今川氏真 単語


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今川氏真』(1538-1614)とは、日本の戦国時代の武将(大名)で、当世きってのファンタジスタである。

五郎・彦五郎・上総介・刑部大輔

概要

戦国大名・今川義元の嫡男として生まれる。母は武田信虎の娘。

父・義元は駿河・遠江・三河を支配して「海道一の弓取り」と呼ばれた実力者であったが
尾張攻め(上洛であったとも言われる)の際、田楽狭間で討死(桶狭間の合戦)。

家督を継ぐものの松平元康(後の徳川家康)が離反して岡崎で独立、三河の地を失う。
その後も領内は安定せず、氏真はやがて政務を省みなくなり蹴鞠などの遊びに耽溺する。
武田信玄からの圧力を受けた氏真は駿府を追われ、わずか100騎余りで遠州掛川城に逃げ込む。更に徳川家康が圧倒的な戦力で攻めかかり、「1日も持たぬ」と言われた掛川城だが、朝比奈泰朝を初めとする家臣達の奮戦により、なんと5ヶ月もの間城を守り抜く(由比正純はこの時に戦死)。結果、和議による城の退去となり、氏真と家臣達は滅亡に至らず、生き残ることができた。この和議は、氏真が家臣達の助命を条件としたとも、家臣達が氏真の助命を条件にしたとも言われている。(結果的に両方生き残ったわけだが)
その後は北条家、徳川家などの庇護を受けながら各地を放浪する。1575年にはなんと京都で織田信長との謁見までしている。最後は1612年、駿府で徳川家康と会見し、そのまま江戸品川に居を構えた。
徳川の天下になってから旧領500石を正式に安堵され、品川家と名を変えた今川家は高家として命脈を保った。

かなり数奇な運命を辿ったが、夫婦円満・家名存続・子孫は高家と、歴史の結果から見れば勝ち組ともとれる生涯である。

氏真の個人スキル

氏真は蹴鞠しか出来ないと思われているが決してそんなことはない。

和歌を権大納言冷泉為和らより学び、後水尾天皇選の集外三十六歌仙にも名を連ねる。
蹴鞠を飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱に師事。後に織田信長と会見したとき、その蹴鞠の技を披露する。
剣術を塚原卜伝に新当流を学び、皆伝。足利義輝の兄弟子に当たる。後に研鑽を重ね今川流を興す。

ちなみに、和歌は生涯に1,700首余りを詠んでおり、哀愁や諦念というより、もはや悟りの境地に達しているようなグッと来るものが多い。特に北条氏康死後、北条家から出奔する時に詠んだと言う、

『なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして』

は氏真の代表的な歌として知られている。(太閤立志伝の影響で、氏真の時世の句と間違われている事が多い。)

氏真の人望と妻早川殿

家の衰亡を招いたとして、戦国大名としては非難を受ける事の多い氏真だが、個人スキルを見てもわかるとおり決して無能ではない。むしろ父である今川義元が桶狭間で戦死した段階で、家中の主だった武将もかなりの数が討ち取られており、そこで一気に滅亡せず、数年持ちこたえただけでも大したものだと言える。

忠義など屁でもない戦国期(※)において、安部元真・岡部正綱・岡部元信・朝比奈泰朝・由比正純など、最後まで氏真を支え、放浪時に付き従った者まで居た程であり、人望があった事が伺える。氏真も彼らや元家臣達の再就職のために推薦状を何十と書くなど、涙ぐましい努力をしている。

ただ、それは、今川滅亡まで形だけでも忠義を尽くした家臣に限っての事。父のことは「戦国の習い」とさらりと恨みを流し、父の死後独立した徳川家とも友好的に付き合い続けた氏真であるが、裏切った家臣に関しては生涯恨み続け、後に信長と知り合う機会を得るや今川を裏切り北条や武田に付いて今川滅亡のために動いた家臣への復讐のため、織田家にアドバイザー的な立場で協力を続け、信長にも頼られている。(ただし、一言多い質だったせいか、信長とは後年ケンカ別れしているが)

※武士の忠義がもてはやされるのは江戸時代、天下泰平の御世となってからであり、戦国時代の主従関係とは大いに異なる。下克上が当たり前で、肉親縁者も頼 りにならない(実際武田信玄に攻められてオワタわけだが)時代において、家が傾き、放浪の身となっても忠義を尽くされるというのはよほどの事である。

また、氏真の妻は北条氏康の娘で『早川殿』と呼ばれていたが、夫婦仲はとてもよかったらしく、北条家に身を寄せたときはもちろん、北条家を出奔し各地を放浪する時も夫と行を共にしている。氏真との間には1女4男?を設けており、この娘は吉良家(後の吉良上野介の家)に嫁いでいる。また、長男範以は今川家を・次男高久は品川家を称している。

江戸品川に定住した翌年に早川殿は亡くなっているが、それにショボーン気落ちしたのか氏真はめっきり元気が無くなってしまったという。、その翌年、氏真も妻の後を追うように没した。現在に唯一伝わっている氏真の肖像画は、没する前の早川殿と対になって描かれたものである。

ファンタジスタ・氏真

1575年、家康とともに上洛した氏真は信長に謁見。3月20日に相国寺において蹴鞠を披露している。
蹴鞠については相当な達人だったようで、信長のほうから「見たい」と言ったようである。

時は変わって現代。
球を蹴って競う「サッカー」は世界的に愛され、ワールドカップは現代における戦争とまで言われるようになった。
日本もどうにかこうにかワールドカップ出場までは実力をつけたが、慢性的なストライカー不足に悩まされる。
日本代表の不甲斐ない(QBKなど)試合を見たファン(主に2ちゃんねらーやニコ厨)は言うのであった。

今の世に、ファンタジスタ・氏真がいたら、と。

ゲームでの登場

信長の野望

信長の野望」(PC)シリーズにおける今川氏真の能力一覧 

軍事能力 内政能力
群雄伝(S1) 戦闘 13 政治 15 魅力 60 野望 20
武将風雲録(S1) 戦闘 21 政治 26 魅力 77 野望 21 教養 88
覇王 采配 72 戦闘 10 智謀 8 政治 61 野望 5
翔記 戦才 32(C) 智才 60(C) 政才 124(C) 魅力 84 野望 10
将星録 戦闘 18 智謀 11 政治 57
烈風伝 采配 30 戦闘 11 智謀 10 政治 47
嵐世記 采配 20 智謀 3 政治 32 野望 60
統率 4 知略 7 政治 33
下創世 統率 5 知略 7 政治 39 教養 81
革新 統率 10 武勇 6 知略 8 政治 70
天道 統率 10 武勇 6 知略 8 政治 70

各シリーズで常に名君として正当に評価されている父・義元と違い、もはや清清しいまでの暗君評価である。「覇王伝」で戦術能力と戦略能力の違いがデータ化されると一挙に指揮能力が70台に大躍進、更に政務面の頑張りも評価され文武に長けた君主へと出世した。しかしこれが氏真の早すぎる全盛期であった。

次作では早くも修正が行われ、政治能力だけが取り得の文官に格下げされている。その後も順調に弱体化が続き、いつしか政治能力すら下級クラスで他の能力に至っては一桁台という作中随一のダメ武将にまで成り下がり、教養・魅力システムの廃止が追い討ちをかけた。

近年は「革新」で文官としての復権を果たし、続編の「天道」でもこの路線は踏襲されている。

戦国大戦

『戦国大戦』での彼は蹴鞠の日本代表として活躍している。計略は「蹴鞠シュート」と、鞠ではなく攻め込む敵武将を華麗にクリアして味方の窮地を救う姿が戦国頂上動画でもしばしば見受けられる。

武力1統率1(サッカーは11人でやるスポーツなのでこうなったとも言われる)という絶望的スペックに加え、兵種はアクションの無い足軽(その代わり兵力が他部隊より多い)と、ネタ臭が漂っている。しかし計略使用時の吹っ飛び距離はかなり長いので、隠れたガチカードともいえる。同じくSEGAから出た『三国志大戦』で低い能力+地味な計略な劉禅と比較しても雲泥の差である。

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関連項目

  • 戦国時代
  • 戦国時代の人物の一覧
  • 今川義元
  • 織田信長
  • 徳川家康
  • 武田信玄
  • 北条氏康
  • 安部元真 / 岡部正綱 / 岡部元信 / 朝比奈泰朝 / 由比正純
  • 軍師黄皓の憂鬱
  • サッカー

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