フェアリーキングプローン(Fairy King Prawn 香港表記:靚蝦王)とは、1995年オーストラリア産まれのセン馬の競走馬である。
香港調教馬として初めて日本のG1を制した馬。
父Danehill(デインヒル)、母Twiglet(ツイッグレット)、母父Twig Moss(ツイッギモス)という血統。
父デインヒルは英愛リーディングを3年連続獲得(2005-2007)しただけでなく、当時としては珍しかったシャトル種牡馬(北半球と南半球の季節のズレを利用して、北半球の種付けオフシーズンの時期に南半球の繁殖牝馬に種付けを行う事)の先駆けを行い、オーストラリアで9度リーディングを獲得し大成功した名馬。
母父ツイッグモスはトウルビヨンの血を引くヘロド系の馬で、オーストラリアで複数のG1馬を出すなど活躍した。
・・・あれフェアリーキング(サドラーズウェルズの全弟)関係ないの?と思った人もいるかもしれない。この馬名についてだが、馬主の好物がエビだったようで意味合いとしてはフェアリーキング・プローンではなく、フェアリー・キングプローン(活きの良い大きなエビor妖精の様に華麗な大きなエビ)というのが正しい。
※香港の競馬は日本とは違い9月から翌年の7月までが1シーズンに値する為、本稿では(例:99-00シーズン)と表記する。
97-98シーズンの3月にデビュー。ここを頭差で勝利し、続く98-99シーズンの緒戦も勝利。そこからは好敵手となるベストオブザベスト相手に2戦連続2着。しかしながらベストオブザベストの居ないレースを2連勝し、2着を1度挟んで迎えた5月のチェアマンズプライズ(国際G1、現在はグローバルスプリントシリーズ対象)のレースをベストオブザベストやオリエンタルエクスプレス(タイキシャトルが勝った1998年安田記念の2着馬)を抑えて重賞初制覇。
2週間後のG2は2着に敗れたが97-98シーズンを8戦4勝2着3回の好成績で香港最優秀短距離馬のタイトルを獲得した。
98-99シーズンの休み明けは7着、2着だったが12月の香港スプリントでは各国の強豪相手に2着に1馬身差を付け勝利した。しかしながら年明けからの2戦共に2着に敗れた所で馬主はフェアリーキングプローンをイウ厩舎からアイヴァ・アラン厩舎に転厩させる。
この転厩の背景には、予てから意識していた日本の安田記念の出走に向けて、オリエンタルエクスプレスやインディジェナス(スペシャルウィークが勝った1999年ジャパンカップ2着馬)等の国際レースの経験が豊富な厩舎に任せると言うのが理由であった。
転厩緒戦のチェアマンズプライズを直線の長い府中を意識するかの如く道中を最後方からレースを進めるが首差及ばず2着。それでも陣営はレース内容に満足し、安田記念へと駒を進めることとなった。
この年の安田記念は前年の東西マイル覇者のエアジハードが屈腱炎で既に引退している他、グラスワンダーが宝塚記念に向かう為本命がおらず、1番人気は京都牝馬特別、京王杯スプリングカップを連勝していたスティンガーであったがオッズは4.5倍であり、以下ブラックホーク、キングヘイロー、シンボリインディらのG1 馬が続いたが、前年のオークス馬ウメノファイバーのオッズが8番人気にも関わらず10.1倍と誰が勝ってもおかしくないと言わんばかりの混戦を極めていた。
その中でフェアリーキングプローンは39.9倍の10番人気と低評価であった。これまでの勝ち星は全て1400以下で距離が持たないと判断されたのだろうが、本馬の他にもう1頭だけいたイギリスを本拠地とする外国馬のディクタットも同じなはずなのに彼は8.6倍の6番人気に支持されていた。当時の香港競馬のレベルはヨーロッパや日本よりも格下だと見られていたのであろう。
レースは中団のやや後方を進み、直線で外に持ち出すとグングン加速してまとめて差し切り、最後はディクタットの追撃を1馬身1/4抑えて香港調教馬としては初の日本のG1の勲章を手にした。
99-00シーズンの成績は7戦2勝であったが、香港スプリントと安田記念の勝ちが評価されて香港年度代表馬・最優秀マイラー・最優秀短距離馬の3つのタイトルを受賞した。
その後の00-01シーズンも安定した走りを見せ、香港マイルで2着、ドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)を2着、チェアマンズプライドを4馬身差で圧勝するなど香港を代表する馬として活躍。しかしながら連覇を狙った安田記念では前年の伸びが全く見られない走りで9着と惨敗。
それでもこの年9戦4勝2着3回の好成績で2年連続の年度代表馬・マイラー・短距離馬の3タイトルを受賞。
01-02シーズンも現役を続行し、1400mのレースをレコードで完勝したが、直後に右前脚の脚部不安を発症してしまい、復帰を目指したが断念、引退することとなった。
通算成績は26戦12勝。4着以下になったのは4回だけであり、後は全て3着以上と安定感抜群の馬であった。
現役引退後はセン馬であるが故、香港の競馬ファンにいつでも会える様にと馬主の意向で屯門の公立騎乗学校(乗馬スクール)で余生を送っている。
本馬の活躍以降、サイレントウィットネス(2005年スプリンターズステークス)、ブリッシュラック(2006年安田記念)、ウルトラファンタジー(2010年スプリンターズステークス)、エアロヴェロシティ(2015年高松宮記念)が日本のG1を制している他、2018年の宝塚記念でワーザーがミッキーロケット相手に僅差で2着になっている。
また香港競馬の知名度、レベルも急激に上がっており、中でもスプリント路線では豪州と並んで世界トップレベルと言えるが、12月の香港ミーティングで世界各国の強豪が集まっているのが大きいであろう。かつてのジャパンカップでもヨーロッパの強豪が来日していたが今や香港にその立場を奪われてしまっている。
日本の競馬も彼のような国際的な知名度を上げるヒーローが現れて欲しい他に、競馬関係者にジャパンカップがどうして創設されたのかをもう一度考え直して欲しいと筆者は願っている。
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最終更新:2025/12/13(土) 10:00
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