小林陵侑(りょうゆう)とは、日本のスキージャンパーである。
1996年11月8日生まれ。岩手県八幡平(はちまんたい)市出身。
兄の潤志郎、姉の諭果、弟の龍尚もスキージャンプ選手である。
盛岡中央高等学校在学中は、ノルディック複合にも参戦していたが、国内のスキージャンプ大会でも少年の部での優勝などの高い成績を残していた。
2015年に高校卒業後は、葛西紀明が選手兼監督を務める土屋ホームスキー部に加入、ジャンプに的を絞った。
2016年1月23日に、スキージャンプW杯に参戦、翌24日の個人戦(ポーランド・ヴィスワ)で7位入賞を果たした。
また同年開催されたジュニア選手権で、個人ノーマルヒル、団体ノーマルヒルで銅メダルを獲得した。
2018年に開催された平昌五輪では日本代表として選ばれ、個人ノーマルヒルで7位、個人ラージヒルで10位の結果を残した。
同年のFISサマーグランプリで2勝を挙げた後、迎えた2018-2019シーズンのスキージャンプW杯で大きく飛躍する。
個人の開幕戦となったポーランド・ヴィスワでは初の3位表彰台に乗ると、次戦のフィンランド・ルカで2連勝を飾り、ランキングトップに躍り出た。
その後もニジニ・ダギル(ロシア)、エンゲルベルグ(スイス)でもそれぞれ1勝を挙げ、年末年始に開催されるジャンプ週間(フォー・ヒルズ・トーナメント)に挑んだ。
既に前評判では海外でも陵侑がタイトルを獲得するという予想が多い中、オーベルストドルフ(ドイツ)、ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)、インスブルック(オーストリア)、ビショフスホーフェン(オーストリア)の全てのラウンドで勝利を果たし、スヴェン・ハンナバルト(ドイツ)、カミル・ストッフ(ポーランド)に継ぐ史上3人目のグランドスラム達成の快挙を成し遂げた。
日本人としてのジャンプ週間制覇も、1997-1998シーズンの船木和喜以来、2人目の快挙である。
その後、ヴァル・ディ・フィエンメ(イタリア)での勝利を最後にしばらく勝利から遠ざかったものの(札幌では2日目に3位表彰台)、オーベルストドルフのフライングヒルでの2日目に、自身初のフライングヒルでの優勝を手にし、シーズン10勝を達成した。
さらに2月17日のヴィリンゲンでの個人第2戦でも優勝、そして3月10日、オスロでの個人戦で5位に入り、残り5戦を残して日本人初のW杯総合優勝を果たした。
その後、ノルウェーの4つのジャンプ台で予選、個人、団体でのスコアの合計で争うRAW AIR(ロウ・エア)という選手権においても、トロンハイムの優勝、ヴィケルスンの2位を含めた高い成績を残し、総合優勝を果たした。
さらに、フライングヒルのプラニツァで、日本新記録、世界2位タイとなる、252mを記録した。
終わってみれば、シーズン13勝(史上2位タイ)、ポディウム21回、2000ポイントオーバーという圧倒的大差でシーズンを終えた。しかもW杯で獲得出来る全てのタイトル(ジャンプ週間、ヴィリンゲン5、RAW AIR、プラニツァ7、フライング選手権)を総なめにするという快挙も成し遂げた。
モータースポーツで言えば、F1チャンピオンだけでなく、世界三大レースと言われるF1モナコGP、ル・マン24時間レース、インディ500も全て優勝するほどの快挙である。
同年、オーストリアで開催された世界選手権では、個人ラージヒルで4位、個人ノーマルヒル14位と、いずれもメダルを逃してしまうが、男子団体では銅メダルを獲得し、日本代表に10年ぶりのメダルをもたらした。
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最終更新:2025/12/15(月) 08:00
最終更新:2025/12/15(月) 07:00
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