全日本大学駅伝 単語


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全日本大学駅伝とは、大学の駅伝日本一を決める大会である。

正式名称は『秩父宮賜杯 全日本大学駅伝対校選手権大会』だが、正式名称で呼ばれることはほとんどなく「全日本大学駅伝」「全日本」と呼ばれることがほとんどである。また走る場所から「伊勢路」とも呼ばれ、「出雲路」「箱根路」とともに学生三大駅伝を構成する。

概要

日本学生競技連合が主催する大会であり、1970年開始。熱田神宮 - 伊勢神宮間106.8kmを8区間に渡って競い合う。現在(2018年以降)の詳細なコースは以下の通り。

  • 1区:熱田神宮~名古屋、9.5km
  • 2区:名古屋~桑名、11.1km
  • 3区:桑名~四日市、11.9km
  • 4区:四日市~鈴鹿、11.8km
  • 5区:鈴鹿~河芸、12.4km
  • 6区:河芸~藤方、12.8km
  • 7区:藤方~松阪、17.6km
  • 8区:松阪~伊勢神宮、19.7km

高校大会における全国高校駅伝(通称・都大路)や実業団における全日本実業団駅伝(通称・ニューイヤー駅伝、または上州路)に相当する大会。

なのだが、男子の大学駅伝はローカル大会に過ぎない箱根駅伝の方が権威・知名度で圧倒的に勝るため、完全な前哨戦扱いとなっている。

それでも昭和時代は開催時期が箱根駅伝終了後の1月だったこと、一部の関東学連の大学(早稲田など)を締め出していたことなどが重なり、関東勢以外では福岡大学(3回)、京都産業大学(1回)が優勝したこともある。とはいえ基本的に関東勢の方が圧倒的に強く、それ以外の優勝校はすべて日本体育大学(11回。すべて昭和時代で、うち3連覇2回)と大東文化大学(昭和時代に5回、平成初期に2回)であった。

1988年(昭和63年)から11月開催となって以降、関東勢の勢いが加速。1990年代はそれでも京都産業大学が一桁順位に踏みとどまっていたが、シード制導入後は低迷。2008年には日本人エースとして中野良平選手を擁した第一工業大学(鹿児島県)が出雲駅伝で3位に食い込み、全日本大学駅伝でもシード権にあと一歩の7位と健闘したが、2011年に留学生の出場が一人に規制されてからはあからさまに強化のやる気をなくしたこともあってそれ以降は極度に低迷。特に2016年以降は2019-2020年に立命館大学が先着したのを最後に関東勢15校が15位までを占める状況が常態化しており、更に2022年からはこちらも4年連続で関東勢以外は全チーム繰り上げスタートと散々たる状況にある。ただし個人記録では2018年に1区で関西学院大学(日本学連選抜)の石井優樹選手、2020年に2区で皇學館大学の川瀬翔矢選手、2025年に1区で志學館大学大学の中村晃斗選手が区間賞を取っている。

出場枠

2012年以降は各地方ごとに1枠を保証し、最大で15枠までというやり方に統一されている。

そのためかつて枠が9-12枠しかなかった関東は箱根以上に厳しかった予選会が実質緩和される一方、実力格差[1]を考えればやむを得ないのだが地方の枠は実質関西以外がほぼ単枠で、年によって東海が2枠取れるかどうかになっている。

2000年より上位6校、2019年から上位8校にシード権が与えられているが、シード権は過去全て関東勢が独占している。というか8位以内に入ったのも2008年の第一工業大学の7位が最高と地方勢は非常に苦しくなっている。ただ90年代シード制が導入されていたら20世紀では一桁常連だった京都産業大学がシード争いでは常連になっていただろうが……

2006年より東海予選で落選した大学から構成される東海学連選抜がオープン参加している。さらに、2015年からは予選会落ちした大学全てから地方ごとで最大3人まで出場できる日本学連選抜もオープン参加している[2]。日本学連選抜は2016年に東海学連選抜にも遅れを取るなど初期は振るわなかったものの、2019年以降は2025年を除き関東勢に先着している実績があり、地方勢が全チーム繰り上げが常態化した中でも繰り上げスタートを回避し続けるなど健闘している。東海学連選抜も2016年に関東勢こそ食えなかったが、地方最先着の16位相当でゴールしたことがある。

大会トピック

1992年から1995年に掛けて、当時の学生におけるスター選手だった渡辺康幸選手を擁した早稲田大学が初出場から4連覇を達成。特に95年における1分29秒差の最終区における逆転は今でも語り継がれるほどで、これは日本人アンカーが逆転優勝した差では2025年までの大会においても最大のタイム差である。さらにこの時の8区の区間記録は日本人学生記録として2025年に破られるまで30年も保持されていた。

1998年は後にマラソンで活躍する藤田敦史選手を擁した駒澤大学が初優勝。以後に大会歴代1位となる17回の優勝(うち4連覇2回、3連覇1回、2連覇2回)を重ねている。特に2004年には箱根駅伝4連覇も達成し、当時の強さからついた異名が『平成の常勝軍団』である。2014年に全日本史上2校目となる4連覇を達成したのちは青山学院大学の台頭もあって苦戦が続き、2015年から5年連続で大学駅伝無冠が続くなど苦戦したが、2020年に6年ぶりに全日本を優勝し、それを皮切りに2度目の全日本4連覇も果たしており、現在でも全日本大学駅伝において常勝と言えば駒澤大学と言うほどの相性の良さを誇る。なお1998年の駒澤大学は出雲も連覇で制しており、唯一当時は取っていなかった箱根駅伝で学生駅伝三冠を狙ったものの、9区で順天堂大学に逆転され三冠を逃した。2013年も同じく2冠を取りながら箱根で東洋大学に屈したが、2022年では24年越しの3度目の正直に挑み、悲願の学生三冠を達成した。

2000年はクインテットと呼ばれた3年生5人を擁した順天堂大学が初優勝。2位がそれまで4回と全日本では勝ちきれなかったが、ライバルの駒澤大学を6区で振り切った。この時期の順天堂は特に出雲駅伝に強く、 1999-2001 年にかけて3連覇を果たした。この年の順天堂大学のクインテットの中でも中心選手と言われたのが3000メートル障害で活躍した岩水嘉孝選手であり、この年は箱根も制して学生駅伝三冠を達成した。

2009年は日本大学が4年ぶり3回目の優勝を飾り、出雲に続き学生二冠を獲得。しかし出雲に続き留学生頼りの勝ち方が目につき、箱根では5区における大ブレーキがあったとはいえ15位に大敗。結果として物議を醸すこととなり、2011年より留学生の出場が1人に規制されることになった。

2015年は東洋大学が悲願の初優勝。柏原竜二選手や双子の設楽選手といったスター選手を擁しながらも全日本は勝ちきれなかったが、この年は服部勇馬・弾馬の兄弟を中心としたチームで、5区を除いてすべて首位で通過する圧巻の強さであった。ただし箱根では逆に青山学院大学に完全優勝を許してしまい、結果的に相手を本気にさせてしまったとも取れるのだが……

2016年は青山学院大学が初優勝。現代の箱根の常勝軍団となった青学も全日本大学駅伝はこの年が初優勝で。ちなみにこの年の青学は出雲と箱根も制しており学生駅伝三冠を達成。この年の青学の中心選手は2年時からエース格であった一色恭志選手である。ただし前年のエースで、1つ上の学年に当たる神野大地選手の方が箱根5区の影響で知名度が高い。

2017年は1996年・97年に大学駅伝で2年連続2冠を獲得した神奈川大学が20年ぶりとなる3回目の優勝。この年の中心選手は後にマラソンで日本記録を出した鈴木健吾選手。当然箱根でも優勝候補として殴り込んだのだが、2区で鈴木選手が2年連続区間賞こそ逃したものの区間4位で走り、さらに4区では区間賞を取るなど4区終了時点では上位争いをしていたのだが、5区の選手が低血糖を起こすアクシデントでまさかの往路15位。復路も追い切れず最終順位も13位に終わりシード権すら失ってしまい、結果としては山の魔物に屈してしまった。8年前に復路順位でも16位に沈んだどこぞの大学とは違い、復路の方はシード権まで4分近い大差という悪条件ながら9位とまずまずの結果で優勝候補としてそれなりに走れていたので、アクシデントさえなければ(仮に5区の選手が区間18位相当で走っていれば総合9位相当だったので)少なくともシード権は確保できていただけに惜しまれる。

2024年は國學院大學が出雲を制した勢いを駆って初優勝。中心選手は2024年の大阪マラソンを初マラソンで制し、当時の日本学生及び初マラソンの日本記録も同時に樹立していた平林清澄選手。4区終了時点で1分半のビハインドを負っていたものの、繋ぎの5〜6区で連続区間賞を奪ってレースを支配していた青学に7区で追いつくと、アンカー勝負で捩じ伏せて二冠を達成。5連覇を狙った駒澤は2区の大ブレーキで2分半弱の遅れを取って早々に優勝争いから脱落したものの、3区以降に脅威の粘りを発揮。ほぼタイム差を維持したまま8区に突入すると、アンカーの山川選手が上位2チームを猛追。アンカー勝負で決着をつけて既に独走に持ち込んでいた國學院を捉えるには至らなかったが、ペースの上がらない青学との2分37秒差をひっくり返して出雲に続いて2位を確保。初陣の立教大学が7位で初出場初シード、日本学連選抜が過去最高の14位相当と関東2校に先着、東海学連選抜も関東15校時代以降では2番目の好成績となる18位相当(地方3位相当)と健闘した。札幌学院大学が7区まで18位以内を常にキープして北海道勢初の増枠にあと一歩に迫ったが、季節外れの暑さが影響したのかアンカーが区間最下位のブレーキとなり力尽きたのが惜しまれる。

大学駅伝三冠やその他の記録について

出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝の全てで優勝することを「大学駅伝三冠」や「学生駅伝三冠」と呼び、1990年の大東文化大学、2000年の順天堂大学、2010年の早稲田大学、2016年の青山学院大学、2022年の駒澤大学が達成している。[3]

特に全日本大学駅伝で最多優勝を誇る駒澤大学は1998年、2013年に出雲・全日本と二冠を取りながら箱根で敗れ、2022-23年のシーズンで3度目の正直に挑んでようやく三冠を勝ち取ったように最も三冠の難しさを知っている大学である。そしてその翌年も2年連続三冠の偉業に王手をかけたが、青山学院大学の意地に屈し、三冠が掛かった年では4回中3回目となる箱根2位に終わっている。

三冠で鬼門になるのは主に出雲駅伝であり、かつては全日本の勝者は大体箱根も制して二冠を取るケースが目立った。実際にデータ上でも出雲・箱根で二冠経験があるのは山梨学院大学、東洋大学、青山学院大学とわずか3校のみである。

ただし2008年以降は三冠を取った早稲田大学・青山学院大学・駒澤大学、そして出雲が中止になった2020年に二冠を取った駒澤大学以外で全日本と箱根を連覇したケースが無く、むしろ全日本の勝者は箱根を勝てないケースが目立つ。特に出雲と全日本で2冠を取りながら、2009年の日本大学や2013年の駒澤大学は箱根で5区を制した東洋大学に敗れている。2018年の青山学院大学も4・5区で大きく失速し、復路こそ制したものの往路でトップと5分半にも及んだ遅れを挽回するには至らず、終盤に失速した往路優勝の東洋大学を捉えての2位が精一杯で、往路で4分以上先行し5区と復路も堅実に2位でまとめた東海大学とは30秒程度しか詰められなかった。2025年に二冠を制した國學院大學も箱根は青山学院と駒澤の選手層に屈する形になり3位に留まった。

このデータで裏打ちされるように、2014-2015年以後の箱根で11戦8勝と常勝軍団となっている青山学院大学は、全日本での優勝は2回にとどまっているようにやや苦手としている。ちなみに全日本を捨て試合にしているわけではないことはコメントからうかがえるので、他の大学の方が全日本時点では仕上がりがいいのかもしれない。

珍記録としては山梨学院大学が2002年までに2位を10回記録している。山梨学院大学は出雲で6回、箱根で3回の優勝を誇り、平成の中期まで強豪として知られていたが、全日本だけは勝てなかったのが不思議である。もっとも惜しかったのが1999年で2区から7区まで1位をキープ、しかも1区と7区以外は区間2位以上で走りながら、最終区で駒澤大学に50秒差をひっくり返されている。

関連項目

  • 駅伝
  • 出雲駅伝
  • 箱根駅伝

脚注

  1. *その理由としては関東が出場枠を減らしたのは出場枠の増減が出来た1990年以降でさえ、途中棄権で最下位扱いになった2003年の早稲田大学の時のみである。
  2. *いずれもチーム記録は参考記録だが、個人記録は認められる。ただし、コロナ禍の影響を受けた2020年は選抜チームの編成はなし。
  3. *なお三大駅伝になって以降、三大駅伝をすべて制したことがある大学は上記以外だと東海大学・東洋大学のみで計7校だけである(日本大学も記録上は三大駅伝をすべて制しているが、同校の箱根駅伝の優勝はすべて昭和時代のもので、最後の箱根優勝は第50回大会と半世紀以上前である)
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