北川博敏とは、オリックスバファローズに所属するプロ野球選手である。
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大学時代にリーグ戦で首位打者を獲得するなど捕手として活躍。日米野球の主将に選ばれるなどリーダーシップも発揮した。
1994年のドラフトで阪神にドラフト2位で指名されるも、虎では結果が出ず2000年オフにトレードでバファローズに。
2001年は当時の監督だった梨田昌孝に認められ一軍に定着。
4月には初ホームラン、そして29歳の誕生日に初めてのサヨナラヒットを打ち、初のお立ち台で号泣。
そして9月。どん底から這い上がり新天地でチャンスを掴んだ北川にとって選手人生ではじめて輝く瞬間が訪れたのだった(後述)
2004年のプロ野球再編時の近鉄消滅に伴いオリックスに移籍。
その後はケガに苦しみながらもオリックスの中心選手として今も活躍している。
ポジションは一塁手だが、2008年以降は三塁手としても出場している。
2001年の近鉄は投手力の低さから下馬評は良くなかったが、持ち前の打撃力を発揮して10年ぶりの前半戦首位ターン。ダイエー、西武もくらいつき9月に入っても3チームがゲーム差なしで並ぶというみつどもえの大接戦となっていたが、近鉄は17日からの西武3連戦に全勝して単独首位になりマジック点灯。
そして迎えた9月24日、大阪ドームでの2位ライオンズとの直接対決。
近鉄は8回裏までに西武のエース松坂から4点を奪い同点で8回を終了したが、9回表にスコット・マクレーンにホームランを打たれて4-6とリードされる。
敗色ムードが漂う9回裏、北川が代打で登場し松坂大輔からホームランを打ち5-6と1点差に。
完全に流れが変わった後、中村紀洋がライトスタンドにサヨナラ2ランを打ち近鉄が逆転サヨナラ勝ち。
優勝へのマジックを1とした。
優勝マジックを1として迎えた9月26日、大阪ドームの対オリックス戦。
試合は9回表の時点で2-5。相手はオリックスのクローザーでこの年の新人王をとった大久保勝信。
この試合前まで大久保の防御率は0点台と完璧な投球が続いており、敗色濃厚だった。
しかし先頭の吉岡雄二がヒットで出塁、次の川口憲史が二塁打、代打の益田大介がフォアボールでノーアウト満塁。
ここで梨田監督は2日前に松坂からホームランを放った北川を代打で出した。
1球目はストライク、2球目はファールで追い込まれるも3球目のきわどいボールを見極めての4球目。
大久保が投げたスライダーをフルスイング。ボールはバットに当たりぐんぐん伸びていく。
そして、ボールは左中間スタンドへと飛び込む代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランとなった。
代打逆転サヨナラ満塁ホームランは6例目、3点差をひっくり返すおつりなしは2例目だった。
もちろん、優勝を決めたのは史上初である。この記録はメジャーリーグにも無いため日本のプロ野球史にはもちろん、世界のプロ野球史にも残る大偉業となった。
勝っても負けてもドラマチックだった近鉄というチームを象徴するような本塁打であった。本人も「あのホームランは人生で一番うれしかった」という発言を残している。
ちなみに、この年の契約更改の際に球団は「あのホームランは10万円分の価値しかない」という発言をした。しかしこれは冗談で年俸はほぼ倍になった。この発言が出たのはホームランの着弾点近くに広告を出していた企業が「あのホームランのおかげで企業名が全国放送でたくさん映って大いに宣伝になった」と北川に10万円を贈呈したからである。本人も「あのホームランだけで評価されたくない」と言っていたとか。
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最終更新:2025/12/07(日) 01:00
最終更新:2025/12/07(日) 00:00
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