ボルシア・メンヒェングラートバッハ(Borussia Mönchengladbach)とは、ドイツ・ブンデスリーガに所属するサッカークラブである。日本ではボルシアMGという略称で呼ばれることが多い。
本拠地はメンヒェングラートバッハ。本拠地はボルシア=パルク。
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1900年に創設。1960年代から1970年代にかけて国内外で強さを発揮した名門クラブであり、ブンデスリーガ優勝5回、DFBポカール優勝3回、UEFA優勝カップ2回の実績を持つクラブである。リーグ優勝5回という記録はボルシア・ドルトムントと並び2位タイである。しかし、1980年代以降はタイトル戦線から遠ざかるようになっており、2部降格を経験するなど低迷期が長く続いていた。近年は、安定した成績は残せてはいるもののUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得が現実的な目標となっている。
チーム名は、プロイセンのラテン語形式に由来しており、ボルシア・ドルトムントのように旧プロイセン王国地域のサッカークラブにはボルシアを冠するチーム名がみられる。人口27万人の小さな都市のチームであるが、歴史と伝統のあるクラブだけあってドイツ国内でも屈指の人気チームであり、ホームスタジアムをシュタディオン・イム・ボルシア・パルクへと移した2004-05シーズン以降の4シーズンは、2部でのシーズンとなった2007-08シーズンも含めて4万人以上の平均観客動員を記録している。。ホームスタジアムは異様な雰囲気に包まれた難所として知られ、絶対王者として君臨するバイエルン・ミュンヘンも星を落とすことが多い。
ライン地方には多くのチームが存在するが、その中でも同じく1960年代、1970年代に強豪だった1.FCケルンとはライバル関係にあり、両チームの対戦はラインダービーと呼ばれている。また、現在ブンデスリーガ公式のナショナルダービーはバイエルンとドルトムントだが、鈴木良平をはじめとする古くからのファンはバイエルンとボルシアMGこそが真のデア・クラシカーであると主張している。
日本人選手では大津祐樹が2011-12シーズンに所属。2022-23シーズンからは板倉滉が所属している。
クラブの黄金期だった時代にテレビ東京系で三菱ダイヤモンドサッカーが放送されていたこともあり、日本の年配のサッカーファンから支持されている。タレントの明石家さんまもボルシアMGのファンである。また、1969年に来日し、日本代表と4試合をおこなっている。また、元日本女子代表監督でもある鈴木良平が1973年にコーチ留学をし、名将ヘネス・ヴァイスヴァイラーの下で学ぶなど黄金期の頃にも日本とは縁がある。
1899年にTCゲルマニア・グラートバッハに不満を持って脱退したメンバーが1900年に新しいチームとして設立。長年小さな町の無名のクラブとして活動を続けていたが、1959-60シーズンにDFBポカール決勝でカールス―エSCを破り、クラブ史上初タイトルを獲得。これによって1部を目指すという明確な目標がチームに根付くようになる。
1964年のブンデスリーガ発足時には2部からのスタートとなったが、この年にヘネス・ヴァイスヴァイラーを監督に招聘。1965-66シーズンにバイエルン・ミュンヘンと共にブンデスリーガへ昇格すると、ここからチームの快進撃が始まる。ヴァイスヴァイラーは、ギュンター・ネッツァー、ベルティ・フォクツ、ユップ・ハインケス、ライナー・ボンホフら若い才能のある選手を次々に見出すと、無名の小さなクラブはブンデスリーガ屈指の強豪チームへと成長する。そして、1969-70シーズンにブンデスリーガ初優勝という偉業を成し遂げる。ヴァイスヴァイラーは攻撃的なサッカーを掲げ、魅力的なアタッキングサッカーでドイツ国内のみならず、欧州中を魅了するようになる。
1970-71シーズンにはブンデスリーガを連覇。さらにこの年初出場となったUEFAチャンピオンズカップでは「カテナチオ」で知られるインテル・ミラノを相手に7-1で勝利するが、サポーターの投げ入れた空き缶が原因で失格となっている。その後、同じく黄金期が到来したフランツ・ベッケンバウアーを擁するバイエルンにタイトルを持っていかれるが、1970年代のブンデスリーガは文字通りボルシアMGとバイエルンが覇権を分け合うような形となっていた。1972-73シーズンの二度目のDFBポカール優勝を最後にクラブの顔であったネッツァーがレアル・マドリードへ移籍するが、確立された攻撃サッカーは衰えることはなく、1974-75シーズンに二度目のブンデスリーガ優勝と初の欧州タイトル獲得となるUEFAカップ優勝の二冠を達成する。
二冠達成を最後にヴァイスヴァイラーはFCバルセロナの監督に就任。後任にはライバルであったバイエルンで黄金期を築いたウド・ラテックが就任する。この頃からアラン・シモンセンやウリ・シュティーリケといった新たな戦力が台頭。1975-76シーズンと1976-77シーズンのブンデスリーガを制し、三連覇を達成。再びバイエルンからリーグの覇権を取り戻す。1976-77シーズンにはチャンピオンズカップ決勝まで進出するが、決勝でボブ・ペイズリー率いるリヴァプールFCに敗れ、あと一歩で欧州の頂点に立つことはできなかった。1977-78シーズンのブンデスリーガ最終節ではドルトムントを相手に12-0という驚異的なスコアで勝利するが、皮肉にもヴァイスヴァイラーが率いる1.FCケルンに4連覇を阻まれる。それでも1978-79シーズンには、二度目となるUEFAカップ優勝を果たす。
しかし、1980年代に入りフォクツ、ハインケス、クレフ、シモンセンといった栄光の時代を築いた主力が相次いで退団。指揮官のラテックもチームを去ってしまう。80年代はまだ上位を維持できていたものの、90年代に入るとチームは弱体化し中堅クラブとなってしまう。シュテファン・エッフェンベルク、マルティン・ダーリンらが在籍していた1993-94シーズンにDFBポカールを制するが、1995年のボスマン判決によって元来基盤の小さい育成型のクラブは、肥大化するサッカー市場の波についていくことができなくなる。1998-99シーズンはリーグ最下位に終わり、黄金期の終焉から20年後にツヴァイテリーガ(2部)へ降格することになる。
2001-2002シーズンにブンデスリーガへ復帰するものの、何とか1部の座を死守するのがやっとになっていた。チームは定期的に優秀な若手を育成するものの、財政的な厳しさからその有望な選手を他のビッグクラブへとすぐに引き抜かれる負の連鎖が続いていた。2006-07シーズンはマルセル・ヤンセンら国内外の代表選手を抱えながらも最下位に沈み、クラブ史上2度目の降格が決定する。2007-08シーズンのツヴァイテリーガに優勝し、ブンデスリーガへ1年で復帰したものの、毎年残留争いに巻き込まれ、2000年代はクラブの歴史にとってもっとも辛い時期となっていた。
2010-11シーズンも開幕から低迷し、前半戦折り返し時点で最下位に沈み、3度目の降格は不可避と見られていた。しかし、2011年2月にスイス人のルシアン・ファブレが監督に就任すると、冬の大型補強が当たったことも重なり、最後の12試合で勝ち点20を稼ぐ逆転劇によって1部残留を果たす。この残留劇で手ごたえを得たチームは2011-12シーズンにマルコ・ロイス、ダンテ、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲンを擁し、4位でシーズンを終える。相変わらず主力の引き抜きは絶えないものの、2004年にボルシア=パルクが完成したこともあって収益面が改善されるようになり、ブンデスリーガの上位チームとして定着するまでに復活する。2015-16シーズンには、37年ぶりにCLに出場する。
2020-21シーズンのCLではレアル・マドリード、インテル・ミラノ、シャフタール・ドネツクという激戦区のグループに入りながらも2位でグループステージを突破し、およそ40年ぶりに決勝トーナメント進出を果たす。しかしクラブを躍進に導いたマルコ・ローゼ監督が引き抜かれて以降は低迷するようになり、2021-22シーズンから3年連続で二桁順位に甘んじている。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ジェラルド・セオアネ | 1978.10.30 | 2023 | レヴァークーゼン | |
1 | GK | ヨナス・オムリン(C) | 1994.1.10 | 2023 | モンペリエ | |
2 | DF | ファビオ・キアロディア | 2005.6.5 | 2023 | ブレーメン | |
3 | DF | 板倉滉 | 1997.1.27 | 2022 | シャルケ | |
5 | DF | マーヴィン・フリードリヒ | 1995.12.13 | 2022 | ウニオン・ベルリン | |
7 | MF | ケヴィン・シュテーガー | 1993.8.27 | 2024 | ボーフム | |
8 | MF | ユリアン・ヴァイグル | 1995.9.8 | 2022 | ベンフィカ | |
9 | MF | フランク・オノラ | 1996.8.11 | 2023 | ブレストン | |
10 | MF | フロリアン・ノイハウス | 1997.3.16 | 2017 | デュッセルドルフ | |
11 | FW | ティム・クラインディースト | 1995.8.31 | 2024 | ハイデンハイム | |
13 | FW | 福田師王 | 2004.4.8 | 2024 | ボルシアMGⅡ | |
14 | FW | アラサヌ・プレア | 1993.3.10 | 2018 | ニース | |
16 | MF | フィリップ・サンダー | 1998.2.21 | 2024 | キール | |
19 | DF | ナタン・エングム | 2000.3.14 | 2022 | トゥールーズ | |
20 | DF | ルカ・ネッツ | 2003.5.13 | 2021 | ヘルタ・ベルリン | |
21 | GK | トビアス・ジッペル | 1988.3.22 | 2015 | カイザースラウテルン | |
22 | DF | シュテファン・ライナー | 1992.8.27 | 2019 | ザルツブルク | |
23 | MF | クリストフ・クラマー | 1991.2.19 | 2013 | ボーフム | |
25 | FW | ロビン・ハック | 1998.8.27 | 2023 | ビーレフェルト | |
26 | DF | ルーカス・ウルリッヒ | 2004.3.16 | 2008 | ヘルタ・ベルリン | |
27 | MF | ロコ・ライツ | 2000.5.29 | 2023 | シント=トロイデン | |
28 | MF | グラント=レオン・ラノス | 2003.7.20 | 2023 | バイエルンⅡ | |
29 | DF | ジョゼフ・スカリー | 2002.12.31 | 2021 | ニューヨーク・シティ | |
30 | DF | ニコ・エルヴェティ | 1996.9.30 | 2015 | チューリッヒ | |
31 | FW | トマーシュ・チュバンチャラ | 2000.8.13 | 2023 | スパルタ・プラハ | |
33 | GK | モリッツ・ニコラス | 1997.10.21 | 2016 | ローダJC | |
34 | FW | チャールズ・ヘルマン | 2006.1.21 | 2024 | ボルシアMGⅡ | |
38 | FW | イヴァンジェロ・ボルジェス・サンチェス | 2004.5.24 | 2022 | NEC | |
41 | DF | ヤン・オルショフスキー | 2001.11.18 | 2022 | ボルシアMGⅡ |
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最終更新:2024/12/02(月) 11:00
最終更新:2024/12/02(月) 11:00
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