大淀(艦これ) 単語


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前線艦隊指揮はどうぞお任せください

大淀(おおよど)とはDMM.com配信のブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する、大日本帝国海軍所属の軽巡洋艦「大淀」をモチーフとした艦娘である。

イラストレーターは藤川。CVは川澄綾子。

ちなみに任務設定画面で登場した際のボイスは、公式から発表されたものではないものの、ユーザーの解析では鳥海の流用とされ、そのため大淀の担当声優も当初は彼女と同じ東山奈央と思われたが、正式実装に伴って変更された。しばらくは任務画面での声は変わっていなかったが、2016年3月11日のアップデートで更新された。現在ではさまざまなバリエーションのボイスが堪能できる。が、ゲームの仕様上非常に頻繁に任務画面を開くため、自然と何度も同じセリフを聞かされる羽目になる。その対策として、2016年8月12日のアップデートで、任務娘のセリフのON/OFFが設定できるようになった。

概要です。

お疲れ様です♪

元々は公式で“任務看板娘”、ユーザーの間ではそれを縮めて“任務娘”と呼ばれていたNPCであった。

『艦これ』開始当初よりアイテム屋娘と共に最初から母港におり、艦隊編成や出撃時における特定の条件を設定してそれをクリアする事でその報酬の資材を手に入れる“任務”の選択フェイズに登場するキャラクターだった。

当時は任務選定画面を選択すると声付きで「お疲れ様です」と言いながら現れるだけのそれ以外には特に意味のない存在だったのだが、角川発行の漫画雑誌『コンプティーク』および『コンプエース』連載の漫画にて任務娘が登場した際に自ら大淀と名乗っていた事から“彼女こそ軽巡洋艦「大淀」ではないか”と提督達の間で話題になっていた。

その後、同じNPCだったアイテム屋娘が2014年4月のイベントにて正式に艦娘の“明石”として実装されたのを期に、同年5月発売の『コンプティーク』6月号や模型誌『Model Graphix』7月号の艦これ特集ページにて艤装を装備した彼女が大淀として紹介され、さらに6月発売の艦これ資料集『艦娘型録』でも彼女は大淀だと明記されていた。

そして2014年8月開催のイベント“AL/MI作戦”にてようやく任務看板娘改め艦娘“大淀”が特定海域クリアの報酬として初登場を果たし、続く11月のイベント“発動!渾作戦”でも特定海域クリア時のドロップという形で再登場している。なお、AL/MI作戦では作戦開始前に彼女が現れてその内容について説明してくれるのだが、気にしてはいけない
その後もイベント海域の特定のポイントでゲットできるようになったほか、2015年4月10日に実装された海域「鎮守府近海航路(1-6)」にてようやく通常海域で大淀がドロップするようになったので、未入手の提督でもイベント開催を待つまでも無くチャンスは有る。また、2-5でドロップする明石と違いこちらは頑張れば一応2隻以上揃える事も可能ではあるものの、ドロップ率は低い為結構な苦労を強いられるかもしれないが。

任務娘時代はセーラー服のような服と腰が露出したスカートを着て手には羽根ペンとファイルかノートを持っているというまさに秘書っぽいイメージだったが、艦娘としては以前から公表されていたものと同じく右腕に水上機発進用カタパルトアーム、左手に三連装砲、そして背中に水上機格納用ブロックと思われる四角い大きなコンテナを装備している。ついでに言うと霧島鳥海望月巻雲伊8武蔵に続く7人目の眼鏡艦娘でもある。

他の艦娘と違って鎮守府そのものの経営に関わっているようで、任務選択では彼女が任務の指定受理とそれの達成ボーナスの支給を行っていると考えられ、『艦これ』運営からの公式ツイートを表示する“運営電文”も彼女がチョークで黒板に書いているというものだったりと、言わば鎮守府全体の事務員のような存在として描かれている。また、2014年の謹賀新年を記念して追加されていた家具の掛け軸を書いたのも彼女であるとされている。ちなみに服装の方は明石も同じような格好なのだが、これは鎮守府指定の制服なのだろうか?

一方、もともと非戦闘用の工作艦だった明石とは違い、彼女のモデルはれっきとした戦闘艦であり、ゲーム開始の時点で鎮守府にいるのなら最初から彼女も他の艦娘と共に前線に出ていてもおかしくなかったのだが、それでも彼女だけ裏方扱いだったのは戦闘よりも指揮能力を重視させたという後述の史実的背景によるものなのかも知れない。

絵に描いたような冷静かつ真面目な性格で、さらに元連合艦隊旗艦らしく艦娘の中でも特に指揮および実務能力に長けているとされ、一部の漫画では不在の提督に代わって司令官代理を務められるほどの才媛(霧島や鳥海と被ってるとか言うな)として描かれている。それでいて普段でも甲斐甲斐しく提督の世話も焼いてくれる家庭的な所や、実は一番最初に選ぶ駆逐艦娘達と同じくらい長い付き合いという事もあってか実装されて以降の提督の人気は高い。かつてフィリピンで共に行動し、礼号作戦でも一緒に戦った足柄とは波長が合うらしい。さらに礼号作戦参加組(礼号組)である朝霜・清霜からも季節限定ボイスで大淀への声掛けもあり、そのため礼号組が関わると普段の冷静さが鳴りを潜め、割と明るい一面というか・・・他の仲間たちと騒ぐ大淀としては珍しい二次創作が多く見られる。その場合被害者が当時旗艦を勤めた霞だったりする。

二次創作においてはデイリー(日替わり)任務の中に不要な艦を二隻解体するというものがあるため、時に仲間の解体を勧めてくる腹黒キャラとして描かれたりする場合も多い。時には鎮守府の裏の支配者として「キーボードから手を離して貰えますか、提督?」

これが本当の大淀型の力よ。

性能に関しては軽巡でありながら魚雷を装備していなかったという史実を反映してか、素だと魚雷を装備しておらず、なおかつ雷装値も対潜値もゼロとなっている。しかしその代わり索敵値の上昇率が極めて高く、練度を上げていくと軽巡洋艦の中でも最高クラスの索敵能力を発揮できるようになり、文字通り艦隊の目あるいは耳としての活躍が期待できる。

雷装値および対潜値の初期値が0である事により、Lv1装備無しの状態では軽巡であるにも関わらず雷撃も対潜攻撃もできないが、別にソナー爆雷や魚雷の類は他の軽巡と全く同様に普通に装備可能。素の値が0だと魚雷や爆雷ソナーを装備させてもこれらの攻撃を行う事ができないが、レベルアップさせればこれらのステータスも普通に伸びる(雷装は近代化改修でも)ので、少し鍛えてやって数値を1以上にしてやればこれらの攻撃も行うようになる。

改造可能レベルは35となっており、改にすると独自装備として艦隊司令部施設が付いてくる。これはかつて大淀が連合艦隊の司令旗艦だった事から来ている装備で、連合艦隊戦において旗艦に搭載しておくと随伴艦が大破した場合に駆逐艦1隻をその艦の護衛に付けて戦場から離脱させる護衛退避が発動し、大破艦の轟沈リスクを回避しながら進撃できるようになる。
ただし、これは連合艦隊システムが設定された一部のイベント海域でのみ使用可能であり、それ以外の通常海域ではほとんど死に装備同然になるので注意が必要だが、連合艦隊システムが要求される難度の高いイベント海域においてはこの装備の有無がボス到達率に大きく影響する(場合もある)ため、大淀を手に入れた事があるかないかで難易度が大きく変わると言われる理由の一つである。

また、改にすると装備スロットが夕張改と同じく4つに増えるという特徴もある。同じ4スロ軽巡の夕張改と比較すると、雷装値と対潜値の直接火力に影響するステータスは夕張の方が高いが、耐久などの生存に関わるステータスは大淀が高い。

通常海域でも装備スロットの多さ(と素ステータスの影響の小ささ)から対潜のスペシャリストとして運用可能な他、4スロである事を生かし、「持っているだけで効果がある」夜戦装備関連を持つ役を任せるのにも適任。対潜のスペシャリストとしては夕張も全く同じなのだが、夜戦装備を持つ係としては夕張は偵察機を搭載できないという弱点があるため、夜戦装備3点セットを持たせる4スロ軽巡としては大淀が唯一の適任者である。
(ただし、2016年7月に実装された「先制対潜爆雷攻撃」について言えば、大淀の素の対潜値が極端に低いことが災いし、4スロット全てに対潜装備を持たせたとしても、先制対潜爆雷攻撃が出来るのはケッコンカッコカリどころかレベルカンスト近くまで行かないと無理だと言われており、現在は大淀に対潜を任せることはあまりなくなってきた模様)

また、4スロでなくても大淀改の偵察機搭載数は0/6/6/0と偏っており、搭載数が発動率に関係していると言われている夜偵を持たせる係としては航巡などに次いで搭載数が多く発動率を高められる艦でもある。こういった「大淀にしかできない役割」があるが故に、上述の艦隊司令部施設の存在も合わせ、「大淀がいるかいないかで難易度が変わる」と言われる事もあるほどである。

単純な戦闘力でも4スロであるが故に砲をマシマシにする事で火力をあげる事もできるなど、決して低くはない。
例えば「20.3cm(3号)連装砲を3つ装備した大淀改」と「20.3cm(3号)連装砲を2つ装備した神通改二」では大淀の方が攻撃力が高く、軽巡最強である。雷装値が低い事による夜戦火力の低さはカバーできないものの、昼戦火力だけであれば神通を超える火力を叩きだす事も、火力を抑える代わりに副砲を混ぜて連撃・カットイン[1]を両立する事も可能と、選択の幅は広い。

なお、雷装の低さゆえに火力と雷装の合計である夜戦火力は119と低く、軽巡で2番目に低い鬼怒改二(137)と比べても18も差がある。そのため、4スロであることを生かしてサポートに徹したほうがいいかもしれない。

2016年冬のイベントである「出撃!礼号作戦」の2面目では大淀がまたしても意外な能力を発揮した。元々史実の礼号作戦メンバーである大淀はルート固定要員の一人であり、かつボスである集積地棲姫は陸上型のため、三式弾と並んでロケットランチャー(WG42)に特殊効果が設定されている。このWG42は複数搭載すると効果が相乗するという仕様があり、かつ軽巡は駆逐艦よりそもそものスペックが高い。また、陸上型に対しては夜戦火力で雷装が計算されず、火力のみが参照されるため、雷装の低さがデメリットにならない。
こういう複数の条件から編み出された解法の一つが「4スロ軽巡かつルート固定要員の大淀にWG42を2つ積み、残りは主砲×2で埋めて夜戦連撃を狙う」というもので、これが通称「ダブルロケラン大淀」と称される事になった。
実際、ダブルロケラン装備の大淀は夜戦で連撃が決まると、集積地棲姫を文字通りに焼き払う事が出来る。やはり眼鏡isPower。

2017年3月のアップデートで火力上限が「70」までアップ。軽巡トップの神通改二と同数値になり(17年11月現在では神通改二が「71」のため僅差で2位)、昼戦では名実ともに軽巡一の火力を叩き出せるようになった。装備の最適化や状況次第で陸戦型相手は勿論、水上艦相手でも重巡に引けを取らない・・・という夜戦が主体の軽巡に対して昼戦に特化した彼女ならではの立ち位置を確立したと云える。

このように、上手く装備を整えれば総合性能で改二軽巡をも凌ぐ実力を秘めているので、上手く使ってあげよう。

大淀の史実、ご覧になります?

史実については「大淀」も参照。

名前の由来は鹿児島県と宮崎県にまたがる大淀川から。

1939年、マル4計画にて建造された“丙巡”型軽巡洋艦で、もともとは水上偵察機運用のために母艦として建造された水上機6基分積載できる格納庫と大型カタパルトを有した本格的な航空巡洋艦であった。

そのため武装も対空に特化しており、魚雷などは一切積んでいないが、代わりに約11万もの馬力を発揮する高温高圧缶の動力機関を搭載し、その最高速力は35.5ノットから39.5ノットにも迫り、戦闘中に45ノット以上の速度を出したという逸話もあるほどの高速性能を誇っていた。さらに6機もの水上機を運用するため船体も巨大化。最大級の阿賀野型をも凌駕する排水量9980トンとなり、全長は180mになった。この排水量は重巡の古鷹型(8585トン)より多く、全長も大淀の方が3m長かったなど、いかに大淀が規格外の大きさだったか理解できる。

本来の運用目的は潜水艦隊を指揮し、時には水上偵察機で潜水艦隊の目となって潜水艦隊の行動を助ける事であり、つまり本当ならば大淀は伊168達のリーダーになるはずの存在だった。

1941年2月14日、丙型二等巡洋艦第136号艦という仮称を付けられ呉海軍工廠で起工。1942年3月10日に軍艦大淀と名付けられ、4月2日に進水。1943年2月28日に竣工し、横須賀鎮守府に編入される。
3月18日に公試を兼ねて横須賀で訓練をする。5月20日、アッツ島救援のため東京湾で待機するも29日に中止。

で、この完成した大淀であるが、搭載する予定だった艦載機“紫雲”のダメカっぷりと太平洋戦争における状況の変化によって潜水艦隊を指揮しての敵艦隊の漸減作戦を行う機会は訪れず、魚雷発射能力もなければ主砲も対空に特化しているため使いづらいという事で本来の運用はなされず、他の軽巡洋艦と同様に輸送任務に従事する運びとなる。
しかし乗組員の練度は非常に高く、戦没した戦艦比叡の乗組員がそのまま大淀の乗員となっており、戦艦並みの規律があったという。

1943年7月8日、宇品で陸軍南海第4守備隊を収容し、トラック泊地に進出。9月から10月にかけてZ号作戦に従事するが空振りに終わる。12月30日、“戊号輸送作戦”などの輸送任務に従事するが、1944年1月1日に行われた戊三号作戦では目的地であるカビエンで米軍機の空襲を受ける。この戦闘で大淀は演習弾まで使い尽くすほどの猛反撃をし、自慢の快速で命中弾も出さなかった。しかし、至近弾1発を受けた事により船体を一部小破してしまっている。
2月10日にはサイパンへ91式航空魚雷や250キロ爆弾などを運んでいる。

5月4日、その高い電波出力からこの大淀を指揮用の艦にするための改装が始まり、水上機搭載用スペースを戦闘指揮所に変更、連合艦隊の旗艦として生まれ変わる。が、これに座乗する連合艦隊司令長官の豊田副武からは「(指揮艦に軽巡を引っ張り出すとは)日本の足元を見られそうで嫌だ」「どうせなら大和か武蔵の上で死にたい」と散々な事を言われてしまい、さらに当時の少年達は旗艦大淀を見て、「威容を誇った戦艦は何処に行ったのか」と不安を覚えたという。
しかもスペースがあったとはいえ、無理やり戦闘指揮所を載せたため船体のバランスが著しく悪化。最大戦速で転舵すると被弾したと思われるほど傾斜してしまう有様だった。更にこの大淀が直接指揮を取ったのは6月19日の“マリアナ沖海戦”のみ、それも本土(柱島)からの指揮となり、やっぱり司令部は陸の方が都合が良いという事でその機能はさっさと地上へと移されてしまい、連合艦隊旗艦としての務めは9月で終わる事となった。

その後の10月20日、大淀は普通の軽巡洋艦として小沢治三郎率いる正規空母の瑞鶴を筆頭とする第三艦隊第一機動部隊に編入される。当初は大淀が旗艦となる予定だったが、ここでも小沢が「第一機動部隊の名前が付くなら瑞鶴に乗らなきゃ」という事で旗艦は瑞鶴になってしまった。その後、小沢艦隊は大分を出港し、決戦の地であるフィリピンへ向かって南下していった。
10月24日、旗艦の瑞鶴が艦載機が発艦準備をしていた。手が空いている大淀の乗員は敬礼をして見送ったが、1番機の彗星が発艦に失敗し、海へ飛び込むという事故が発生、2番機以降は無事に飛び立っていったものの、目撃した乗員は不吉な予感を覚えた。

そして10月26日の“エンガノ岬沖海戦”に第三艦隊第一機動部隊予備旗艦として参戦。敵の大編隊が襲来し、各艦が対空戦闘を始める。敵の攻撃は味方空母に集中し、大淀には殆ど及ばなかったが、その間にも駆逐艦秋月が爆発し、沈没。激しい戦いの中で瑞鶴が被弾したため、旗艦としての役割を大淀が引き継いで戦闘指揮を続行しつつ戦った。大淀の通信能力は高く、瑞鶴からでは届かなかった電報を戦艦大和の栗田長官に届けた。さらに大淀は高い対空能力を発揮し、約12機編成の敵機を一気に8機撃墜したという逸話が残っている。大型艦であった事から米軍機の攻撃が集中し始めたものの、対空砲で抵抗を続け戦場に踏みとどまった。時折雷撃や機銃掃射が来たものの、巧みな回避で無傷だった。
旗艦瑞鶴沈没の際はカッターを出し、小沢司令官の収容を行っている。しかしこの時、小沢司令官だけを救助し、他の乗員は見捨てる形となってしまった事から生き残った瑞鶴乗員に怨まれる事態となり、彼らは内地に停泊している大淀の姿を見るなり罵倒を浴びせたという。
瑞鶴の最期を看取った後も攻撃は続いた。特に大型艦である伊勢、日向、大淀への攻撃は猛烈で、ついに四番砲塔が爆発した。どうやら弾薬に引火したようで、火はすぐに鎮火したものの、要員が全滅。艦内は負傷者で溢れた。しかしこれ以上の損害は出ず、大淀は六次まで続いた敵の大空襲を生き延びた。見渡すと僚艦の数がかなり減っており、生き残った艦艇は伊勢、日向の近くに集結していた。大淀は残存艦隊の先頭に立ち、撤退。空襲が始まる前に戦域を離脱し、命からがら奄美大島へ帰投した。11月1日、すぐに南方へ戻りマニラに入港している。

次の任地はフィリピンのマニラだったが、いざマニラに着くとそこは空襲を受ける可能性がある聞かされミリに移動、出港直後の大空襲から間一髪で脱出。着いたミリでもB-24の爆撃を浴びるがどうにか無事に切り抜け、次に向かったブルネイで武装の整備が成された後、伊勢や日向、足柄など他の多数の艦と共に今度はリンガへと向かっている。

以降はカムランやサンジャックなど各地を転々としていたが、12月21日より木村昌福少将が指揮する“礼号作戦”への参加が決定する。なお、木村は「指揮能力に優れた大淀を旗艦に」という意見に対して「自分は駆逐艦乗りだから」という理由で駆逐艦の霞を旗艦に選んでおり、結局ここでも大淀の指揮能力が活かされる事はなかった。その礼号作戦では自身もかなりの被害を受けるが、サンホセへの砲撃は成功。食らった爆弾2発はいずれも不発で、この戦いにも大淀は生き残ってみせた。なお、帰途の途中で往路で敵の攻撃を受けて沈没した清霜の救助を行った霞と朝霜を守るべく、足柄と共に命令を無視してその場に留まり、敵の魚雷艇を追い払っている。
余談だが、この礼号作戦の実行前後、僅かな間ではあるが大淀は二水戦臨時旗艦を勤めていた(作戦実行中のみ、霞が臨時旗艦になっていた)。

1945年元旦、シンガポールへ入港。司令室だったスペースも倉庫となり、南方産資源を満載。2月10日、物資を輸送する“北号作戦”に従事。危険な任務とされていたが同道した日向と伊勢の運に助けられたか無事任務をこなして20日に呉へ到着した。
大淀達によって届けられた資源は日本に届けられた最後の資源だったとされ上層部は狂喜乱舞したという。

しかし、大淀の軽巡艦としての役割はここまででもう動かす燃料も無くなった大淀は3月1日、練習艦へと成り下がる。その後の19日、米軍による呉軍港への大規模な空襲に巻き込まれて大破炎上。航行不能になるまでのダメージを負ってしまう。その応急修理が施された後で江田島湾に運ばれ、それ以降は浮き砲台として湾を守っていたが、7月24日の大空襲で再び損傷、そして3度目の空襲(呉軍港空襲)の際に完全に大破し、乗員300人の死者を出す。本体はそのまま転覆着底、この状態で終戦を迎え、大淀の戦いは終わったのだった。
竜骨が折れ、軍艦として再起するのは不可能な状態だったという。

1945年11月20日除籍、それから2年後の1947年に引き上げられ、旧呉鎮守府工廠ドックまで運ばれた後で解体された。

現在戦没地である江田島市大柿町飛渡瀬に慰霊碑がある。目印が乏しい上に民家の周辺を通るので聖地巡礼の際は注意されたし。

当初は姉妹艦として仁淀も建造予定であったが、こちらは未建造で終わっている。また、1992年から海上自衛隊のあぶくま型護衛艦3番艦として“おおよど”が就航している。また、1972年から1999年までちくご型護衛艦7番艦として“によど”が就航していた。

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我が艦隊の関連項目を整理しました。

  • 艦隊これくしょん~艦これ~
  • 軽巡洋艦(艦これ)
  • 明石(艦これ) - 『艦これ』開始当初は彼女もアイテム屋娘というNPCだった。→あかよど
  • 日向(艦これ) - 共に宮崎県由来で、レイテ海戦と北号作戦、呉軍港空襲まで一緒だった。
  • メガネ艦娘一覧
    • 武蔵(艦これ)
    • 霧島(艦これ)
    • ローマ(艦これ)
    • 鳥海(艦これ)
    • 大淀(艦これ)
    • 香取(艦これ)
    • 望月(艦これ)
    • 巻雲(艦これ)
    • 沖波(艦これ)
    • 天霧(艦これ)
    • 伊8(艦これ)
  • 北号作戦 - 完部隊 : 日向(艦これ) 伊勢(艦これ) 第二一駆逐隊(最終)
  • 大淀
  • 川澄綾子 - 川澄艦隊
  • 藤川 - 藤川艦隊 [衣笠 大淀 明石 朝雲 山雲 秋雲 夕雲型姉妹]
レイテ沖海戦 - エンガノ岬沖海戦 / 小沢艦隊
航空母艦 - 瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田
航空戦艦 - 伊勢 日向
軽巡洋艦 - 球磨 五十鈴 大淀
駆 逐 艦 - 秋月 初月 ほか

礼号作戦 挺身部隊 「礼号組
駆逐艦 - 朝霜 清霜 ほか
巡洋艦 - 大淀 足柄

艦娘たちの戦後 - 呉軍港空襲終戦組
航空母艦 - 鳳翔 天城 葛城 龍鳳
戦艦/航空戦艦 - 伊勢 日向 榛名
重巡洋艦 - 青葉 利根
軽巡洋艦 - 北上 大淀
練習巡洋艦 - 鹿島

2014年夏イベント『AL/MI作戦』 新規実装艦娘
白露型駆逐艦 - 春雨
夕雲型駆逐艦 - 早霜 清霜
雲龍型航空母艦 - 雲龍
陽炎型駆逐艦 - 時津風 磯風
大淀型軽巡洋艦 - 大淀

脚注

  1. *連撃と両立できるのは最も威力の低い副砲入りカットインのみだが、命中率の上昇の恩恵は他のカットイン同様に存在するし、通常砲撃より強いのは変わらない。

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