ハギノトップレディ 単語

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ハギノトップレディ

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ハギノトップレディとは、1977年生まれの日本の元競走馬繁殖牝馬である。

麗なる一族」の筆頭ともいうべき名

な勝ち
1980年:桜花賞(八大競走)、エリザベス女王杯京都牝馬特別
1981年:高松宮杯

1980年優駿賞最優秀4歳

概要

原則として旧年齢表記。

仏ダービー2着のサンシーは後に「麗なる一族」中の祖と称えられることになる悲運の名イットー、ヴェンチア。とも荻牧場で大きな期待をかけられたで、イットーの初であるハギノトップレディは活躍を義務付けられたようなであった。

デビューは3歳函館競馬場。芝1000mのレースだったが、ハギノトップレディは抜群のスタートから一頭爆走し、後続に22の大差をつけて勝ったのである。しかも時計572函館競馬場の現2歳レコードとして、時代が昭和から平成を跨いで令和へと突入してもなお破られていない不滅の大記録である。しかも上の伊藤清章は「まだ本気で走ってない」というのである。当然こいつはバケモノだ、と大きな話題になった。この勝利もあって、数か後にセリに出された2歳下のは、当時史上最高額の1億8500万円で落札された。このこそ「黄金ハギノカムイオーであるが、その話は記事があるのでそちらに譲る。

これで函館3歳S(現:函館2歳S)はもらったというもあったが、トップレディは故障で休養に入ってしまう。に一旦は帰厩するも再び捻挫。実はトップレディは生まれつき蹄が小さく、常に脚に不安を抱えていたのである。
桜花賞の時期が近づき、周囲からはを回避する見方もないではなかったが、営は一縷の望みをかけて桜花賞オープンに出走させる。休み明けで不良馬場、決して良いコンディションではなく、実際にコンマ6差の3着に敗れてしまうのだが、ギリギリで桜花賞の優先出走権を掴むことができた。

2週間後の桜花賞。1番人気JRA名前を間違えられた3歳女王ラフオンテース。さすがに2戦1勝、中1週では人気が集まらない…と思いきや2番人気。それだけ彼女にかけられた期待と、新馬戦衝撃は大きかったのである。
5番から好スタートを切ったトップレディ新馬戦同様に飛ばし、1000m58という、当時としては玉砕としか思えないタイム逃げる。4で一度は捕まりかけたが直線でもう一足を使って後続をねじせ、1身1/4差で勝。が故障で泣く泣く回避したの栄冠を掴んで見せた。ちなみに3戦での桜花賞制覇は現在に至るまで破られていない最短記録である。

オークス悪が災いしたか17着。しかし初戦、得意のマイルで9身差のレコード勝ちを決めると、もう1勝を加えてエリザベス女王杯(当時は4歳限定)に出走。しかしオークスの惨敗で「距離に不安がある」と思われたトップレディは3番人気にとどまる。
本番、トップレディは再び逃げを打つ。しかしいつにない緩いペース上の伊藤距離を考え、最大限スタミナロスを抑えた騎乗にしたのである。この騎乗が功を奏したか、直線に入っても潰れることはなく、後続を3/4身抑えて逃げ切り勝ち。牝馬二冠を達成した。

翌年にはアメリカ遠征の話も持ち上がったが、宝塚記念で4着に敗れておじゃん。高松宮杯を切ると、苦手な重馬場・・・どころか後続に6身差をつける圧勝。2代の高松宮杯制覇を成し遂げた。

次に出走したのがOP特別の賞。ただのローカルのOP競走なのだが、この年はかつてない注を集めていた。ハギノトップレディに挑戦状を叩きつけた強がいたからである。
の名はブロケード。トップレディと同逃げで、この年傷の4連勝で桜花賞を制しオークスで惨敗していた。つまり同じタイプの新旧桜花賞対決となったのである。
人気トップレディの1本被り。レースも当然トップレディハナを切った。一時は5余りの差をつけ楽勝・・・と思われたが、2番手にいたブロケードは3で外から猛然と追い上げ、トップレディに1身のリードを取ったのである。直線を待たずにトップレディが追いつかれたのは最初で最後であった。しかしトップレディはそんじょそこらの逃げとは一味違う。直線で再びブロケードに並びかけ、壮絶な競り合いの末にアタマ勝利を収めたのである。スピードに加えて凄まじい根性を見せたトップレディの評価はさらに高まった。

続く毎日王冠アンバーシャダイモンテプリンスカツアールなどメンバーった。あとオペックホースも。トップレディはここでも逃げを打つ。1000m574で。3歳時に1000mのレーストップレディが出したレコードが572。残り800mもあるのに、その時とほぼ同じ走をしてしまったのである。
まあ、走というより暴走だし、直線で沈して8着に負けるのだが、尋常でないスピードを見せつける結果となった。ジャパンカップ距離が長いということで、これにて引退一方そのころは強さの底を見せていた。

繁殖牝馬としては英愛ダービーグランディとの子供逝するなどしばらくは活躍恵まれなかったが、天馬トウショウボーイとの間に生まれたダイイチルビー安田記念スプリンターズSを制し、麗なる一族に更なる栄をもたらした。まあ、この頃から故郷の荻牧場は急に勢いを失い、90年代後半には解散してしまうのだが…。

繁殖牝馬引退してからは、トップレディも担当していた装蹄師の福永守が経営する牧場に引き取られ穏やかな余生を過ごした。2003年11月死亡

生まれ故郷の牧場はなくなり、勢力もすっかり衰えてしまった「麗なる一族」。今はその美しさと強さが人々の記憶の中に残るばかりなのであろう。ニコニコ動画もないし…。

血統表

*サンシー
Sancy
1969 鹿毛
Sanctus
1960 鹿毛
Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Saranella
Wordys
1957 栗毛
Worden Wild Risk
Sans Tares
Princess d'Ys Prince Bio
Lacodis
イツトー
1971 黒鹿毛
FNo.7-e
*ヴェンチア
1957 黒鹿毛
Relic War Relic
Bridal Colors
Rose o'Lynn Pherozshah
Rocklyn
ミスルミ
1965 鹿毛
*ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
キユーピツト Nearula
*マイリー
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×5(6.25%)

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