ヴェルダー・ブレーメン(SV Werder Bremen von 1899 e. V.)とは、ドイツ・ブンデスリーガに所属するサッカークラブである。本拠地はブレーメン。ホームスタジアムはヴェーザーシュタディオン。
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1899年に学生らによって創設されたサッカークラブを起源としている。ドイツのサッカークラブでは長い歴史を持つ名門であり、ブンデスリーガ4回、DFBポカール6回の優勝を誇る古豪であるが、2000年代に入ってからもいくつかのタイトルを獲得している。過去にはルディ・フェラーやミロスラフ・クローゼといったドイツを代表するストライカーが在籍していた。ただし、近年は低迷が続いており、2021-22シーズンには2部降格を経験している。
「ヴェルダー」という名前はドイツ語で「川の半島」を意味し、チームが最初のサッカーの試合を行った川沿いの競技場を暗示している。本拠地が「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメンということもあり、日本のサッカーファンからはたびたび「楽隊」と呼ばれている。
クラブの歌はブレーメンを拠点とするバンド、オリジナル・ドイチュマッハーの「Lebenslang Grün-Weiß」であり、ホームゲームの前にも必ず歌われる。また、チームがゴールを決めるたびに、船の汽笛の音に続いてザ・プロクレイマーズの「I'm Gonna Be (500 Miles) 」が演奏される。
同じ北ドイツの2大都市の一角であるハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとは長年のライバル関係にあり、両クラブの対戦は「ノルト・ダービー」と呼ばれ、北ドイツの覇権を争う戦いとして火花を散らしている。ただし、近年は両クラブとも低迷しており、優勝争いから程遠い位置にいる。
日本人選手では1981年から1986年まで奥寺康彦が在籍。「東洋のコンピューター」と称され、ファンから愛された。2018年から2021年までは大迫勇也が所属。現在はセカンドチームにあたるブレーメンU-23に佐藤恵充が所属している。
1899年2月4日、ブレーメンに住む学生が、綱引き大会の賞品としてサッカーボールを貰い受けたことを契機に「フッスバルフェライン・ヴェルダー・ブレーメン」として創設。創設以来、クラブは高等教育を受けた男性を対象としていたが、1919年に女性会員の受け入れを認め、その後に陸上競技、チェス、テニス、野球、クリケットなどの他のスポーツ部門が新たに設立される。
1960-61シーズンにDFBポーカルで初優勝。これがクラブ初のビッグタイトルとなった。1963年から始まったブンデスリーガには初年度から参加しており、1964-65シーズンには守備の要のホルスト=ディーター・ヘットゲスらを擁してリーグ初優勝も成し遂げている。1960年代は強豪として名を馳せていたが、1970年代に入るとクラブは低迷、1979-80シーズンには2部降格も経験した。しかし1980年代に入り、1980-81シーズンで1部復帰を決める。
昇格後にオットー・レーハーゲルが監督に就任したチームはメキメキと頭角を現し始め、ルディ・フェラーやフランク・オルデネビッツやトーマス・シャーフ、ブルーノ・ペッツァイ、奥寺康彦といったをタレントを擁し、毎年のように優勝争いに食い込み始める。所謂ブレーメンの黄金時代である。そしてついに1987-88シーズンに2度目のブンデスリーガ優勝を果たした。
1990年代に入ってもレーハーゲル体制の元で黄金期は続き、1990-91シーズンに2度目のDFBポカール優勝を果たすと、1991-92シーズンにはUEFAカップウィナーズカップに優勝し、クラブ初の国際タイトルを獲得。1992-93シーズンは司令塔アンドレアス・ヘルツォークとストライカーのウィントン・ルーファーのコンビで強力な攻撃陣を形成し、3度目のブンデスリーガ優勝。「個人がチームの為に戦う」スタイルで14年間で成功を収めたレーハーゲルだったが、1995年にバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれる形で退任。クラブが予算規模を縮小したこともあってレーハーゲル時代の主力も次々と退団する。
90年代後半は降格の危機に直面する低迷期を迎えるが、1999年にトーマス・シャーフが監督に就任。シャーフはレーハーゲルの哲学を継承しつつ、より攻撃的なスタイルを確立。1998-99シーズンにDFBポカール優勝を果たし、そこから世代交代に着手。2003-04シーズンにはジョアン・ミクー、イヴァン・クラスニッチ、アイウトンの攻撃陣を擁し、ブンデスリーガとDFBポカールの二冠を達成。翌シーズンからはアイウトンに代わって加入したミロスラフ・クローゼが新たなエースとして活躍し、その後もジエゴやメスト・エジルといった個性的なタレントが台頭し、優勝争いの常連となっていた。2008-09シーズンのUEFAカップでは決勝まで進出するも、シャフタール・ドネツクに敗れ、惜しくも準優勝となったが、DFBポカールでは6回目の優勝を飾っている。
だが、2010年代に入ってからチームは低迷するようになる。14年間チームを率いたシャーフ監督が2013年に勇退して以降はクラブの財政難もあってタレントを確保できず弱体化に拍車がかかる。残留争いに巻き込まれることも少なくなくなり、2019-20シーズンは最終節の大迫勇也の活躍で辛うじて入れ替え戦に回り、降格を免れたが、2020-21シーズンは終盤にシャーフを監督に復帰させる荒療治も実らず41年ぶりの2部降格が決定。2022-23シーズンに1年でのブンデスリーガ復帰を果たしている。
| 背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 監督 | ホルスト・ステッフェン | 1969.3.9 | 2025 | SVエルフェアスベルク 監督 | |
| 3 | DF | 菅原由勢 | 2000.6.28 | 2025 | サウサンプトンFC | |
| 4 | DF | ニクラス・シュタルク | 1995.4.14 | 2022 | ヘルタ・ベルリン | |
| 6 | MF | イェンス・ステーイ | 1996.11.8 | 2022 | FCコペンハーゲン | |
| 7 | FW | サミュエル・ムバングラ | 2004.1.16 | 2025 | ユヴェントス | |
| 8 | DF | ミッチェル・ヴァイザー | 1994.4.21 | 2021 | バイヤー・レヴァークーゼン | |
| 10 | MF | レオナルド・ビッテンコート | 1993.12.19 | 2019 | ホッフェンハイム | |
| 14 | MF | センヌ・リネン | 1999.2.19 | 2025 | ユニオンSG | |
| 17 | FW | マルコ・グリュル | 1998.7.6 | 2020 | ラピッド・ウィーン | |
| 20 | MF | ロマーノ・シュミット | 2000.1.27 | 2019 | ヴォルフスベルガー | |
| 27 | DF | フェリックス・アグ | 1999.9.27 | 2020 | VFLオスナブリュック | |
| 30 | GK | ミオ・バックハウス | 2004.4.16 | 2022 | FCフォレンダム | |
| 32 | DF | マルク・フリードル(C) | 1998.3.16 | 2018 | バイエルン・ミュンヘン | |
| 39 | DF | マクシミリアン・ウーバー | 1998.2.4 | 2025 | リーズ・ユナイテッド | |
| 44 | FW | ヴィクター・ボニフェイス | 2000.12.23 | 2025 | バイヤー・レヴァークーゼン |
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最終更新:2025/12/16(火) 09:00
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