七夕の悲劇とは、以下のことを表す。
1998年、千葉ロッテマリーンズは開幕から好調だった。
4月と5月を20勝21敗とそこそこの成績で乗り切り、ここから再び首位を狙っていく、はずであった。
6月13日、対オリックス・ブルーウェーブ12回戦。
先発の小宮山が5回途中5失点と大乱調。
試合も逆転負けを喫する。
ここからが長いトンネルの始まりだった。
そこからは投打のかみ合わない試合が続いた。
18安打を放ちながら勝てず・・・
9回に逆転するも勝てず・・・
背景には、抑え不在による終盤の不安定さがあった。
“ダブルストッパー”成本年秀、河本育之の故障に加え、補強したスコット・デービソンも5月に故障。
そんな中近藤昭仁監督は窮余の策として、連敗の前日好投していた先発投手・黒木知宏を配置転換し、5連敗中の日本ハム戦で抑えとして登板させた。
しかし、コレも裏目。先発完投型の黒木はリリーフに適応できず、2試合で立て続けに炎上。
黒木はその2試合後の近鉄戦、延長11回に登板するも、ここでも打ちこまれ決勝点を与えてしまう。
実に救援失敗を3度も繰り返し、チーム20年ぶりの10連敗を喫したところで、近藤監督はストッパー黒木を諦めた。
この間、小宮山はこの間防御率リーグトップになりながらも勝てず、薮田に至っては12安打を浴びて炎上しては負け、完投すれば西武・西口に完封を喰らい負ける…といった先発事情からも分かる通り、ツキもなかった。
実際、抑え不在を除けば、チームのどこかが明らかに不振に陥っている訳ではなかった。
投手陣の継投や打線の援護が恐ろしく噛み合わず、野手陣は打ちながらも拙攻が続いた。
逆に乱打戦となれば、投手陣は崩壊した。
そういう試合を繰り返し、マスコミが徐々に注目をし出す中、気付けばチームは最下位に真っ逆さま。
投手コーチは更迭され、球団社長は謝罪した。
パ・リーグの連敗タイ記録15がかかるホームゲームの試合では、試合前前代未聞のお祓いが行われたが
その試合も9回土壇場で追いつくも、その後ダイエー・井口の2ランで息の根を止められ、またしても延長戦で敗戦。
気がつけば15連敗。次負ければ、パ・リーグ新記録&日本タイ記録という状況にまでなってしまっていた。
連日の連敗記録はスポーツニュースで盛んに取り上げられるようになり、
記録がかかったこの日のマリンスタジアムには2万人超の観客が集まった。
しかし試合はダイエーが城島健司、井口資仁のホームランなど21安打の猛攻。
対するロッテは2度の満塁機を含む3併殺などで相変わらず打線が噛み合わず、10-3で敗戦。
ヤクルトアトムズが1970年に作ったNPB記録に、とうとう並んでしまった。
7日に先発予定の黒木はロッカールームでモニター観戦していたが、
10点目をとられた7回で見るのをやめたという。
「16連敗に怒ったファンが、暴動を起こすのではないか…」
なぜなら1996年、ダイエーの選手らが乗るバスをファンが取り囲み、生卵を投げつける事件があった。
それを思い出して恐ろしくなった黒木は、試合途中で球場から逃げ出してしまったのだ。
だが、自宅でスポーツニュースを見た黒木は、愕然とする。
黒木が恐れたとおり、試合終了後のスタジアム正面には、500人ものマリーンズファンが集まっていた。
しかし…
俺達の誇り、千葉マリーンズ!
どんなときも、俺達がついてるぜ!
突っ走れ、勝利の為に!
さあ行こうぜ!千葉マリーンズ!ラララララ......
16連敗を喫したマリーンズを「俺達の誇り」と歌い続けるファンの姿が、そこにあった。
黒木はファンを恐れ、逃げだした己を恥じた。そして誓った。
「これからはファンの為に投げよう。懸命に投げよう」
「次は最初から目一杯行く。腕が千切れたって構わない!」
そして七夕の夜、悲劇の幕は開いた。
ロッテ先発はエース黒木、対するオリックス先発は木田であった。
パ・リーグで、かつ5位と6位の試合。しかも平日のナイター。
にも関わらず、グリーンスタジアム神戸には2万人を超える観客が詰めかけた。
さらに、テレビの全国中継まで入っていた。
試合はロッテが福浦和也、フリオ・フランコの犠牲フライ、マーク・キャリオンのHRで3点を取り試合を優勢に進める。
黒木は4回に暴投で1点を与えたものの、イチロー擁するオリックス打線を8回2安打に抑え、打線の援護に応えた。
この間、黒木は全く覚えていないという。
真夏の夜に初回から飛ばし過ぎたツケで、体は途中から脱水症状を起こしていた。
どんなに水を飲んでも体調は戻らず、球威も徐々に落ちていった。
ところが9回、黒木の球威は突然復活した。黒木曰く「ゾーンに入った状態」だったという。
先頭のイチローを空振り三振にきって取る。1アウト。
次打者トロイ・ニールはヒットで1アウト1塁。
続く谷佳知は三振で2アウト1塁。
そしてバッターは今日無安打のハービー・プリアム。
勝てる・・・勝てるんだ・・・!
カウントは2-1、あと1ストライクで勝てる・・・!
だが、黒木が投じたこの試合の139球目は福澤洋一の構えたミットではなく…
無情にも、マリーンズファンが集まるレフトスタンドに吸い込まれていった。
プリアムの同点HR。
その場に崩折れた黒木は、立ち上がることができなかった…
その後、試合は延長12回にオリックスの代打、広永益隆が代打満塁サヨナラHRを放ちオリックスが勝利。
この瞬間、ロッテの17連敗が確定し、連敗の日本記録を更新した。
力を使い果たした黒木は脱水症状からくる全身の痙攣に襲われ、一時は命を落とす危険性すらあったという。
結局翌日の試合も負け、連敗記録は18まで伸びたが、翌々日は連敗の始まりとなった試合の敗戦投手である小宮山が完投(9回140球6失点)し勝利。晴れて連敗は止まったのであった。
皮肉にもこの敗戦によって人気を得た黒木はその後、初めてオールスターに選出された。
そしてこの年、投手三冠まであと一歩(最多勝、最高勝率、防御率2位)という素晴らしい成績を残すことになる。
それから19年後の2017年シーズン、この七夕の悲劇以来となる神戸でのロッテ対オリックス戦が開催された。
前回同様平日のナイトゲーム、ロッテ先発はエースの涌井秀章、対するオリックス先発はルーキーの山岡泰輔だった。
オリックスは小刻みな安打で涌井を攻め、5回裏に小谷野栄一のタイリーヒットで先制する。
しかし7回表にジミー・パラデスのソロホームランでロッテが同点に追いつくと、両軍継投に入るが
9回に登板したオリックスの守護神・平野佳寿が1死2,3塁のピンチを作ると、
奇しくも19年前のロッテの選手唯一の生き残りである福浦和也が代打で登場し犠牲フライを放ち、その後満塁となったところで、19年前はダイエーに所属し18連敗中のロッテを苦しめていた井口資仁が押し出し四球を選び更に1点を追加して勝ち越した。
その後その裏を内竜也が無失点に抑えてこの試合を終え、ロッテが勝利。ヒーローインタビューには福浦が選ばれた。
6位ヤクルト vs.1位広島12回戦。8対3でリードしていたヤクルト。5点差の9回表に登板してきたのはなぜかライアン小川泰弘。エース登板で万全を期したかと思いきや、いきなりバティスタにホームラン。次の田中は抑えるも次の菊池にまたもホームラン。さらに丸に四球を与え次はアウトにするも次の松山にタイムリーツーベース。次の西川には内野安打。そして代打で出てきた新井貴浩に逆転3ランホームランを食らってしまった。試合はそのまま8対9で試合を終えた。
ヤクルトはそのまま調子を上げられずこの試合を入れて引き分け1試合挟み今シーズン2度目の10連敗を喫して前半戦を終えた。
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最終更新:2025/12/11(木) 12:00
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