マッサは、マッサである。(MASSAisMASSA)
真面目に言うとフェラーリのブラジル人F1ドライバー兼バナナボーイである。フルネームはフィリペ・マッサ(1981-)。チームメイトは2007年チャンピオンのライコネン。セカンドドライバーなどとも揶揄されるが、マッサはマッサである。現ホンダの某ドライバーではない。←今やそんな話は過去の話となっている。
だが
2010年ドイツGPでチームメイトの眉毛フェルナンド・アロンソに順位を譲るよう、誰が聞いても分かるような無線で指示を受ける。セカンドドライバーである事が確定してしまった。
通算勝利11勝('09終了時点)。得意なものはポールトゥウィンと左回りサーキット(イスタンブールやインテルラゴスなど)。11勝中8勝がポールトゥウィン、5勝が左回りサーキットである。トルコマイスターの称号を得ている。苦手なものは雨。
2006年ザウバーからフェラーリに移籍し、ミハエル・シューマッハのチームメイトとして活躍。トルコGPで初優勝。
2007年ヨーロッパGPでは終盤アロンソに抜かれ2位。レース後、アロンソとイタリア語で口論しているシーンが全世界に中継された。トルコGPはもちろんポールトゥウィン。また同年日本GPでは雨の中ファイナルラップでクビサと熾烈な6位争いを演じた。最終戦ブラジルGPではライコネンのチャンピオン獲得をアシスト。
2008年 開幕から2戦連続スピンでリタイアし、バッシングされる。その後、調子を取り戻し、不調のチームメイト・ライコネンを差し置き、2008年のチャンピオンシップ争いはハミルトンとの一騎打ちとなった。しかし、ハンガリーGPにおけるトップ走行中のエンジントラブル、シンガポールGPでの給油ミスなどがひびき、最終戦ブラジルGPハットトリックは達成するが1pt.差でワールドチャンピオンを逃した。
2008年最終戦。マッサは優勝しても、ハミルトンが6位以下でなければ、マッサのワールドチャンピオンはないという状況だった。マッサが1位、ハミルトンが4位で迎えた終盤、急に振り出した雨により、マッサやハミルトンもふくめ各車はピットインしウェットタイヤにかえたが、7位走行中だったグロックはタイヤを換えずにそのまま留まった。
その結果、グロックが4位に浮上し、ハミルトンは5位に転落。さらに、6位走行中だったベッテルにハミルトンは抜かれ、6位転落。この時点でマッサはトップでチェッカーフラッグを受け、マッサのチャンピオン獲得と思われたが、ドライタイヤで走行を続けていたグロックが失速、最終コーナーでグロックがハミルトンにかわされたことによりハミルトンの5位が確定。マッサはワールドチャンピオンを1pt.差で逃すこととなった。
ハンガリーGPのQ2でマッサが走行中、バリチェロが落としたサスペンションのバネが飛来しマッサの頭に直撃。ブレーキを踏んで減速しタイヤバリアに突っ込んだ。頭蓋骨の骨折という生死にかかわる重傷を負ったが、現在は意識も回復し、容態も安定している。2009年中のレース復帰は厳しいとされ、残りのレースの代役を誰にするのか注目されていたが、一度はミハエル・シューマッハが選出された。
しかしシューマッハはバイクレースでの事故が祟り(首を痛めていた)復帰を断念、同チームのテストドライバーであるルカ・バドエルがヨーロッパGP・ベルギーGPと代役を務めた。しかしブランクの長かった(その前に決勝を走ったのは1999年)バドエルは2戦でお役御免となってしまう。イタリアGPからはジャンカルロ・フィジケラがフォース・インディアから移籍することになった(余談だが、フィジケラはバドエルの後任として2010年のテストドライバーの契約をフェラーリと結んだ)。
マッサまた戻ってきてよマッサ(´・ω・`)
なお、現在F1で使用されている2004年世界モータースポーツ評議会で承認されたヘルメットでなければ、重症化、もしくは死亡していたのかもしれない。F1の安全性を向上させる取組みが実ったともいえる。
ドイツGPまでに、マッサはチャンピオン争いの可能性が残るアロンソに対してポイントで大きく後れを取っていた。ドイツGPはトップがマッサ、2位がアロンソでレースが進行していた。アロンソのほうがペースが速かったが、オーバーテイクできるような速度差はない。そんな膠着状態が続いていたレース後半、マッサに無線が飛ぶ。「FERNANDO IS FASTER THAN YOU --can you confirm you understood that message?」("フェルナンド(アロンソ)は君より速い" ―この言葉の意味がわかるか?)
47周目、マッサはヘアピンの立ち上がりで誰がどう見ても不自然にペースを落とし、アロンソを先行させた。
FIAはレース後にフェラーリに対しチームオーダー禁止ルールを違反したとして10万ドルの罰金を科した。F1はチームスポーツであるべきとの立場をとるフェラーリは以前からチームオーダーに肯定的であり、チームオーダー禁止ルールを何かにつけて批判していた(フェラーリのモンテゼーモロ社長いわく、「あんなものは偽善だ」)。この一件を機に、チームオーダーの是非について議論がなされ、ついに2011年からチームオーダーが解禁されることとなった。
結果論になるが、このチームオーダーが最終戦でのアロンソのチャンピオン争いを大きく有利にした(アロンソは結局チャンピオンを逃したが。)。
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最終更新:2025/12/13(土) 19:00
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