「柳生宗矩」(やぎゅう・むねのり 1571~1646)とは剣豪として名高い柳生宗厳(石舟斎)の5男、柳生三厳(十兵衛)の父親であり、戦国時代から江戸初期にかけての剣豪である。
柳生新陰流を興した柳生宗厳の5男として生まれ、徳川家康に仕える。関ヶ原の合戦に参戦し、功をたてることにより父・柳生宗厳が太閤検地の際に没収された旧領・大和柳生庄2000石を取り戻すことに成功し、さらに後の2代将軍徳川秀忠の剣術師範役となったことで1000石加増され3000石の大身旗本となる。
柳生宗矩は「活人剣」を提唱したこともあってか、大坂夏の陣にて徳川秀忠のもとに迫った豊臣方の武者7人を瞬く間に斬り倒したという逸話以外に宗矩が人を斬ったという記録は残っていない。
その後も剣術師範役、政治家としても活躍を続け最終的には1万2500石の大名となった。剣豪としてここまで出世した人物は柳生宗矩のほかには誰もいない。
※その他「柳生宗矩」の詳細についてはWikipediaの該当記事 参照の事。
剣豪としても名高い宗矩であるが、彼が他の剣豪と比べ最も優れている点といえばやはり政治である。秀忠の剣術師範役となった際、宗矩はただ剣を教えるのではなく剣を通じて禅や政治について説いたという。そのため、秀忠は宗矩に深い信頼を寄せ、また3代将軍である家光も宗矩が剣術師範役となり教えを説かれたため、信頼を寄せることになったという。
だが、この政治に強いという面のおかげで小説やゲームなどの創作ではよく剣豪・柳生十兵衛VS政治家・柳生宗矩が描かれることがよくあり、また、腹黒キャラとしてキャラ付されることも多々ある。
信長の野望にも登場するがまず下の一覧表を見てほしい。
| 統率 | 武勇 | 知略 | 政治 | 義理 | 足軽 | 騎馬 | 弓 | 鉄砲 | 兵器 | |
| 柳生宗厳 | 62 | 105 | 35 | 20 | 85 | A | D | D | D | D |
| 柳生宗矩 | 41 | 92 | 81 | 66 | 10 | B | D | D | D | D |
| 柳生三厳 | 64 | 97 | 32 | 12 | 62 | A | D | D | D | D |
| 柳生宗章 | 62 | 91 | 25 | 17 | 88 | A | D | C | D | D |
| 柳生利厳 | 42 | 95 | 34 | 35 | 92 | S | C | C | B | D |
この表は信長の野望・天道に登場する柳生家の剣豪のステータス一覧である。
柳生宗矩は剣豪と思えないくらいの知略政治と腹黒を表した低い義理なのがお分かりいただけるだろうか?もちろん彼は人を裏切っていないからこの義理値はどうかと思うのだが・・・・・
戦国無双 Chronicle2ndに登場。長い刀を背負い「活人剣」だからか鞘付きのまま振り回す。C5と無双奥義の時は抜くが鞘付きのままでも十分な鈍器であることは突っ込んではいけない。また、敵将撃破時のセリフの中に「安心しろォ、峰打ちだ」とあるが、そのセリフの時でも討死する武将は討死するため「峰打ちだ→討死!」のコンボが稀によく聞ける。
おじさんキャラではあるがクロニクル2ndに登場する男性武将の中で最も年齢が幼い。
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最終更新:2025/12/12(金) 14:00
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