戦艦大和 単語


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戦艦大和(せんかんやまと)とは、第二次世界大戦(WWⅡ)当時に連合艦隊旗艦として就航した戦艦。 排水量と主砲口径は現在に至るも「戦艦」としては世界最大である。大和型1番艦として呉海軍工廠で建造された。

大和型2番艦が戦艦武蔵(三菱長崎造船所で建造)、3番艦信濃は戦艦として建造中に戦局の変化により設計変更され航空母艦として完成(横須賀海軍工廠で建造)した。4番艦も建造中だったが、ミッドウェー海戦の敗北や用兵思想の変化で建造は中止された。

概要

ワシントン軍縮条約脱退後の海軍軍備計画(マル3計画)に基づいて設計・建造がスタートした。
当時の日本における造船技術・軍事技術の粋を尽くして建造されており、巨大であるとともに様々な新機軸も導入されている。そのためかかった建造費も当時の国家予算の3%という巨額になっている。
※ちなみに現在の「あたご」型イージス艦二隻分の建造費に相当する(で、そんなものかと思えるほど日本の国力は戦前、戦後にちがいがある証拠でもある)。

あまりに高額な予算のため帳簿上の操作が行われており予算上は金剛型戦艦代艦として計上され、それでも不足する予算額は駆逐艦数隻+潜水艦の建造費用として計上された。ただし、それでもなお予算上の都合から諦められた装備なども多いことは書いておいていいだろう。

このような巨艦を建造していることは仮想敵国であるアメリカ・イギリス等に対して隠蔽する必要があり、呉のドック周囲にはシュロの網がかけられたがあまりに大量のシュロが必要となったため一般家庭が用いるシュロが手に入らなくなったなど逸話も多い。長崎でも武蔵を隠すための倉庫が建築されたり、進水式の際には海から見られないよう他の軍艦等を配置して目隠しした。また日本国民に対しても「大和」「武蔵」の竣工や配備はまったく報道されることなく、当時の国民は終戦まで「長門」と「陸奥」こそが日本を代表する戦艦だと思っていた。特に主砲口径が世界最大となる46cmであることは極秘中の極秘とされ、「大和」「武蔵」を率いる艦隊司令官ですら「大和」「武蔵」の主砲は41cm級だと知らされていた。もちろん敵国アメリカも「大和」「武蔵」の実戦配備とそのおおよその大きさは掴んでいたが、主砲は40.6cmだと思っており46cmと知ったのは戦後であった。

その装備や設計思想などについてはwikipediaや各種書籍等で触れられているのであまりここでは述べることは行わない。
ただ日本海軍の戦艦に対する捉え方が極限にまで凝縮された設計思想に基づき作られた日本特有の城を思わせるような艦橋デザインなど、日本戦艦の最後を飾るに相応しい艦艇であると言えるだろう。

ただし太平洋戦争中、十分にその能力を発揮できたか。というと極めて疑問符がつく結果が残された。

あまりにも突出した「切り札」すぎたこと、「大和」「武蔵」を動かすための重油などの手当ての難しさなどから、作戦参加はあまり行われず、国内、トラック島など停泊地にとどまりつづけた。冷暖房完備で食料も優先分配された上、激戦続くソロモン海戦(ガタルカナル島の戦い)に 参戦しなかった事もあり他艦乗員から「大和ホテル」と揶揄されたことは有名だろう。ただし作戦参加が手控えられ後方での待機が続いたのは当時日本が持っていた戦艦全般に当てはまることであり「大和」「武蔵」に限らない。最も旧型(が故に損失を恐れられなかった)でかつ高速な金剛型の4隻のみが戦艦として多数の作戦に用いられた。

建造後、数度の改修が行われ、主に側面副砲二基の撤去と対空火器増設が行われている。

初陣はミッドウェー作戦で山本五十六率いる主力部隊の旗艦として参戦したが、作戦上主力部隊は空母4隻ほかからなる南雲機動部隊のはるか後方に位置しており、南雲部隊空母全滅の報を聞き会敵することなく内地へ帰還した(なおこの帰還途中に敵潜水艦と遭遇し、副砲・高角砲を射撃している)。初めて主砲による砲撃を行ったのは、あ号作戦におけるマリアナ沖海戦で、この作戦では前衛部隊に配置され敵機と交戦したが、対空射撃のみであり敵艦隊と撃ち合うことはなかった。その後捷号作戦(レイテ沖海戦)に投入され、アメリカの護衛空母・護衛駆逐艦と遭遇して初めて敵艦を狙って主砲を発射した(サマール島沖砲撃戦)。大和の46cm主砲用徹甲弾は、厚い防御装甲を持つ敵戦艦の装甲を破った後に艦内で爆発するよう特に起爆を遅く設定した遅発信管が用いられており、装甲のない護衛空母・護衛駆逐艦相手では命中した徹甲弾は爆発すること無く敵艦を突き抜けて反対側の海に飛び出したとも言われている。このレイテ沖海戦において「武蔵」を失っている。最終的に「大和を沖縄の海岸に乗りあげて砲台としてアメリカを迎え撃つ」天一号作戦の一環として参戦し沖縄に向かう途中の坊ノ岬沖にて撃沈されている。

※・・・菊水作戦は一航空隊の航空攻撃戦を指す作戦名だが、天一号作戦と混同し使用されるケースがある。

「大和」最後の戦いであった坊ノ岬沖海戦において、正午よりアメリカ空母機動部隊の艦載機の襲撃にあう。
戦争後半におけるアメリカ空母搭載の艦載機が放つ爆弾及び魚雷は開戦当時のものとは大きく破壊力が増しており、またレイテ沖海戦での「武蔵」に対峙した戦訓もあり、「大和」は多数の魚雷・爆弾を浴び、午後2時23分、傾斜による弾薬庫の誘爆、あるいは機関部の水蒸気爆発と思われる爆発と共に海に没した。
沈没地点は北緯30度22分 東経128度04分の地点。戦後しばらくたってのち、海底に眠る大和の姿が明らかになり、艦体が二つ以上に分かれているのが知られている。現在、この「大和」の引き上げ計画も検討されているようだが、そっとしておいてほしいという意見もあるだろう。


昨今、この天一号作戦直前の「大和」を写した写真が発見され、木製甲板がすべて黒一色に塗られていたことが明らかになっている。またこの甲板塗装は捷号作戦時点から行なわれていたとの説もある。

戦後、「大和」の(日本人的美意識の集約ともいえる)悲劇的結末は多くの小説などの題材に選ばれ、映画化もされている。また、広島、呉市の「大和ミュージアム」こと呉市海事歴史科学館には、1/10サイズの精巧な「大和」の模型が置かれており、多くの来館者ににぎわっている。

諸元

竣工時のものと比較用に最終状態のものを掲載。

竣工時 最終状態
基準排水量 64000t
満載排水量 72809t
公試排水量 69100t
全長 263m
全幅 38.9m
喫水 10.4m(公試時)
装甲(最圧部) 主砲塔前盾650mm
主砲塔天蓋270mm
舷側装甲410mm 

主機 艦本式タービン4基4軸150000馬力
主罐 ロ号艦本式重油専焼罐12基
速力 27kt
主砲 四十五口径九一式四十糎砲3連装3基9門
副砲 六十口径三年式十五糎五砲3連装4基12門 六十口径三年式十五糎五砲3連装2基6門
高角砲 四十口径八九式十二糎七高角砲連装6基12門 四十口径八九式十二糎七高角砲連装12基24門
機銃 九六式三連装二十五粍機銃8基
十三粍連装機銃2基 
九六式三連装機銃52基
同単装6基 
十三粍連装機銃2基 
艦載機 7機(カタパルト2基)

※実際は46cm砲だが、性能を秘匿するため名称は40cm砲となっている。

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