バイエルン・ミュンヘン(FC Bayern München)とは、ドイツ・ブンデスリーガに所属するサッカークラブである。
本拠地はミュンヘン。ホームスタジアムはアリアンツ・アレーナ(フースバル・アレーナ・ミュンヘン)。
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1900年創設。ブンデスリーガ発足の初年度から参加したクラブではないが、歴史上唯一一度も1部リーグから降格したことがないチームであり、ブンデスリーガを31回、DFBポーカル(ドイツカップ)を16回、UEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップも含む)を6回制したことのあるドイツ屈指の強豪クラブであり、名実ともにドイツサッカー界の盟主となっている。
2020年の時点で6クラブのみであるビッグイヤーの永久保持が認められているクラブの1つであり、2013年と2020年にはCL、ブンデスリーガ、DFBポカールの三冠(トレブル)を達成している。ちなみに、トレブルを二度経験しているチームはバイエルン・ミュンヘンとFCバルセロナの2クラブのみであり、欧州を代表する強豪クラブの1つとなっている。
元会長のフランツ・ベッケンバウアー、現代表取締役のカール=ハインツ・ルンメニゲ、前会長のウリ・ヘーネスをはじめ、ゲルト・ミュラー、ローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメ、オリバー・カーン、フィリップ・ラームなど、ドイツサッカー史に残るビッグネームの多くが所属したクラブであり、歴代のドイツ代表の主力を多く構成している。
創立してから一度も赤字を出したことが無い、世界屈指の健全経営のクラブとしても知られており、欧州のビッグクラブでは異例の存在と言える。その背景には人件費の抑制とスポンサーなどによる安定収入の確保が完璧に近い形で実現されていることが挙げられている。また、株式の75%をクラブが保有したいるため、いわゆるオーナーが存在しない。ただし、選手の給与の上限も厳格に設定しているため、中心選手との契約交渉が成立せず流失してしまうこともある。
市としてのダービーマッチに1860ミュンヘンとのミュンヘンダービー、州としてはニュルンベルクとのハヴァリアンダービーがあるが、両チームが2部に低迷しているため近年は実現していない。2010年代以降はボルシア・ドルトムントが最大のライバルとされており、デア・クラシカーと呼ばれるナショナルダービーが注目されている。
一方でドイツ国内のライバルチームから中心選手を引き抜くことが多く、特に2010年代半ばからは国内最大のライバルであるドルトムントからロベルト・レバンドフスキ、マリオ・ゲッツェ、マッツ・フンメルスといった中心選手を次々と引き抜いており、結果国内タイトルの独占状態が10年近く続き、ブンデスリーガのタイトル争いの興味を失わせてしまったという批判も受けている。
日本人選手は、2012年に宇佐美貴史が期限付きで加入しているが、超名門クラブの壁は分厚く、出場機会をほとんど与えられないまま1年で退団している。
1900年、ミュンヘンのスポーツクラブに所属していたサッカーファンのメンバーによって作られたチームがクラブの起源である。1926年に南ドイツ・チャンピオンシップで優勝し、1932年には全国タイトルであるドイツ・チャンピオンシップで初優勝を果たした。この当時のクラブの会長も監督もユダヤ人だったが、その翌年にナチスの影響によってスポーツ界からのユダヤ人の排斥が決定する。
ナチスによるホロコーストは、第二次世界大戦の終結によって終止符が打たれるが、チームに与えた影響はしばらくの間残り、DFBポカールに初優勝した1957年までの25年間の間はタイトルを獲得できずにいた。
1963年のブンデスリーガ創設時の初期クラブに選ばれず、1965年に加入。その後、"皇帝"フランツ・ベッケンバウアー、"爆撃機”ゲルト・ミュラー、さらにはゼップ・マイヤーやウリ・ヘーネスといったサッカー史に残るレベルの名選手がチームに加入。1968-69シーズンにブンデスリーガ初優勝とDFBポカール優勝の国内二冠を成し遂げると、ここから彼らを中心とした1970年代の黄金時代を迎えることになる。特にチームの中心であり、絶対的なキャプテンだったベッケンバウアーの存在は絶大で、最後尾に位置する"皇帝"が攻守の全てを掌握する当時としては斬新だった「リベロシステム」を確立。稀代のスター選手を各所に配し、無類の勝負強さを誇ったチームは1972年から1974年までブンデスリーガ3連覇、1974年から1976年までUEFAチャンピオンズカップの3連覇を達成。ちなみに、1975年と1976年の優勝時に監督を務めていたのは「日本サッカーの父」と称されるデットマール・クラマーだった。また、1976年に初めてインターコンチネンタルカップを制覇している。こうして国内のみならずヨーロッパまでもを制圧したバイエルンは、以降ドイツの常勝軍団として君臨することになる。
ベッケンバウアーたち黄金時代を支えたメンバーがチームを去った1980年代にはカール=ハインツ・ルンメニゲ やローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、シュテファン・ロイター、ユルゲン・コーラーといった新たなスター選手の台頭もあり、1980年と81年、1989年と90年にブンデスリーガ連覇、1985年から87年までは3連覇を達成するなど国内のタイトルをほぼ独占し続けていた。一方、1980年代半ばあたりから世界最高リーグとしてイタリア・セリエAのチームにルンメニゲ、マテウス、ブレーメが引き抜かれたことも影響し、欧州のタイトルからは長らく遠ざかっていた。このイタリアのクラブへの選手の流出はその後も続き、戦力の低下を招くことになる。
1990年代に入ると、シュテファン・エッフェンベルクの数多くの問題行動が露見され、主力選手と当時監督だったユップ・ハインケスの確執が日常茶飯事のように勃発し、チーム内の雰囲気は険悪になっていた。1992-93シーズンにマテウスがチームに復帰するが、チームのいざこざは続き3シーズン連続でリーグのタイトルを逃すことになる。1994年にベッケンバウアー自らが一時的に監督に就任しリーグのタイトルを取り戻し、1996年夏に大型補強を敢行しチームを立て直そうとする。だが、補強の目玉だったユルゲン・クリンスマンとマテウスが対立するようになったことでチームは空中分解。「FCハリウッド」と揶揄された当時のチームはUEFAカップで優勝したものの、後味の悪いシーズンを過ごしていた。
1998-1999シーズンにはブンデスリーガ制覇を果たすも、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でマンチェスター・ユナイテッドにアディショナルタイムでまさかの逆転を許し屈辱の準優勝に喫した。この敗戦は、「カンプノウの悲劇」と呼ばれている。2000年代に入ってからは我の強かったベテラン勢を次々と放出し、規律を重んじるオットマー・ヒッツフェルトやフェリックス・マガトが監督に就任し、オリバー・カーンやミヒャエル・バラックというリーダーシップを取れる選手が中心となり、2005年からブンデスリーガ3連覇を達成。カンプノウの奇跡から2年後となった2000-01シーズンにはGKカーンの活躍もあって25年ぶり4度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たしている。また、2005-06シーズンより、34年間本拠地として使用してきたオリンピアシュタディオンからアリアンツ・アレーナにホームスタジアムを変更するようになった。
ヒッツフェルトが退任し、カーンが現役を引退した2008-09シーズンはユルゲン・クリンスマンが監督に就任。しかし、発想が斜め上のクリンスマンのやり方はチームバランスを壊し、過去10シーズンで最低の42失点と伝統的な強みだった守備が崩壊。2009-10シーズンに就任したルイス・ファン・ハールは、トーマス・ミュラーやダヴィド・アラバといった若手の抜擢、バスティアン・シュバインシュタイガーの中盤コンバートという改革が功を奏し就任1年目でブンデスリーガ優勝を果たす。しかし、ベッケンバウアーが会長を退き、ウリ・ヘーネスが会長を引き継いだ2010-11シーズンはファン・ハールの独善的なやり方が裏目に出てしまい、無冠に終わる。
2011-2012シーズンは、3度目となるユップ・ハインケスが監督に就任。しかしブンデスリーガ、DFBポカール、UEFAチャンピオンズリーグですべて準優勝に終わるなど苦汁を舐める。特にUEFAチャンピオンズリーグ決勝の舞台はバイエルンのホームであるアリアンツ・アレーナでの試合であり、史上最悪の屈辱であった。しかし翌2012-2013シーズンは、マティアス・ザマーがフロントに加わりハインケス監督へのサポートを強化。また、ハインケスの指導によってアリエン・ロッベンとフランク・リベリの守備意識の低さが改善されるようになったことで前線からの激しいプレッシングが実現できるようになる。さらにはミュラーやアラバ、トニ・クロースといった下部組織出身の若手がチームの中心選手に成長。その結果、史上最速でブンデスリーガを優勝すると、歴代最高勝ち点、得失点差、最低失点数等の様々な記録を更新した。またUEFAチャンピオンズリーグでは、ベスト8でイタリア王者であるユベントスを、ベスト4でスペイン王者であるバルセロナを退け、史上初のドイツ対決となった決勝では昨年度ブンデスリーガ王者ボルシア・ドルトムントを2-1で下し、12年ぶり5度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たした。その後、DFBポカールでも優勝し、ドイツ史上初の三冠(トレブル)を達成した。
前シーズンを以て三冠をもたらしたハインケスが勇退。2013-14シーズンからはジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。ライバルチームであるドルトムントのエースストライカーだったロベルト・レバンドフスキを引き抜き、中盤にスペイン人のシャビ・アロンソとチアゴ・アルカンタラが加入。ペップ式のスタイルは徐々にチームに浸透し、レバンドフスキも得点源として期待通りの働きを見せ、就任3年間でブンデスリーガ3連覇を達成。ロッベンとリベリが怪我で欠場した際は、ドウグラス・コスタとキングスレイ・コマンがその穴を埋める活躍を見せ、2015-16シーズンにはドイツ国内のタイトルを総なめにする。一方で、バックラインを高く押し上げるペップ戦術の弊害によって守備の課題が露呈し、UEFAチャンピオンズリーグでは相手に研究されたことで守備が崩壊。ビルドアップが分断され、直後のハイプレッシングが外された後の脆さを最後まで改善できず、グアルディオラ在任時の3年間で期待されたビッグイヤー獲得には手が届かなかった。
ペップがチームを去った後のバイエルンは、三冠獲得に貢献した「ロベリ」と呼ばれた両翼のアリエン・ロッベンとフランク・リベリーに別れを告げることになるが、中心選手が円熟期を迎えたことで国内では無双状態が続き、1強によるタイトル独占の時代を作り上げ、もはやブンデスリーガでの優勝は当然のことのような空気になっていた。2017年に主将のフィリップ・ラームとシャビ・アロンソが現役を引退したことが影響し、カルロ・アンチェロッティ監督と中心選手の確執が表面化したが、監督を引退していたハインケスの一時的な復職によって危機を乗り切っている。
2019年11月にハンジ・フリックが監督に就任すると、一時の不調から復調したトーマス・ミュラーがアシストマシーンへと変貌し、レバンドフスキがエースとしてさらに覚醒。また、チームの中心選手からの信頼が厚かったフリックは、チーム全体にハードワークと高いインテンシティを蘇らせることに成功さえることでやや停滞気味だったチームのムードを一変させる。2019-20シーズンのブンデスリーガを新型コロナウィルスによる中断期間を挟みながら独走状態で制すると、CLでは準々決勝のFCバルセロナ戦で8ー2という衝撃的なスコアで完勝。グループリーグから決勝まで全勝という史上初の記録を達成し、7年ぶり6回目のビッグイヤーを獲得。この年はDFBポカールも制しており、クラブ史上二度目となる三冠を達成。2020-21シーズンでは、レバンドフスキがゲルト・ミュラーの持つ1シーズンのゴール記録を49年ぶりに塗り替えるシーズン41ゴールを達成。ブンデスリーガ9連覇を成し遂げる。このシーズンを最後にハンジ・フリックはドイツ代表監督に就任するため退任となる。
2021-22シーズンからは34歳の青年監督であるユリアン・ナーゲルスマンが監督に就任。オリバー・カーンがクラブのCEOに就任する新体制となりながらついにブンデスリーガ10連覇を成し遂げる。一方、CLではビジャレアルCFを相手にまさかの敗戦を喫し、ベスト8止まりとなる。さらに、ナーゲルスマンの複雑で斬新な戦術に不満を抱いていたレバンドフスキがバイエルンとの契約延長に合意せず、FCバルセロナへ移籍。絶対的なエースストライカーを失ったチームは、2022-23シーズンのブンデスリーガで取りこぼしが目立ち、不安定な戦いを続ける。CLではFCバルセロナ、インテル・ミラノ、パリ・サンジェルマンといった強豪を次々と撃破しベスト8まで進んでいたが、2023年3月24日にナーゲルスマンの解任とトーマス・トゥヘルの監督就任が発表される。トゥヘル就任後も不安定な戦いが続き、ブンデスリーガ最終節を2位で迎え、無冠に終わる危機に直面する。しかし、最終節で得失点差によって逆転し、リーグ11連覇を達成。シーズン終了後、CEOのオリバー・カーンとSDのハサン・サリハミビッチの解任が発表される。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | トーマス・トゥヘル | 1973.8.29 | 2023 | チェルシー | |
1 | GK | マヌエル・ノイアー(C) | 1986.3.27 | 2011 | シャルケ | |
2 | DF | ダヨ・ウパメカーノ | 1998.10.27 | 2021 | ライプツィヒ | |
3 | DF | キム・ミンジェ | 1996.11.15 | 2023 | ナポリ | |
4 | DF | マタイス・デ・リフト | 1999.8.12 | 2022 | ユヴェンス | |
6 | MF | ヨシュア・キミッヒ | 1995.2.8 | 2015 | ライプツィヒ | |
7 | FW | セルジュ・ニャブリ | 1995.7.14 | 2017 | ホッフェンハイム | |
8 | MF | レオン・ゴレツカ | 1995.2.6 | 2018 | シャルケ | |
9 | FW | ハリー・ケイン | 1993.7.28 | 2023 | トッテナム | |
10 | FW | レロイ・サネ | 1996.1.11 | 2021 | マンチェスター・シティ | |
11 | FW | キングスレイ・コマン | 1996.6.13 | 2015 | ユヴェントス | |
13 | FW | エリック・マキシム・シュポ=モティング | 1989.3.23 | 2020 | パリ・サンジェルマン | |
15 | DF | エリック・ダイアー | 1994.1.15 | 2024 | トッテナム | |
17 | MF | ブライアン・サラゴサ | 2001.4.25 | 2024 | グラナダ | |
18 | GK | ダニエル・ペレツ | 2000.7.10 | 2023 | マッカビ・テルアビブ | |
19 | DF | アルフォンソ・デイヴィス | 2000.11.2 | 2019 | バイエルンⅡ | |
20 | DF | ブナ・サール | 1992.1.31 | 2020 | マルセイユ | |
22 | DF | ラファエル・ゲレイロ | 1993.12.22 | 2023 | ドルトムント | |
23 | MF | サシャ・ブイ | 2000.9.13 | 2024 | ガラタサライ | |
25 | FW | トーマス・ミュラー | 1989.9.13 | 2008 | バイエルンⅡ | |
26 | GK | スベン・ウルライヒ | 1988.8.3 | 2021 | ハンブルガー | |
27 | MF | コンラート・ライマー | 1997.5.27 | 2023 | ライプツィヒ | |
28 | DF | タレク・ブッフマン | 2005.2.28 | 2023 | バイエルンⅡ | |
39 | FW | マティス・テル | 2005.4.27 | 2022 | レンヌ | |
40 | DF | ヌサイル・マズラウィ | 1997.9.14 | 2022 | アヤックス | |
41 | MF | フランス・クレツィヒ | 2003.1.14 | 2023 | バイエルンⅡ | |
42 | MF | ジャマル・ムシアラ | 2003.2.26 | 2020 | バイエルンⅡ | |
45 | MF | アレクサンダル・パヴロヴィッチ | 2005.4.27 | 2023 | バイエルンⅡ |
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掲示板
19 ななしのよっしん
2013/05/26(日) 23:55:16 ID: IKo1lqZKRx
20 ななしのよっしん
2015/02/27(金) 15:16:23 ID: HMC3gl4yGJ
今日2/27はバイエルンの創立記念日!
自分の誕生日と同じ日だと知ったときはとても感動したよ
21 ななしのよっしん
2022/10/09(日) 14:43:44 ID: uOF/P7PLA7
俺がNHK−BSでブンデスリーガの放送を観ていた時に、今は亡きかーちゃんが「バイエルン・ミュンヘンってどんなチームなの?」って聞いてきたから、「ブンデスリーガにおける東京読売巨人軍みたいな存在だね」って言ったら、「へー、そうなんだ」って納得してたな…
間違って無いよな…俺?
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最終更新:2024/09/17(火) 17:00
最終更新:2024/09/17(火) 17:00
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