公家の苗字の一覧とは、朝廷に仕える貴族、また官人である公家が名乗った苗字の一覧である。
概要
日本の貴族である公家はその系図が比較的はっきりとしている。また、歴史・日本文化・系譜・姓氏などを勉強しているとその名前が登場する機会も多い。
本項では一般に公家と呼ばれる堂上家、特に江戸時代末期に堂上家であった136の公家の苗字を中心に掲載している。記事がニコニコ大百科に存在するものは太字とする(北家藤原氏はすべてオレンジで表示し新家[1]は下線を表記)。
奈良華族を除くと、これら136の家に地下家である押小路(中原氏系)、壬生(小槻氏系)、維新前後に新たに家が設けられた松崎(名家の甘露寺勝長の庶子)の三男爵家を加えたものが、華族が成立した当初の公家出身華族であるが、後者三家はその成立過程から公家関係の本では事典類でさえ取り上げられることはあまりない(というかそもそも地下家について体系的に取り上げた本はほとんどない)。
なおこの表にはいないが忌部氏、多氏、大伴氏(伴氏)、大神氏、越智氏、小槻氏、小野氏、賀茂氏、紀氏、佐伯氏、坂上氏、下毛野氏、高階氏、橘氏、中原氏、秦氏、三善氏、和気氏、嵯峨源氏、醍醐源氏といった氏族はさらに下位のランクである地下家にのみ属する。
なお藤原北家は平安時代を通して政界の中心に長期にわたっていたため、上級公家においても様々に分立した家系のうち
- 摂関流(藤原道長から続き、保元の乱で勝ち残った藤原忠通の嫡流の系統)
- 閑院流(藤原師輔の息子で、藤原道長の伯父にあたる藤原公季の系統)
- 花山院流(藤原道長の孫で摂関家嫡流となった藤原師実の息子のうち傍流になったもの)
- 中御門流(藤原道長の息子のうち藤原頼宗の系統)
- 御子左流(藤原道長の息子のうち藤原長家の系統)
- 日野流(藤原冬継の兄である藤原真夏の系統)
- 勧修寺流(藤原冬継の息子のうち藤原良門の系統)
- 四条流(藤原魚名の息子のうち藤原末茂の系統)
- 水無瀬流(定子の父として知られる藤原道隆の息子のうち藤原隆家の系統)
- 高倉流(藤原長良の息子のうち藤原清経の系統)
の家がある。
ちなみに意外なことにマンガやアニメで見かける三千院、北大路[2]といったものは公家の苗字においては現実には存在しない。
なお、そのものずばりで公家という苗字が四国と北関東に存在するが、四国の方は土佐の旧族、北関東の方は由来不明(個人的に分布と音から見て武蔵七党の久下氏をはじめとした武蔵久下郷の関係じゃないのかなって思ったり)と公家とは何の関係もないらしい。
堂上家
摂関家(五摂家)
- 一条(摂関流)
- 九条(摂関流)
- 近衛(摂関流)
- 鷹司(摂関流)
- 二条(摂関流)
清華家
- 大炊御門(花山院流)
- 花山院(花山院流)
- 菊亭(閑院流)[3]
- 久我(村上源氏)
- 西園寺(閑院流)
- 三条(閑院流)
- 醍醐(摂関流)
- 徳大寺(閑院流)
- 広幡(正親町源氏)
大臣家
- 嵯峨(閑院流)[4]
- 三条西(閑院流)
- 中院(村上源氏)
- 飛鳥井(花山院流)
- 姉小路(閑院流)
- 阿野(閑院流)
- 油小路(四条流)
- 綾小路(宇多源氏)
- 石山(中御門流)
- 今城(花山院流)
- 入江(御子左流)
- 岩倉(村上源氏)
- 石野(中御門流)
- 植松(村上源氏)
- 梅園(閑院流)
- 梅渓(村上源氏)
- 裏辻(閑院流)
- 正親町(閑院流)
- 大原(宇多源氏)
- 大宮(閑院流)
- 小倉(閑院流)
- 押小路(閑院流)
- 愛宕(村上源氏)
- 風早(閑院流)
- 河鰭(閑院流)
- 櫛笥(四条流)
- 久世(村上源氏)
- 桜井(水無瀬流)
- 滋野井(閑院流)
- 四条(四条流)
- 七条(水無瀬流)
- 清水谷(閑院流)
- 持明院(中御門流)
- 園(中御門流)
- 園池(四条流)
- 高丘(南家藤原氏)
- 高倉(南家藤原氏)[6]
- 高野(中御門流)
- 高松(閑院流)
- 千種(村上源氏)
- 中園(南家藤原氏)
- 中山(花山院流)
- 難波(花山院流)
- 西大路(四条流)
- 西四辻(閑院流)
- 庭田(宇多源氏)
- 野宮(花山院流)
- 橋本(閑院流)
- 八条(四条流)
- 花園(閑院流)
- 東久世(村上源氏)
- 東園(中御門流)
- 樋口(高倉流)
- 藤谷(御子左流)
- 堀河(高倉流)
- 町尻(水無瀬流)
- 松木(中御門流)
- 水無瀬(水無瀬流)
- 壬生(中御門流)[7]
- 武者小路(閑院流)
- 室町(閑院流)[8]
- 山科(四条流)
- 山井(水無瀬流)
- 山本(閑院流)
- 冷泉(御子左流)[9]
- 六条(村上源氏)
- 六角(中御門流)
- 鷲尾(四条流)
名家
- 池尻(勧修寺流)
- 梅小路(勧修寺流)
- 裏松(日野流)
- 岡崎(勧修寺流)
- 交野(桓武平氏)
- 勘解由小路(日野流)
- 勧修寺(勧修寺流)
- 烏丸(日野流)
- 甘露寺(勧修寺流)
- 北小路(日野流)
- 芝山(勧修寺流)
- 清閑寺(勧修寺流)
- 竹屋(日野流)
- 堤(勧修寺流)[10]
- 外山(日野流)
- 豊岡(日野流)
- 中御門(勧修寺流)
- 長谷(桓武平氏)
- 葉室(勧修寺流)
- 日野(日野流)
- 日野西(日野流)
- 平松(桓武平氏)
- 広橋(日野流)
- 坊城(勧修寺流)
- 穂波(勧修寺流)[11]
- 万里小路(勧修寺流)
- 三室戸(日野流)
- 柳原(日野流)
半家
- 五辻(宇多源氏)
- 石井(桓武平氏)
- 唐橋(菅原氏)
- 北小路(大江氏)
- 清岡(菅原氏)
- 倉橋(安倍氏)
- 桑原(菅原氏)
- 五条(菅原氏)
- 澤(清原氏)
- 慈光寺(宇多源氏)
- 白川(花山源氏)
- 高倉(高倉流)
- 高辻(菅原氏)
- 竹内(清和源氏)[12]
- 土御門(安倍氏)
- 富小路(高倉流)
- 錦小路(丹波氏)[13]
- 西洞院(桓武平氏)
- 錦織(卜部氏)
- 萩原(卜部氏)
- 東坊城(菅原氏)
- 藤井(卜部氏)[14]
- 藤波(大中臣氏)
- 伏原(清原氏)
- 舟橋(清原氏)
- 吉田(卜部氏)
平安以降の絶家
一度は家として成立したものの断絶し、その後同じ系列から同じ苗字を持つものが出てこなかった苗字についてまとめる。なお、やたらめったら苗字被りが多いのは、貴族の苗字は住んでいる屋敷に基づくもののため、屋敷を引き継ぐといったことなどの影響によるものである。
摂関家成立以前の北家藤原氏
- 宇治(藤原頼長流)
- 小野宮(藤原実頼流)
- 小一条(藤原師尹流)[15]
- 世尊寺(藤原伊尹流)
- 平松(藤原道綱流)
- 法性寺(藤原為光流)
- 壬生(藤原利基流)
- 室町(藤原家政流)
- 楊梅(藤原道綱流)
苗字として成立していないが他に藤原時平の系統の本院流なんかも絶家である。
摂関流
五摂家
- 粟田口(近衛)
- 今小路(二条)
- 北小路(近衛)
- 衣笠(近衛)
- 近衛岡本[16](近衛)
- 外山(九条)
- 月輪(九条)
- 藤井(近衛)
- 八条(九条)
- 室町(近衛)
閑院流
- 今出河
- 大炊御門
- 大宮
- 岡崎
- 加賀
- 河原
- 京極
- 清水谷
- 近衛
- 高倉
- 竹林院
- 知足院三条
- 洞院
- 菩提院
花山院流
中御門流
御子左流
日野流
勧修寺流
- 粟田口
- 岩蔵
- 海住山
- 四条
- 中山
- 八条
- 堀河
- 町
- 松崎
- 吉田
- 冷泉
- 霊山
四条流
水無瀬流
高倉流
村上源氏
宇多源氏
花山源氏
菅原氏
桓武平氏
賀茂氏
和気氏
関連項目
- 苗字
- 公家
- 一覧の一覧
- 日本の苗字(名字)の一覧
- 華族の一覧
脚注
- *1593年以降成立した家
- *社家には存在する。
- *姓は今出川とも
- *江戸時代までは正親町三条という姓であった
- *南家高倉流藤原氏(北家高倉流とは別)の高倉家、中園家、高丘家、北家四条流藤原氏の園池家は家として成立した時期はすでには閑院流藤原氏の系統に属した後である
- *藪という姓にしていた時期が長い間続いた
- *当初は葉川を姓とした
- *姓は四辻とも
- *上冷泉家、下冷泉家に分かれていた。
- *初期は中川という姓を用いた
- *初期は海住山という姓を用いた
- *清和源氏のうち源義光の子孫で鎌倉時代初期に各国の守護を任じられた信濃平賀氏(大内氏)の系統
- *"にわ"ではなく坂上氏の系統の"たんば"氏
- *かつては猪熊という姓であった
- *三国司の飛騨姉小路家はこの系統
- *南朝方についた方