藤田一也(ふじた かずや、1982年7月3日-)とは、徳島県出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #6 選手会長 |
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| 藤田一也 | |
| 基本情報 | |
| 出身地 | 徳島県鳴門市 |
| 生年月日 | 1982年7月3日 |
| 身長 体重 |
175cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投左打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 2004年ドラフト4巡目 |
| 経歴 | |
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| プロ野球選手テンプレート | |
アマチュアでは世界大学野球大会に出場し銀メダル獲得に貢献し、2004年ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。
2005年は二軍で遊撃手のレギュラーを獲得し、イースタン2位の打率.329、盗塁16の成績を残した。
一軍では2007年に仁志敏久が加入したため、ポスト石井琢朗として遊撃手の定位置を石川雄洋と争う。守備には定評があったが、打撃が力不足でなかなか定位置確保とはならなかった。
2009年は仁志の不振もあり、二塁手のレギュラーとして起用された。自己最多の120試合に出場、課題とされていた打撃も克服し石川を超える打率を記録、守備でも失策はわずか6だった。
2010年はホセ・カスティーヨの加入によりスタメンの機会が大幅に減る。106試合に出場し打率は3割を超えたが、打席数は大幅に減った。
2011年はカスティーヨが解雇されたためレギュラー獲得かと思われたが、渡辺直人が入団し二塁手にコンバート。やはり控えに留まるが、2年連続で規定打席未満ながら打率3割をマーク。
2012年は三塁・遊撃の準レギュラーとして起用されていたが、6月24日に内村賢介とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することになった。Kスタに不慣れなためか当初はらしからぬエラーが目立った。
2013年は副キャプテンに任命され、ケガで出遅れるものの復帰後は二塁手のレギュラーに完全に定着。
打順は最終的に2番に固定され、高いバント成功率とチャンスでの勝負強さを発揮、初の規定打席到達で打率.275、打点48と成績を残し、優勝と日本一に貢献した。
守備では松井稼頭央と鉄壁の二遊間を結成し日々ファインプレーを連発。ゴールデングラブ賞&ベストナインを獲得するまでに至る飛躍の年となった。
2014年は選手会長に任命された。プロ入り10年目にして初めて全試合に出場した。オフに2年連続でゴールデングラブ賞&ベストナインに選出された。
2015年は他の打者達が打撃不振に陥る中で好調を維持し、2番、3番、5番といったなどクリーンアップを任されることもあった。6月20日のロッテ戦で肉離れを起こし、翌日に登録を抹消され、7月31日に復帰した後は三塁で起用されることも増えたが、9月29日のソフトバンク戦にて第一打席に死球を受け途中交代。この試合がシーズン最後の出場試合となった。シーズンでは満塁本塁打を2本放つなど、低調な打線の中で勝負強い打撃で一人奮闘した。
俊足と好守が武器で、弱点は非力さという典型的な小兵・守備の人系の内野手。
2010年以降は打率3割を超えるなど打撃開眼の気配を見せているが、横浜時代は何故か石川雄洋からレギュラーを奪えないでいるため石川が何かと言われる理由のひとつになっていた。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 横浜 DeNA |
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| 楽天 | 応援歌のピコカキコ一覧#354 | 9516 |
(2015年終了時点)
| 通算:11年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 979 | 3054 | 2719 | 273 | 738 | 15 | 213 | 33 | 168 | 20 | 109 | 38 | 272 | 40 | .271 | .307 |
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最終更新:2025/12/13(土) 12:00
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