荒木貴裕(あらき たかひろ)とは、
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1987年7月26日生まれ、富山県小矢部市出身。
山梨の帝京第三高校では1年から遊撃手のレギュラーとなる。県大会ベスト4が最高で甲子園出場はならなかったが、近畿大学の監督の目に留まり近大に進学。
近大では二岡智宏・藤田一也・小瀬浩之などがつけた背番号7を背負った。3年次には大学日本代表にも選出。身体能力の高さと、全日本でも主将を務めたキャプテンシーを高く評価され、2009年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズに3位で指名され入団。背番号24。
1年目の2010年、球団では1970年の中村国昭以来40年ぶりとなるルーキー開幕戦スタメンを勝ち取る(7番・遊撃手)。が、打撃で結果が出ずその後は代走・守備固めとして一軍と二軍を往復。18試合で打率.100に終わった。二軍では遊撃手のレギュラーとして起用された。
2011年は二軍で山田哲人が遊撃に固定されたため、二塁手のレギュラーとして起用。地元・富山で行われたフレッシュオールスターでMVPを獲得、二軍では109試合に出場したが、一軍では3試合の出場に終わり、クライマックスシリーズも故障で出場できなかった。2012年も一軍では6試合の出場に終わる。
2013年、二軍で打率.349と打撃好調で6月に一軍昇格。三塁スタメンで起用されたが、6月9日の日本ハム戦でリーグワーストタイとなる1試合3失策を犯してしまう。その後、畠山和洋の抹消もあり一塁手として起用され、6月27日のDeNA戦でプロ初本塁打を放った。しかしその後は全くヒットが出ず7月に二軍落ち。そのままシーズンを終え、一軍出場は12試合に終わった。
5歳のときに4歳上の姉を小児がんで亡くしており、プロ入りして入寮した際にも「姉の分まで頑張りたい」とコメントしている。プロ初本塁打は姉の誕生日の翌日であった。
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最終更新:2025/12/13(土) 12:00
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