ハギノトップレディ 単語


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ハギノトップレディ

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ハギノトップレディとは、1977年生まれの日本の元競走馬・繁殖牝馬である。

「華麗なる一族」の筆頭ともいうべき名牝。

主な勝ち鞍
1980年:桜花賞(八大競走)、エリザベス女王杯、京都牝馬特別
1981年:高松宮杯、巴賞

1980年優駿賞最優秀4歳牝馬

概要

原則として旧年齢表記。

父は仏ダービー2着のサンシー。母は後に「華麗なる一族」中興の祖と称えられることになる悲運の名牝イットー、母父ヴェンチア。父母とも荻伏牧場で大きな期待をかけられた馬で、イットーの初仔であるハギノトップレディは活躍を義務付けられたような馬であった。

デビューは3歳夏の函館競馬場。芝1000mのレースだったが、ハギノトップレディは抜群のスタートから一頭爆走し、後続に2秒2の大差をつけて勝ったのである。しかも時計は57秒2。函館競馬場芝1000mの2歳レコードとして、時代が昭和から平成を跨いで令和へと突入してもなかなか破られず、実に46年もの間レコードとして輝き続けた大記録である(2025年6月14日にカイショーが更新)。しかも鞍上の伊藤清章は「まだ本気で走ってない」というのである。当然こいつはバケモノだ、と大きな話題になった。この勝利もあって、数か月後にセリに出された2歳下の弟は、当時史上最高額の1億8500万円で落札された。この馬こそ「黄金の馬」ハギノカムイオーであるが、その話は記事があるのでそちらに譲る。

これで函館3歳S(現:函館2歳S)はもらったという声もあったが、トップレディは故障で休養に入ってしまう。秋に一旦は帰厩するも再び捻挫。実はトップレディは生まれつき蹄が小さく、常に脚に不安を抱えていたのである。
桜花賞の時期が近づき、周囲からは桜を回避する見方もないではなかったが、陣営は一縷の望みをかけて桜花賞指定オープンに出走させる。休み明けで不良馬場、決して良いコンディションではなく、実際にコンマ6秒差の3着に敗れてしまうのだが、ギリギリで桜花賞の優先出走権を掴むことができた。

2週間後の桜花賞。1番人気はJRAに名前を間違えられた3歳女王ラフオンテース。さすがに2戦1勝、中1週では人気が集まらない…と思いきや2番人気。それだけ彼女にかけられた期待と、新馬戦の衝撃は大きかったのである。
5番枠から好スタートを切ったトップレディ。新馬戦同様に飛ばし、1000m58秒という、当時としては玉砕としか思えないタイムで逃げる。4角で一度は捕まりかけたが直線でもう一足を使って後続をねじ伏せ、1馬身1/4差で完勝。母が故障で泣く泣く回避した桜の栄冠を掴んで見せた。ちなみに3戦目での桜花賞制覇は現在に至るまで破られていない最短記録である。

オークスは道悪が災いしたか17着。しかし秋初戦、得意のマイルで9馬身差のレコード勝ちを決めると、もう1勝を加えてエリザベス女王杯(当時は4歳馬限定)に出走。しかしオークスの惨敗で「距離に不安がある」と思われたトップレディは3番人気にとどまる。
本番、トップレディは再び逃げを打つ。しかしいつにない緩いペース。鞍上の伊藤は距離を考え、最大限スタミナのロスを抑えた騎乗に徹したのである。この騎乗が功を奏したか、直線に入っても潰れることはなく、後続を3/4馬身抑えて逃げ切り勝ち。牝馬二冠を達成した。

翌年にはアメリカ遠征の話も持ち上がったが、宝塚記念で4着に敗れておじゃん。高松宮杯に舵を切ると、苦手な重馬場を克服・・・どころか後続に6馬身差をつける圧勝。母娘2代の高松宮杯制覇を成し遂げた。

次に出走したのがOP特別の巴賞。ただのローカルのOP競走なのだが、この年はかつてない注目を集めていた。ハギノトップレディに挑戦状を叩きつけた強豪がいたからである。
馬の名はブロケード。トップレディと同型の逃げ馬で、この年無傷の4連勝で桜花賞を制しオークスで惨敗していた。つまり同じタイプの新旧桜花賞馬対決となったのである。
人気はトップレディの1本被り。レースも当然トップレディがハナを切った。一時は5馬身余りの差をつけ楽勝・・・と思われたが、2番手にいたブロケードは3角で外から猛然と追い上げ、トップレディに1馬身のリードを取ったのである。直線を待たずにトップレディが追いつかれたのは最初で最後であった。しかしトップレディはそんじょそこらの逃げ馬とは一味違う。直線で再びブロケードに並びかけ、壮絶な競り合いの末にアタマ差勝利を収めたのである。スピードに加えて凄まじい根性を見せたトップレディの評価はさらに高まった。

続く毎日王冠。アンバーシャダイ、モンテプリンス、カツアールなど豪華メンバーが揃った。あとオペックホースも。トップレディはここでも逃げを打つ。1000m57秒4で。3歳時に1000mのレースでトップレディが出したレコードが57秒2。残り800mもあるのに、その時とほぼ同じ激走をしてしまったのである。
まあ、激走というより暴走だし、直線で轟沈して8着に負けるのだが、尋常でないスピードを見せつける結果となった。ジャパンカップは距離が長いということで、これにて引退。一方そのころ弟は強さの底を見せていた。

繁殖牝馬としては英愛ダービー馬グランディとの子供が夭逝するなどしばらくは活躍馬に恵まれなかったが、天馬トウショウボーイとの間に生まれたダイイチルビーが安田記念とスプリンターズSを制し、華麗なる一族に更なる栄光をもたらした。まあ、この頃から故郷の荻伏牧場は急激に勢いを失い、90年代後半には解散してしまうのだが…。

繁殖牝馬を引退してからは、トップレディも担当していた装蹄師の福永守が経営する牧場に引き取られ穏やかな余生を過ごした。2003年11月に死亡。

生まれ故郷の牧場はなくなり、勢力もすっかり衰えてしまった「華麗なる一族」。今はその美しさと強さが人々の記憶の中に残るばかりなのであろう。ニコニコに動画もないし…。

血統表

*サンシー
Sancy
1969 鹿毛
Sanctus
1960 鹿毛
Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Saranella
Wordys
1957 栗毛
Worden Wild Risk
Sans Tares
Princess d'Ys Prince Bio
Lacodis
イツトー
1971 黒鹿毛
FNo.7-e
*ヴェンチア
1957 黒鹿毛
Relic War Relic
Bridal Colors
Rose o'Lynn Pherozshah
Rocklyn
ミスマルミチ
1965 鹿毛
*ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
キユーピツト Nearula
*マイリー
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×5(6.25%)

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関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 1980年クラシック世代
  • ハギノカムイオー

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最終更新:2025/12/12(金) 03:00

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