マクラーレン・オートモーティブとは、イギリスのスーパーカーメーカーであり、マクラーレン・レーシングと同グループの企業である。
1963年、オーストラリア人のドライバーであるブルース・マクラーレンがテディー・メイヤーらと興したブルース・マクラーレン・モーターレーシングは、主にF1を中心としたフォーミュラやアメリカのスポーツカーレースであるCan-Amに参戦していた。
その中で、ブルースの野望はエンツォ・フェラーリのようにレーシングカーとイメージの結びついたロードカー、つまり後のスーパーカーを販売するビジネスを立ち上げることにあった。
1969年、Can-Am用マシンをベースにしてシボレー製V8エンジンを装備した初のロードカー、M12クーペを開発。市販に向けた開発は順調だったが、1970年にブルースはそのCan-Amマシンのテスト中に事故死してしまう。
残されたテディー・メイヤーやスタッフはレース活動に専念することになったため、このM12クーペはたった8台だけの幻の車となった。こうして、20年以上もの間マクラーレンの名を冠したロードカーが世にでることはなかった。
マクラーレンは1980年にロン・デニス率いるプロジェクト4と合併。これ以降F1を代表するトップチームとなっていったのはよく知られているが、F1のみならずスーパーカーの世界にもマクラーレンは打って出ることを決めた。
あの傑作マシンMP4/4を設計した鬼才のデザイナー、ゴードン・マーレイにF1から身を引かせて1990年にマクラーレン・カーズを設立。これまでにないロードカーを作ることになった。
かくして、1991年にマクラーレンF1が発表。ドライバーをセンターにパッセンジャーを両脇に乗せる3人乗りという斬新なコクピットのこの車は、当時の値で1億円もしたが、それでも赤字必至のコストがかかっていた。
このF1は、レース仕様のGTRが1995年のル・マン24時間レースで総合優勝。FIA-GT、JGTCなどのレースで大活躍し、マクラーレンの名をスーパーカー市場でも大いに轟かせることになった。
2003年には、当時ジョイントしていたメルセデスと共同開発したSLRマクラーレンが発表。あくまでメルセデスの車ではあるが、その名が示すとおり、紛うかたなきマクラーレンのマシンであった。
2009年、マクラーレン・オートモーティブが設立。それまでのマクラーレン・グループの一部門から独立した資本を持つメーカーへと脱皮したのである。経営的にもグループから独立することが示唆されたが、結局これは見送られることになった。
2011年にレースへの投入を考慮しない本格的なスーパーカーとして、MP4-12Cを発売。名実ともにマクラーレンはスーパーカーメーカーに名を連ねることになった。
なお、メーカーのポリシーとしては「1年の生産台数を5000台以上作らない。絶対に作らない。」「決してSUVや4WDを作らないし、作る予定も作る気持ちもない。そもそもそんな車種には興味が無い」と言い切っている。他の名だたるスーパーカーメーカーがこぞってSUVや4WDを作るようになったのに、マクラーレンはどこまでも硬派で頑固なメーカーであろうとしているのである。
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最終更新:2025/12/13(土) 13:00
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