そんなに遊んで欲しいなら、提督の絵描いてあげよっかー?
秋雲(あきぐも)とは、大日本帝国海軍所属の夕雲型駆逐艦2番艦陽炎型駆逐艦19番艦「秋雲」をモデルとした、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘(かんむす)である。
担当声優は竹達彩奈。
陽炎型姉妹の末の妹にあたる「秋雲」は、2013年9月13日のメンテナンス後、南方海域の解放(ただし当時は2面目まで)と同時に、「夕雲」と共に新たに実装された。
南方海域(いわゆる5面)ドロップのみだが、ボスドロップのみである「夕雲」に較べれば、通常敵でもドロップするため、やや出やすいとされている。
服装は陽炎型の姉達(あの異能生存体を除く)がグレーのジャケットとスカートでお揃いなのと違い、夕雲型の「夕雲」と同じ臙脂色のジャンパースカートに緑のネクタイリボンという姿だが、これは史実でも長い間夕雲型として扱われていたところからと思われる。
絵が両手を挙げたポーズなところから、「コロンビア2号」と呼ばれる事も多い。(「コロンビア1号」は鬼怒)
また、一際目立つドヤ顔なところから、遊び心のある提督達からは格好のコラ材料として扱われており、後発な割に知名度は高い。
その表情のインパクトゆえにあまり話題にならないが、実はポニーテイルにした状態で腰まで届く程のロングヘアの持ち主(中破してぼろぼろになってても髪型は変わらないので、ウィッグとかではないと思われ)。
「朝ご飯食べてから原稿するかなぁー」とか「もうすぐ早割入稿日じゃない!」とか「これがイケてるサークルなのよ」とか言うところから、薄い本描きではないかとも言われている。あと「治ったら倍返ししてやる」とか「ウキウキウォッチングしたくなるぅ」とか、やたらとメタなネタが多い。総じてやたらとノリが軽い愉快な艦娘である。
余談だが、図鑑の自己紹介では、説明文にないことまでしゃべっているので、一度聞いてみて頂きたい。
あと、中破絵はあからさまなパンモロである。パンモロである。大事なことなので二度言いました。
ここまであからさまな娘もそうそういないほどお尻がモロ出しになってしまう(&さらにパンストもびりびりに破ける)ので、秘書艦にしている提督は背後に注意されたし。★柄の水色おぱんつがまぶしい。あと、何気に駆逐艦としては立派な上部装甲をお持ちのご様子である。そこの軽空母、座ってろ。
駆逐艦「秋雲」は、1941年9月27日、浦賀船渠にて竣工する。すぐに第一機動部隊に編入され、真珠湾攻撃に出撃。帰還後は夕雲型駆逐艦の「夕雲」「巻雲」「風雲」と共に第10駆逐隊を編成し、機動部隊と共に太平洋を駆け回る。ミッドウェー海戦後は南方戦域に転戦。ソロモン海の戦いや、鼠輸送に従事した。
この時期の活動のうち、特筆すべき戦果として、南太平洋海戦における米空母CV-8「ホーネット」撃沈がある。
空母「翔鶴」「瑞鶴」、さらに「隼鷹」の艦載機の攻撃により大破炎上していた「ホーネット」をあわよくば拿捕しようと、連合艦隊司令部は「秋雲」と「巻雲」を分離・前進させる。 一方の米軍は、「ホーネット」の復旧は不可能と判断し、処分を決定。駆逐艦2隻(「マスティン」と「アンダーソン」)が魚雷9本と砲弾400発を撃ちこむも沈まず、2隻は日本艦の接近を受けて離脱していった。
入れ替わりにやってきた「秋雲」と「巻雲」だったが、絶賛大炎上中のうえに既に浸水して右に傾いていた「ホーネット」を見て、とても曳航できるものではないと、撃沈を決める。
2隻は魚雷4本を発射し、3本が命中。「ホーネット」は傾斜を強め、沈没していった。
この時、「秋雲」艦長の相馬正平少佐は沈没の様子を写真撮影するよう命じるも、航海長に「夜ですから写真は無理」と言われ、それではと絵の達者な信号員にスケッチをさせた。
と言っても、夜の話である。「暗くて細かいところがよく見えない」と信号員が訴えると、艦長は「どうだ、これで明るくなったろう」と言わんばかりに、探照灯を5、6回に渡り点灯させた。
しかし、 探照灯の使用は自分の位置を晒す危険行為 であり[1]、乗員たちが驚いたのは勿論、僚艦の「巻雲」も「何事か!?」と驚きの発光信号を送っている。
艦長の大胆な手助けもあり、ホーネットのスケッチは無事完成した。同艦はドゥーリットル東京空襲に用いられた艦でもあったため、仇討だと喜ぶものもいたという。
言うまでもなく、「秋雲」の絵描き設定や夜戦時のセリフ「夜は暗くて絵が描きにくいよねー。サーチライトで照らそっか?」、さらに「巻雲」の「はわわわわ…こんな時に探照灯つけるなんて!秋雲のばかぁ!」はこのエピソードが元である。
さて、翌年の1943年には、ガダルカナル撤退作戦に参加した後、戦死した山本長官の遺骨を「武蔵」と共に日本へ送り届けた[2]。
この後電探を装備し、北方へ転戦。キスカ撤退作戦にも参加している。
北方より戻ると再び機動部隊に編入され、南方に進出。秋には第二次ベララベラ海戦に参加。本海戦で「夕雲」を失うも、敵駆逐艦3隻を大破させ、さらに本来の目的「ベララベラ島からの撤退」には成功している。
この後船団護衛を務めて日本に帰還。整備を終えた翌1944年には再び南方に戻ったが、4月11日、船団護衛中に米潜水艦レッドフィンの雷撃により沈没した。また潜水艦か!
他の「陽炎」型の例に漏れず、太平洋を縦横無尽に駆け巡った3年間であった。
戦後になってから、艦艇研究の第一人者たる福井静夫が「秋雲」を夕雲型駆逐艦に分類しており、概ねそれで通っていた。
これに対して、元自衛官の艦艇研究家である田村俊夫が、「夕雲型の中で「秋雲」だけが何故、二番砲塔を外して機銃追加、なんて改装をしたんだろう?」と疑問に思ったのを発端として、調査研究した結果を「世界の艦船」1994年4月号で発表した。
その内容は「発見! 実は「秋雲」は陽炎型駆逐艦だった!!」
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陽 .| , Nヾ ゙ ゙ヽ |\/ ∨l/
炎 レ' 7N゙、 ゙i _|`
型 /N゙ゞ .! ヽ
だ 7ゞミミ、 ノ,彡イハヾ、 i Z 秋
っ Zー-r-==、'リノ_ノ_,.ヾミ,.ィ,ニi ヽ 雲
た / {i `゙';l={゙´石ゞ}='´゙'r_/ 〈 は
ん |: `iー'/ ヾ、__,.ノ /i´ /
だ i、 ! ゙ニ-=、 u / ,ト, ∠_
よ |` ヽ、i'、_丿 /// ヽ /_
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根拠としては、
が挙げられ、この研究結果は「ちょっと不確定なところはあるけど、概ね正しいっぽい?」と受け取られ、現在は「秋雲」は陽炎型19番艦である、というのが定説となっている。
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最終更新:2025/12/11(木) 11:00
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