森繁和(もり しげかず)とは、893である。元プロ野球選手、コーチである。
ネット上ではよく「森繁」「morisige」と呼ばれるが、「森」が苗字である。
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駒澤大学から1976年にロッテオリオンズにドラフト1位で指名されるが、拒否して住友金属に進み、1978年のドラフト1位で西武ライオンズに指名され入団。
西武では1年目から主に先発として活躍し、1981年には14勝を挙げ、翌年は開幕投手に指名される。同年シーズン中にリリーフに転向、1983年には当時の日本記録となる34セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した。が、その後は故障に悩まされ、1988年に現役引退。通算成績は実働9年で344試合、57勝62敗82セーブ、防御率3.73。
引退後は1999年まで西武の投手コーチを務めたのち、日本ハム、横浜で投手コーチを務め、2004年から落合博満監督の就任した中日ドラゴンズの一軍投手コーチに就任。2010年からはヘッドコーチを務めた。
有能で口の堅い投手コーチとして、中日落合政権に欠かせない片腕として手腕を振るい、中日投手陣にも森の信奉者が多い。どこからどう見ても893な風貌で選手を怒鳴りつける様は、ファンから「恫喝」と呼ばれた。
またシーズンオフには若手投手をドミニカのウィンターリーグに派遣するとともに、自らドミニカに赴いて有望な若手外国人選手を発掘してくるスカウトの側面も持っていた。中日にやたら多い得体の知れない格安外国人はだいたい森が連れてきた選手(中日はケビン・ミラー問題の影響でアメリカからの補強ルートが断たれているという事情が大きい……と言われている)。たとえばトニ・ブランコやマキシモ・ネルソンなどがいわゆる「morisigeのドミニカ土産」。
2011年、落合博満監督とともに解任。それを受けてブランコ、ネルソン、エンジェルベルト・ソトが球団の残留交渉に難色を示し、ブランコが「森コーチについていく」、ソトも「オレを日本に連れてきてくれた森さんと一緒に野球がしたいんだ」と発言するなど、自らスカウトしてきた選手からは絶大な信頼を寄せられている様子である(結局3人とも残留)。
2012年・2013年は文化放送ライオンズナイターで解説者、J SPORTSの野球解説者、スポーツニッポンの評論家を務めた。
2014年より谷繁元信が中日選手兼任監督、落合博満が同球団GMへ就任したことに伴い、中日ドラゴンズのヘッドコーチに復帰する。
外見が893を彷彿させるプロ野球関係者は数多くいるが、森繁和はその中でもトップ(?)である。
浅尾拓也を激励している(本人談)はずが、傍から見ればどう見ても恫喝にしか見えないなど、外見故に必要以上に怖がられている。
吉見一起曰く「森さんは非常に怖いけど、とても優しいところがある。」とのこと。
しかし節分の時には鬼役をした森繁和に中日投手陣はこぞって豆をぶつけるのが伝統であった。
日頃の恨みを晴らしていたのであろう。
ちなみに以下のような893エピソードが言われているが、どこからどこまでが本当かは不明。
- 朝倉健太が車の接触事故を起こしたときに駆けつけるが、事故の被害者に893と間違えられる。
- 1.の後で朝倉が被害者に森がコーチと説明するまで被害者はビビり続けた。
- ドミニカ遠征の際にピストルを3度突きつけられたことがある。
なお森繁和のAAも存在するが、なぜか正面を向いたAAが少ない。
r--──-. |____| / \ ___| | /::::⌒ | | 俺は優しくていい人、決して893ではない。 /::::: (○) | ノ OK? |::::::::::: __´.| } (⌒)::::::: `ーヽ } \ \ ヽ ノ \ “⌒´ ̄/ MORI \
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 344 | 22 | 4 | 57 | 62 | 82 | 0 | .479 | 939.0 | 287 | 455 | 3.73 |
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最終更新:2025/12/11(木) 02:00
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