八木裕とは、元プロ野球選手・現阪神タイガース二軍打撃コーチである。
1987年から2004年まで18年の長きに及ぶ現役生活を阪神タイガース一筋で過ごしたフランチャイズ・プレイヤーであり、暗黒時代を知る阪神ファンには忘れられない名選手。現在は阪神の二軍打撃コーチを務めている。
代打の切り札として大活躍し、「代打の神様」の称号で呼ばれていた選手生活後半の印象が強いが、若い頃は俊足・強肩・強打の三拍子を兼ね備え、内外野複数ポジションを守れる万能選手だった。
岡山東商から三菱自動車水島を経て、1986年ドラフト3位で入団。1年目に江川卓から初安打をホームランで決めると、3年目の1989年には三塁手から遊撃手に転向してレギュラーを確保。翌1990年は三塁手に戻ってリーグ4位の28HRを放ち、1991年もチームトップの22HRを記録する。この年は11盗塁で盗塁失敗1と俊足ぶりも光っていた。
ラッキーゾーン撤去で外野が広くなった1992年は俊足・強肩を見込まれて外野手に転向。この年は暗黒時代で阪神が優勝争いに絡んだ唯一のシーズンであり、八木も中軸打者としてチームの快進撃に貢献する。しかし、同年9月11日の対ヤクルト首位攻防戦において自身の放ったサヨナラホームランを取り消されてしまうという悲運に遭い、結局チームも僅差で優勝を逃してしまう。この「幻のホームラン事件」がなければ優勝していたはず…という阪神ファンも多いとか。
この一件でケチがついたか、翌年以降はスランプに陥る。さらに左手・左膝・右肩と次々故障に見舞われ、出場機会も年々減少、1996年にはついに一軍出場ゼロでシーズンを終えることになってしまう。吉田監督の進言でどうにかクビは免れたものの、故障の影響で足も肩も衰え、守備位置もほぼ一塁限定と首が寒い状況に変わりはなかった。
そして背水の陣で臨んだ1997年、代打として53回起用された八木は42打数17安打16打点、成功率.405、出塁率.500と素晴らしい成績を残す。翌年もまずまずの成功率をキープし、いつしかファンは彼のことを「代打の神様」と呼ぶようになっていた。その後も成功率はやや落ち着いたものの、印象深い活躍を多く残していく。2002年には58回の代打起用で48打数13安打19打点と勝負強いバッティングでチームの最下位脱出に貢献、特に7月30日の横浜戦では勝負を決める代打逆転満塁ホームランを放つなど、「代打の神様」の名に恥じない活躍を見せた。
2003年は首位を驀進するチームの中で、1992年の優勝争いを経験した数少ない選手として精神的支柱の役割を担い、また勝負強い打撃を買われて20試合で一塁手としてスタメン起用され、うち12試合で4番を務めるなど、代打以外でも活躍。選手生活17年目にして初となるリーグ優勝に貢献した。翌2004年限りで引退。「代打の神様」らしく、最終打席を代打でのヒットで飾った。
引退後は野球解説者として活動していたが、2009年シーズンからは二軍打撃コーチとして阪神に復帰している。
在籍18年 実働17年 1368試合 817安打 126本塁打 479打点 終身打率.247
(代打成績)463回起用 400打数 94安打 13本塁打 98打点 代打成功率.235
意外にも通算での代打成功率はあまり高くない。しかし94安打で98打点と言う数字(代打打点98はプロ野球歴代4位)が物語るように勝負強さは抜群であり、このことが「代打の神様」としての評価に繋がっていると言えるだろう。
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最終更新:2025/12/12(金) 12:00
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