那須野巧(なすの たくみ)とは、横浜ベイスターズ、千葉ロッテマリーンズに所属していた元プロ野球選手。左投左打。
思わず仁志敏久もエラーしてまうほどのテンポ・リズムの悪さと、インコースのストレートを使う度胸もないことに定評がある。
1982年10月4日、東京都豊島区出身。駒場学園高校、日本大学を経て2004年のドラフト会議にて自由獲得枠で横浜に入団。同年のドラフトでは一場靖弘(東北楽天→東京ヤクルト)、野間口貴彦(巨人)と並ぶ目玉投手だった。なお、同年のドラフトで指名された高卒投手にダルビッシュ有と涌井秀章がいる。
入団時、支払われた契約金が規定の最高額(1億円)を大幅に上回る5億3000万円だったことで有名。
「Go!Go!Let'sGo!5億! ねーよw ねーよw ベイスターズ!」
――オリックス・バファローズ応援団
「(5億は)ちょっと高いと思ったかもしれません」
――椎野茂
入団当初の2年間は先発、2007年は中継ぎ、2008年は再び先発、2009年はまた中継ぎと全く起用法が一定しない。先発として起用された2008年は、チーム内では三浦大輔、小林太志に次ぐ勝ち星を挙げた(5勝)。なお同年の12敗はリーグ2位。
2009年は防御率11.57と全く結果を残せず、シーズン終了後、清水直行との交換トレードで斎藤俊雄とともに千葉ロッテマリーンズに移籍することが決まった。
2010年はキャンプから西本聖コーチの下、4日で650球近くを投げ込まされ心を折られかける。が、特に何も変わらず2月の段階で開幕二軍が決定。川越英隆、今岡誠、的場直樹らのトライアウト組や斉藤俊雄、吉見祐治といった横浜移籍組が次々と一軍に上がってゆくなか完全に取り残され、二軍で19試合登板(4勝4セーブ、防御率4.75)しただけでシーズン終了。
2011年も一軍登板はなく、二軍でも8試合で防御率5点台に終わり、オフにとうとう戦力外通告を受けた。このまま引退となる模様。
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最終更新:2025/12/06(土) 13:00
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