バイヤー・レヴァークーゼン(Bayer 04 Leverkusen)とは、ドイツ・ブンデスリーガに所属するサッカークラブである。本拠地はレヴァークーゼン。ホームスタジアムはバイ・アレーナ。
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1904年に、レヴァークーゼンに工場をおく製薬企業「バイエル」(バイヤー)社の従業員のサッカークラブとして創設された。以前は陸上競技や体操競技、バスケットボール、ボート、テニス、ホッケーなどに関わるスポーツクラブTSVバイエル04レバークーゼンの一部門であった。1999年にサッカー部門がクラブから分離し、現在は正式に独立した組織となっている。
クラブのメインカラーは赤と黒で、どちらもメインシャツの色として使用されており、赤と黒のストライプはホームカラーとしても使用されている。
1979年に初めてブンデスリーガに昇格し、それ以来ずっとトップディビジョンに居続けてるドイツ屈指の強豪であるがタイトルを一歩手前で逃すことが非常に多く、「シルバーコレクター」と揶揄されることも多い。2001-02シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、DFBポーカル(国内カップ戦)全てで2位に終わり「準三冠」を達成した。その後、2010-11シーズンにバイエルン・ミュンヘンも達成している。
労働者階級のルーツと密接なつながりを持つ他の多くのドイツのサッカークラブとは対照的に、バイエル・レバークーゼンはクリーンで家族に優しいイメージを目指している。一方、古くからのドイツのサッカーファンの中にはクラブ名に企業名が付いていることから良く思っていない者もいる。
近年も代表クラスの実力者が多く所属しているため非常に安定した成績を残しており、毎年欧州カップ戦に出場している。
日本では過去に細貝萌や風間八宏が所属していたことで有名である。
製薬会社であるバイエルが起源であり、メインスポンサーのクラブということもあり、日本のネットではたびたび「薬屋」と呼ばれている。
1903年、バイエル社の従業員だったヴィルヘルム・ハウシルトがスポーツ クラブの設立に対する会社の支援を求め、会社側がこれに同意。1904年にクラブが設立され、1907年にクラブ内に独立したフットボール部門が設立された。
設立当初から1930年代にかけてクラブはドイツの3部リーグから4部リーグを彷徨うクラブだった。1936年に初めて2部リーグに昇格。しかし、その後も目覚ましい活躍を見せることができず、ドイツで1963年にブンデスリーガが設立された時期もドイツの2部リーグに留まっていた。1968年にブンデスリーガ昇格まであと一歩というところまで進むがプレーオフで敗れ、トップリーグでのプレーは果たせず。その後も低迷期は続き、1973年には3部リーグにまで降格している。
降格後、1シーズンで2部リーグに復帰すると、1976年にビリーベルトクレーメル監督が就任。すぐ迎え入れたユルゲン・ゲルスドルフを軸に徐々に力をつけるようになり、1978-79シーズンについに2部リーグで優勝。クラブ史上初となるブンデスリーガ昇格を果たし、今日に至るまでずっと2部への降格を経験していない。そしてこれを機にドイツでも有数の強豪クラブへと成長するようになる。
ブンデスリーガに挑戦するようになった1980年代から親会社のバイエルの財源をもとにチームの強化に着手。1984年には散らばった3つのスポーツチームが現在の"バイヤー04レバークーゼン"に再統合。この頃チームのエースだったのは韓国代表の車範根(チャ・ボムグン)で3シーズン連続で二桁得点を挙げ、1985-86シーズンには過去最高の6位にまで押し上げ、初のUEFAカップ出場権を獲得。
1987-88シーズンのUEFAカップでは快進撃を見せ、決勝まで進出。RCDエスパニョールとの対戦となった決勝では1stレグで0-3と完敗するが、ホームの2ndレグで3-0で勝利して追いつき、最後はPK戦を制し、クラブ史上初となるビッグタイトル獲得を達成する。
1988年、チームのフロントに所属していたライナーカール・ムントがGMに就任。1990年の東西ドイツ統一を機に東ドイツ出身のウルフ・キルステン、アンドレアス・トム、イェンス・メルツィヒを獲得。さらにブラジルとのパイプ作りにも成功し、ブラジル代表のジョルジーニョ、パウロ・セルジオを獲得。極めつけにルディ・フェラー、ベルント・シュスターといったベテランのスター選手もチームに加え、レヴァークーゼンは国内でも屈指の実力と人気を持つチームへと成長。1992-93シーズンには、国内での初タイトルとなるDFBポカール優勝を果たす。
1995-96シーズンは主力のベテラン勢の衰えが顕著になり、あわや降格というピンチを経験。これをきっかけにフロントはチームの改革に着手し、1996年にクリストフ・ダウムを監督に迎える。そして、ドイツでも期待の若手だったミヒャエル・バラックを獲得し、チームの中心に置き、ルッシオ、ゼ・ロベルトのブラジル勢を中心に強力なスカッドが完成。ダウム就任時は3度ブンデスリーガで2位に入るなど、王者バイエルン・ミュンヘンの対抗馬としての地位を築いていた。また、1997-98シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに初出場し、ベスト8まで進出している。
2000年コカイン使用疑惑によってダウムが辞任に追い込まれる。バラックら主力が円熟期に入った2001-02シーズンはブンデスリーガ、DFBポカール、CLの3つのコンペティションにおいてファイナル進出という快挙を果たす。トレブル獲得のチャンスと期待する声もあったが、この3つのタイトル全てを落とし、シルバーメダルの三冠達成という悪い意味での快挙を成し遂げる。特にCL決勝では、"銀河系軍団"レアル・マドリードを相手に互角の戦いを見せたが、伝説となったジネディーヌ・ジダンのスーパー・ボレーシュートの前に屈している。
その後、バラック、ゼ・ロベルト、ルッシオといった主力が相次いでバイエルンに引き抜かれ、2002-03シーズンには降格の危機を迎えるほど低迷したが、その後は新たな戦力を中心に建て直し、タイトルには届かないまでもブンデスリーガの上位はキープし、ほぼ毎年欧州のカップ戦の出場権を獲得。新たなエースとしてシュテファン・キースリングが台頭し、パトリック・ヘルメスとの強力2トップがチームの看板となっていた。
2009年にユップ・ハインケスが監督に就任。バイエルンからレンタルで獲得したトニ・クロースとキースリングのコンビはブンデスリーガ屈指のデュオと称され、2010-11シーズン前半戦は首位で折り返し、「冬の王者」となる。しかし、後半戦に入って若いチームは失速し、ユルゲン・クロップ監督率いるボルシア・ドルトムントに優勝を持っていかれる。シーズン終了後、ハインケスはバイエルンの監督に復帰し、クロースもバイエルンに復帰。
2010年代に入ってからは、有望な若手が台頭するものの、国内では安定して上位に食い込むものの優勝争いからは遠ざかるのが定位置となり、欧州の舞台でも目立った結果を残せずにいた。2018年に長年クラブの顔だったキースリングが現役を引退。カイ・ハフェルツ、フロリアン・ヴィルツといったドイツ屈指のタレントを下部組織から輩出するなど育成面では成果を挙げている。
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最終更新:2025/12/06(土) 05:00
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
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