊に襲われ、左舷艦尾に爆弾が直撃、爆発する。しかし、このときはそこまで大きな損傷は受けず、すぐに前線に戻っている。

1944年11月27日、スリガオ海峡を哨戒していた〈セントルイス〉に、九九艦爆の部隊が突っ込んできた。いわゆる神風特攻隊である。対空戦闘を行いながら必死に回避する〈セントルイス〉だったが、2機の突入を許してしまい、損傷を受けるが沈むことは無かった。それでもダメージを負った〈セントルイス〉は、母国での修理を余儀なくされる。

1945年3月、ようやく修理が終わってカルフォルニアから出撃した〈セントルイス〉は沖縄に向かい、沖縄上陸作戦を支援し、占領後はそのまま沖縄にとどまった。1945年8月15日を〈セントルイス〉は沖縄の中城湾で迎えることになる。

戦後は、一時中国方面の治安のために活動した後、1946年1月までマーケット・ガーデン作戦(米兵の本国への引き揚げ)に従事し、太平洋の中部から南西部にいた復員兵を帰国させた。
その後、1946年2月には大西洋に移動、2月25日にフィラデルフィアに到着して不活性化工事を受けた後、6月20日に制式に退役となった。
〈セントルイス〉は第二次世界大戦での功績によって、11個のバトルスターを受賞した。

1950年にブラジルに贈与されることが決まり、不活性化を解除すると共に1951年1月22日にアメリカ軍を正式に除籍となる。同年1月29日ブラジル海軍で新たに〈タマンダーレ〉と改名され、それ以降25年もの間ブラジルで働くことになる。実はアメリカ軍の〈セントルイス〉でいた期間よりもブラジル軍で〈タマンダーレ〉でいた期間の方が長かったりするのだ。
そんな〈セントルイス〉改め〈タマンダーレ〉も老朽化のため、ついに1976年に退役。そして1980年には台湾に売却され、スクラップとなることが決まった。そのため、曳航されて台湾に向かったのだが、その途中の8月24日、アフリカ最南端の喜望峰沖で荒天のため沈没という思わぬ最後を迎えることになった。

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