福本豊 単語


ニコニコ動画で福本豊の動画を見に行く

フクモトユタカ

4.2千文字の記事
これはリビジョン 2562127 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

福本豊とは、阪急ブレーブスで活躍した元プロ野球選手で、現在は野球解説者。

「世界の盗塁王」の異名を持つ伝説の男であり、おもろいおっさんでもある。

概要

無所属
福本豊
基本情報
出身地 大阪府
生年月日 1947年11月7日
身長
体重
168 cm
68 kg
選手情報
投球・打撃 左投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1968年
経歴
選手歴
・大鉄高等学校
・松下電器産業
・阪急ブレーブス(1969年-1988年)
コーチ歴
・オリックスブレーブス(1989年-1991年)
・阪神タイガース(1998年-1999年)
プロ野球選手テンプレート

1947年、大阪市出身。大鉄高校(現:阪南大学高校)から松下電器に進み、3年目に富士鉄広畑(現:新日鐵住金広畑)の補強選手として都市対抗優勝を経験し、社会人ベストナインに選ばれる。1968年、ドラフト7位で阪急に入団。同期には山田久志と松下電器の同僚だった加藤英司がおり、同一球団の同期から名球会選手が3人も出るという歴史的なドラフトだった。しかし1位の山田、2位の加藤に比べれば福本への期待度は低かった。

現役時代は阪急ブレーブスの不動の1番バッター。通算1065盗塁(当時の世界記録)、シーズン106盗塁13年連続盗塁王などなど、盗塁に関しては他の追随を許さない(通算記録2位の広瀬叔功に倍近い差をつけている)圧倒的な日本記録を保持する盗塁の神様。その足を止めるため、当時南海ホークスの正捕手だった野村克也がクイックモーションという投球術を作り出した話は有名である。クイックモーションはメジャーよりも日本の方が発達していると言われているが、これは福本の存在があってからこそである。MLBにおいて王貞治の通算本塁打数はあくまで参考とされたのに対して、福本の通算盗塁数はMLBの正式な記録として登録されている。
実は突出して足が速い方ではなく、スタートの巧さと徹底した相手バッテリーの研究でクセを見抜き、その隙を突くことで盗塁を量産した。

盗塁に関する記録ばかりが有名だが、通算2543安打(歴代5位)、通算449二塁打(歴代2位)、通算115三塁打(歴代1位)、通算猛打賞178回(歴代5位)、また通算初回先頭打者本塁打43本(歴代1位)などの記録も持つ、球史に残る大打者である。後に盗塁の秘訣を「まず塁に出る事やね」と語ったのも納得できる記録である。俊足を活かした外野守備(主に中堅手)にも定評があり、12年連続でダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞している。ただ元々肘に故障を抱えていたこともあり肩は強い方ではなく、晩年はレフトに回されることも多かった。なお、本人が一番自慢したい記録は通算208本塁打だという。いわく「このチビがこの本数」打てたからとのこと。

引退は翌年に阪急ブレーブスがオリックスに身売りが決まっていた1988年10月23日の阪急西宮球場でのロッテオリオンズとの最終戦で、同年限りで引退を表明していた山田久志の1失点完投勝利の後の上田利治監督のインタビューで「沢山の思い出を作って頂いたこの西宮スタジアム、また、今日の試合を以て引退をする山田とか福本とか」([1]と言ってしまった事から、本人は引退する気は無かったのに流れで引退してしまったというトンでもなエピソードもある。

現役引退後は解説者として、ABCラジオ、テレビやサンテレビで阪神戦・オリックス戦の解説をしている。関西の野球ファンの間では、そのユーモラスかつ脱線しまくりの居酒屋実況ぶりはあまりにもおなじみ。特にABCの楠淳生アナウンサーとのコンビは人気が高い。しかし他方では「福本は解説者じゃない。ただの大阪のおっさんがしゃべっているだけ」など批判的な意見もある。だがサンテレビの解説者は阪神贔屓の解説が多い中、福本は普通に阪神の選手も批判することもあり、解説はあくまで中立である。

オリックス・阪神でコーチをしていたこともあるが、阪神では「ヒットが打てなければ出塁もできず、出塁できなければ盗塁もできない」と走塁コーチなのに打撃指導ばかりしていたため解任されたという逸話がある。だがその前年には「打撃コーチ」として阪神に入団していたりする。前述の通り、打者としても一流なのだが。

2014年、プロ野球80周年を記念してNPB80周年ベストナインに選ばれた。他の受賞者には王貞治、長嶋茂雄ほかそうそうたるメンバーが選出されている。受賞者の中では唯一の60台で一番若い。そんな面々と肩を並べるあたりやはり記録面では伝説の選手である。

福本豊の名(迷)言集やエピソード

解説者編

  • スコアボードに0点が並んでいる状態を見て「たこやきみたいやね」と発言。
  • その後一点が入り「たこやきに爪楊枝が付いたな」と発言。
  • 広島東洋カープの東出輝裕が、ボールがキャッチャーミットに収まってスイングしてしまい「着払いやね」と発言。この直後東出は決勝ホームランを放つ。しかしこの後五年間、東出にホームランが出る事は無かった。
  • ナゴヤドームで勝つことができない阪神について「どうしてですかね?」と訊かれ「屋根があるからちゃう?」と発言
  • 「今のプレーはどうですか?」とアナウンサーに訊かれ福本さんは「ごめん見てへんかった」と発言。
  • 甲子園での試合が終電間際の時間まで長引いた際、「加古川より向こうの人帰られへんね」と発言。
  • 阪神の4点ビハインドの場面。アナウンサーに「この回の攻撃、どうしたらいいでしょうか」と訊かれ「まず4点取らなあかんね」と発言。

その他

  • 中学時代は補欠。3年の夏でやっとレギュラーを掴んだが何故かファースト。高校で「中学で何処を守っとった?」と聞かれ、つい「ライトです」と嘘をつく。
  • 高校時代、やることないので外野の後ろで球拾いしてたら、「福本は外野のカバーに入っている。エライ」と監督に勘違いされてレギュラーになった。
  • 高校時代、新品のバットを持ってフリーバッティングに入ったら1球目でバットが折れる。理由は硬式用と区別があると知らず、店員に間違えて渡された軟式用のバットを気づかず持ってきたから。
  • スカウトに「君はもう少し背があったらねぇ」と言われたので、その人物をスカウトとは知らずに一喝したら「プロ向きの良い根性をもっている」と勘違いされる。
  • 松下電器時代、ドラフトで指名されたことは本人は全く知らなかった。翌日会社の先輩がスポーツ新聞を読んでいたので「なんかおもろいことのってまっか?」と聞いたら「おもろいことって、お前指名されとるがな」と言われて初めてドラフトに選ばれたことを知った。
  • 社会人野球の松下電器から阪急ブレーブスにプロ入りする際に、夫人に「松下から阪急に転職した」とのみ伝えたため、夫人はしばらく「夫は阪急電鉄の駅員になったのか」と勘違いしていた。夫人は阪急の各駅を周り福本を探した。そしてとある駅で「もしかしたらあなたの探してる福本は盗塁王の福本では?」と新聞を見せられて初めてそこで夫が野球選手であることを知った。
  • 通訳で阪急に戻ってきたバルボンに、守備で外国人と衝突しないように「I got it!」と声をかけろと教えてもらったが、英語のわからない福本は、聞いたなりで「アガリ」と声をかけるようになった。
  • 晩年、話題づくりの為に馬と競争させられる。その当時のことを聞くと「勝ったがな」と一言。
  • 国民栄誉賞を「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」との理由で辞退した。国民栄誉賞を受賞する人物とは、野球で記録を作るだけでなく、国民の手本となり、広く国民に敬愛される人物でないといけない。酔っ払って立ちションしたり、麻雀や煙草をやったりしてる自分は国民栄誉賞には相応しくない、という福本氏なりの考えがあったことによるものである。
  • 福本対策によるクイックモーションにより、当時の南海ホークスは優勝することができた。これによりクイックモーションが各球団に広まることになった。またそれまで盗塁されたら捕手の責任とされていたのに対して、盗塁阻止は捕手と投手の責任であるという認識に変わった。日本の野球を進化させた人物と言えるだろう。ちなみに福本本人は「ほとんど投手の責任」と考えている。
  • 盗塁の世界記録を作った際、特例で名球会入りを打診されたがこれを固辞し、後に2000本安打を達成し正式に名球会入りを果たした。
  • 現役時代からボランティアに力を入れており、1996年には日本身体障害者野球連盟の名誉会長に就任している。福本は「障害がルールに合わんのやったら、障害にルールを合わせたらええねん」と語った。実際にコーチとして指導も行っており、ビシバシと指導をしている。指導された選手が「あの人は自分を健常者と同じ目で見てくれる」「がんばってるね、という上から目線がない」と語っている。
  • 通算盗塁数2位の広瀬叔功には2倍近い数値を記録しているが、福本本人は走塁技術は広瀬にはかなわないと漏らしている。広瀬はここぞというときしか走らなかったらしい。
  • だが福本自身も記録にこだわっておらず、その気になればシーズン100盗塁はもっと出来たが面倒でやらなかったと答えている。だがもう少し記録にも拘ったおいても良かったかなとも語っている。自著では誕生日との語呂合わせで通算1107盗塁を目標にしていたとも。
  • 通算1065盗塁とシーズン106盗塁は、日本プロ野球の記録で今後破られることが極端に難しい記録の一つとも言われている。(他には王貞治の868本塁打や金田正一の400勝、江夏豊の401奪三振など)
    シーズンの盗塁数は上位3位を全て独占している。(1位1972年106盗塁、2位1973年95盗塁、3位1974年94盗塁)
  • 世界記録だった通算盗塁数は1993年にMLBのリッキー・ヘンダーソンにより破られたが、福本は記録更新間近になるとそれを見届けるため渡米し、福本が始球式を務めた試合で記録更新が達成された。試合後、福本はヘンダーソンに金色のスパイクをプレゼントし、ヘンダーソンからはお礼に記録更新時に盗った2塁ベースをプレゼントされた。

関連動画

関連項目

  • ふくもっさん
  • たこやき
  • サンテレビ
  • サンテレビジョン
  • 朝日放送
  • 阪急ブレーブス
  • プロ野球選手一覧
  • 広瀬叔功

脚注

  1. *この動画の1:58くらいから)

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
ニコニ広告[単語]

提供: ぐるりん

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/12(金) 21:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/12(金) 21:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP