新井貴浩とは、阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。背番号は一貫して25。
また中日ドラゴンズに所属する新井良太は実弟である。
1998年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。
大学通算本塁打はわずか2本で、守備も下手だったためぶっちゃけドラフトにかかるレベルではなかったが、大学の先輩である野村謙二郎の自宅に突撃しアピールしたのが野村の目に留まり、新井を推薦したためドラフトにかかったらしい。
パワフルな打撃が持ち味で2000~2007年は本塁打二桁を記録しており、特に2005年は本塁打数43本を放ち、ホームラン王に輝いた。
守備位置はサードとファースト。広島入団当初は外野を守ることもあった。2008年シーズンはファーストメインで出場した結果一塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。本人はサードをメインとしたいようであるがエラーの数はかなり多く、苗字と掛けて「粗い」「粗いさん」というニックネームが野球板などで付けられていた。
なお、在籍当時監督をしていた山本浩二もこのニックネームで呼んでいた。
2006年オフに生涯広島宣言をしたが、翌年2007年オフにFA宣言し阪神に移籍した。その際に涙ながらに「辛いです」と言いながら、移籍理由が「優勝できるチームに行きたい」だったので広島ファンからは存在自体が黒歴史扱いされている。
FAから2年が経過した今でも彼を恨むファンは多く、「新井貴浩」でググると「裏切り」「在日(在日韓国人であったため)」のキーワードを一緒に勧めてくる。
ニコニコ動画でも彼が移籍直後にうpされた動画は広島ファンと阪神ファンの煽り合戦(と便乗荒らし)で凄まじい状態になっている。
日本代表にも何度か選出されており、第1回WBCの優勝メンバーであるが、出場機会はほとんど無かった。
星野JAPAN時代(北京オリンピック予選~本大会)には4番を任された。しかしチームは金どころかメダルすら獲得できず、本人は腰痛を患いチームに戻っても不本意な2008年シーズンを送る。
その為翌年の第2回WBC候補は辞退し、WBC二連覇に立ち会えなかった。日本代表がある意味一番「優勝できるチーム」なのに・・・。
さらに、移籍一年目に2008年シーズンも終盤首位を独走していたにもかかわらず巨人に逆転優勝されてしまった「Vやねん事件」に選手として立ち会う事ととなったのはもはや皮肉としか言いようが無い。
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最終更新:2025/12/11(木) 01:00
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