エクスターミネーター(exterminator)とは、「撲滅する者」という意味の英単語である。また、以下のものを指す。
- 1915年生まれのアメリカの競走馬(騸馬)。ケンタッキーダービー勝利を含む100戦50勝という成績を残した戦前最高クラスの騸馬。
- 1980年に公開されたジェームズ・グリッケンハウス監督のアクション映画のタイトル(邦題は「エクスタミネーター」)。
以下、1について詳述する。
概要
父McGee、母Fair Empress、母父Jim Goreという血統。
父マギーは53戦24勝だがステークス競走は勝っていない。ただし、種牡馬としては1913年のケンタッキーダービー馬Donerailなどを出して成功している。
母フェアエンプレスは2戦未勝利だが繁殖牝馬としては16頭中9頭が勝ち馬となっている。少し遠いが本馬の高祖母Blue Grass Belleの全妹に1884年のケンタッキーオークス馬Modestyがいる。
母父ジムゴアは1887年に現在も有力競走として残っているクラークSを勝ち、ケンタッキーダービーで2着となっている。
ケンタッキー州で生産された本馬は1歳時のサラトガセールに上場され、自分で所有馬の調教をつけていたJ.カル・ミラムという馬主に1500ドルで落札された。気性が荒く体格も痩せていたので2歳時に去勢され、戦う相手を全滅させるという期待を込めて「撲滅者」という意味の馬名を与えられた。
2~3歳時
2歳6月に6ハロンのメイドン(未勝利戦)で3馬身差のデビュー勝ちを収めると、カナダに足を伸ばしてオンタリオ州のウィンザー競馬場のアローワンス(5ハロン)に出走したが、道中で他馬と接触し4着。中2日で使った同競馬場の5.5ハロンのアローワンスは勝利したが、アメリカに戻ってケニルワース競馬場で出走した5.5ハロンのアローワンスでは4着に敗れ、ここで脚を捻挫し休養に入った。2歳時は4戦2勝で全く目立つところが無かった。
3歳になると、前年にホープフルSを勝つなど9戦5勝の戦績を残していた同期の有力馬Sun Briarの調教相手を探していた同馬のオーナー、ウィリス・シャープ・キルマーに9000ドルで購入され、彼の専属調教師であったヘンリー・マクダニエル師の元に移った。キルマーからは調教相手としか見られず侮られていた本馬だが、マクダニエル師は調教中にSun Briarを先に行かせてじっと控えるなどの本馬の走りを見て評価を高めていた。
そんな中、Sun Briarが骨瘤を起こしてケンタッキーダービーに出走出来なくなると、マクダニエル師は本馬を代わりに出すように勧めたが、もとより本馬を舐めていたキルマーにはその気は微塵も無かった。チャーチルダウンズ競馬場の代表者だったマット・ウィン大佐に調教を見てもらって説得してもらうということまでしてようやくマクダニエル師はエクスターミネーターをケンタッキーダービーの舞台に送り出すことになったが、キルマーはこの期に及んでもなお渋い顔をしていたという。
単勝31倍で8頭中8番人気とファンからの期待は非常に低かったし、Sun Briarからスライドする形になった鞍上のウィリー・ナップ騎手も本馬にはろくに期待していなかった。ところが早朝からの雨で馬場が悪化した中、本馬は直線で前年のブリーダーズフューチュリティ優勝馬Escobaを1馬身差の2着に下して優勝。ナップ騎手も馬主のキルマーも呆然となり、キルマーは本馬の素質を見抜いたマクダニエル師に1000ドルをプレゼントした。なお本馬は5月30日生まれで、これより遅く産まれたケンタッキーダービー馬は現在でも存在しない。
ところが、続くターフアンドフィールドH(1マイル)、ラトニアダービー(12ハロン)、ケナーS(9.5ハロン)をいずれも2着に敗れると、Sun Briar、ベルモントS勝ち馬Johren、分割競走となったプリークネスSの勝ち馬の1頭War Cloudの3頭との対戦となったトラヴァーズSではSun Briarから12馬身差で4頭中4着に敗れ、続けて出走した10ハロンのハンデキャップ競走も3着に敗れ5連敗を喫した。
約1ヶ月の休養を経て10月に復帰すると一皮剥けたようになり、10月は5戦して3勝2着1回3着1回の成績を残した。続くピムリコオータムH(10ハロン)も勝つと、ボウイーH(12ハロン)では2歳上のGeorge Smith、1歳上のOmar Khayyamというケンタッキーダービー馬の先輩2頭に敗れ3着だったが、ラトニアカップH(18ハロン)とサンクスギヴィングH(8.5ハロン)を連勝し、年間15戦7勝としてシーズンを終えた。
4歳時
4歳時は初戦の8ハロン70ヤード(≒1673m)のハンデキャップ競走を馬なりのままレコード勝ちしたのを皮切りに3連勝し、2頭立てとなったカムデンH(10ハロン)では対戦相手のMidwayに14ポンドものハンデを与えてなお1馬身差で勝利した。翌週の1マイルの一般競走でハナ差2着の後、その更に翌週に出走した同条件のハンデキャップ競走では5馬身差で勝利した。
しかしこの後、134ポンド(≒60.8kg)の斤量で出走したケンタッキーH(10ハロン)で12ポンド軽いMidwayに差され3着に終わったのをきっかけにケチが付き、サバーバンH(10ハロン)とエクセルシオールH(8.5ハロン)でいずれも5着、デラウェアH(1マイル)で3着、シャンプレインH(9ハロン)で2着、マーチャンツ&シチズンズH(9.5ハロン)で3着と6連敗。僚馬Sun Briarに勝ちを譲ったようにゴール前であまり追われなかったと伝わるシャンプレインHはともかく、残る5戦はどうも決め手に欠ける内容であった。
それでも、当時の古馬のトップレースだったサラトガカップ(14ハロン)では2:58.0のコースレコードを記録して勝利し、ハートフォードカウンティH(8f70y)2着を経て8.5ハロンの一般競走でマーチャンツ&シチズンズHの勝ち馬Cudgelを破り勝利。ハヴァードグレイスH(9ハロン)では不利を受けCudgelの半馬身差2着に終わったが、続く8.5ハロンの一般競走は勝利した。
その後、アナポリスH(12ハロン)で2着、ラトニアカップでも2着と敗れ、ボウイーHでは5頭中5着に終わったが、この年から新設されたピムリコカップH(18ハロン)は4馬身差でレコード勝ちし、21戦9勝で4歳シーズンを終了した。
5歳
オフシーズンの間に馬主のキルマーの専属調教師がJ.サイモン・ヒーリー師に替わったことから、本馬も同調教師の管理馬となった。初戦となった8.5ハロンのハンデキャップ競走で2着、サバーバンHで2歳下のケンタッキーダービー馬Paul Jonesの3着となった後、ロングビーチH(9ハロン)をレコード勝ちした。
ブルックリンH(9ハロン)で4着の後、8.5ハロンのハンデキャップ競走とブルックデイルH(9ハロン)を連勝したが、フロンティアH(9ハロン)では3着、サラトガH(10ハロン)では後に初代米国三冠馬と言われるようになるSir Bartonに敗れ2着、シャンプレインHも2着に終わった。その後カナダのウィンザー競馬場でジョッキークラブH(9ハロン)とジョージ・ヘンドリーH(8.5ハロン)を連勝した。
続くサラトガカップには2歳下で当時17戦16勝、非常に評判の高かったMan o' Warがエントリーしていたが結局同馬は回避し、この年のCCAオークス馬Cleopatraとの2頭立てとなった。このレースは2:56.4の全米レコードで6馬身差の圧勝を収め、オータムゴールドカップ(2マイル)もアタマ差ではあったが再び3:21.8の全米レコードで勝利した。
この後、ヒーリー師が専属調教師を辞任したため、ヘンリー・マクダニエル師の弟であるウィル師の管理馬となった。カナダに移動して出走した転厩初戦のトロントオータムカップ(10ハロン)と続くオンタリオジョッキークラブカップ(18ハロン)はともに勝利し、連勝を6に伸ばした。
本馬の馬主のキルマーはこの頃Man o' Warとの対戦を画策していたが、結局Man o' Warとの対戦は実現せず、同馬はオンタリオジョッキークラブカップから10日後のケニルワースパークゴールドカップで引退した。この辺りはMan o' War陣営がエクスターミネーター陣営からのマッチレースの申し入れを蹴り続けたとか、エクスターミネーター側がケニルワースパークゴールドカップの招待を蹴ったとか諸説あるが、正直なところ100年以上も前の話だけに真相はほぼ闇の中だろう。
閑話休題、本馬の方は次走となるボウイーHこそ5着に敗れたが、最終戦となったピムリコカップHでは前年のレコードを20秒も縮める3:53.0の時計を叩き出してハナ差で勝利し、5歳時は17戦10勝となった。
6歳時
6歳時はキングズカウンティH(8.5ハロン)とエクセルシオールHでいずれも2着の後にロングビーチHでレコード勝ちしたが、サバーバンHでは5着、ブルックリンHでは直前のベルモントSを勝った3歳馬Grey Lagと「Man o' Warを唯一本気にさせた馬」John P. Grierに後れを取り3着に終わった。この敗戦を受け、馬主のキルマーは本馬をフレッド・カーティス厩舎に転厩させた。
ところが、転厩初戦のインディペンデンスH(12ハロン)を1馬身半差で勝利した後にダニエル・ブーンH(9.5ハロン)とフロンティアHで立て続けに3着に敗れると、これが原因でカーティス師は管理調教師を辞めさせられ、本馬はかつて騎手としてケンタッキーダービーを共に制したウィリー・ナップ調教師の元に移ることになった。
130ポンド(≒59kg)を背負った転厩初戦のマーチャンツ&シチズンズHを勝利して迎えたサラトガカップはとうとう単走となり、オータムゴールドカップは130ポンドを背負って104ポンド(≒47.2kg)の牝馬Bellsolarに6馬身差で圧勝、トロントオータムカップは137ポンド(≒62.1kg)を背負ってなお前年の2着馬My Dearにクビ差で勝利した。その後はアナポリスHで3着、10ハロンのハンデキャップ競走で1着、レキシントンカップ(12ハロン)で3着と来て、最終戦のピムリコカップHをアタマ差で勝って3連覇を達成し、6歳時は16戦8勝となった。
7歳時
ユージン・ウェイランド師に管理調教師が替わって迎えた7歳シーズンは、初戦のハーフォードH(6ハロン)でいきなり同競走3連覇中の快速馬Billy Kellyを破って勝つというパフォーマンスを見せた。続くフィラデルフィアH(8.5ハロン)こそハナ差2着だったが、その後ピムリコスプリングH(8.5ハロン)を皮切りにクラークH(9ハロン)、ケンタッキーH、ハンデキャップ競走2戦、ブルックリンHと6連勝を記録した。この6連勝中、いずれも斤量133ポンド(≒60.3kg)以上を背負っていたことと、ブルックリンHで撃破したGrey Lagにとってはこれがこの年の6戦で唯一の敗戦となったことは特筆すべきであろう。
140ポンド(≒63.5kg)を背負ったインディペンデンスHは6着、136ポンド(≒61.7kg)を背負ったサラトガHは5頭立て5着と流石に厳しい結果に終わったが、サラトガカップはクビ差で勝利して4連覇、トロントオータムカップも1馬身半差で勝利して3連覇を達成した。
この後、ホーソーン競馬場において開催されたダート10ハロンのコースレコードを目標タイムとするタイムトライアルレースに挑戦したエクスターミネーターだったが、レコードタイムどころか過去の持ち時計にも5秒以上劣る凡庸な内容に終わり、単走レースで敗戦するという珍事を経験することとなった。
その後は6ハロンのハンデキャップ競走4着を経て出走したローレルS(1マイル)を4馬身差で圧勝したが、ワシントンH(10ハロン)で4着、ピムリコカップHでは125ポンド(≒56.7kg)というシーズン前半の連勝中と比べて軽い斤量でありながら大差の3着に敗れ4連覇を逸するという結果に終わった。それでも、このシーズンは17戦10勝の成績を残した。
8歳以降
ウィリアム・シールズ厩舎に移った8歳時は始動戦のハーフォードHで3着の後にフィラデルフィアHを勝利したが、続く8ハロン70ヤードのハンデキャップ競走で2着に敗れ、この3戦だけで休養入りした。
9歳時は再びヘンリー・マクダニエル師が管理することになったが、124ポンド(≒56.2kg)でも着外に敗れるような有様で最初の5戦で2勝に終わり、ジョン・I.スミス師の元に移ってカナダで1マイルの一般競走を勝利した後、100回目の出走となったクイーンズホテルH(8.5ハロン)で3着となったのを最後に遂に現役を引退した。
その後はファンから人気を博しながら悠々自適の余生を過ごし、第二次世界大戦の終戦直後の1945年9月26日に30歳で死亡した。後に終の棲家となったサンブライアーコートが所在するニューヨーク州・ビンガムトンのウィスパリングパインズ・ペット霊園にSun Briarや1932年のケンタッキーオークス馬Sunticaとの連名で墓碑が建立されている。
総評
通算成績は100戦50勝、資料によって出走数に入れるかに揺れがあるタイムトライアルレースを除外しても99戦50勝であり、130ポンド以上を背負って35戦21勝という尋常ならざるタフネスを誇った。獲得賞金は当時の北米記録となる25万2996ドルを記録し、現在も北米タイ記録となるステークス競走34勝の大記録を持っている。
9回も管理調教師が替わった本馬だが、転厩初戦でもあっさり結果を出す時は出しているし、去勢された効果もあってかレースでも非常に落ち着いて走っていたという。その痩せた体格とそれにそぐわぬ気骨からついた渾名が元々あった「Bones」から発展した「Old Bones」(老骨)であり、本馬を扱った書籍のタイトルにもなるほどの象徴的なフレーズとなった。
1957年にアメリカ、2016年にカナダで殿堂入りしている本馬は、ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第29位。同時代を生きたMan o' Warが第1位に輝いたのと比べると少し下の方ではあるが、騎手としても調教師としても共に戦ったウィリー・ナップ騎手が「ベストの時ならMan o' WarでもCitationでもKelsoでも、何が相手でも勝てた」と評したその強さは、Man o' Warとの実現しなかった対戦を引き合いに出すまでもないであろう。
血統表
McGee 1900 鹿毛 |
White Knight 1895 栗毛 |
Sir Hugo | Wisdom |
Manoeuvre | |||
Whitelock | Wenlock | ||
White Heather | |||
Remorse 1876 鹿毛 |
Hermit | Newminster | |
Seclusion | |||
Vex | Vedette | ||
Flying Duchess | |||
Fair Empress 1899 鹿毛 FNo.A1 |
Jim Gore 1884 鹿毛 |
Hindoo | Virgil |
Florence | |||
Katie | Phaeton | ||
War Dance Mare | |||
Merrythought 1893 黒鹿毛 |
Pirate of Penzance | Prince Charlie | |
Plunder | |||
Raybelle | Rayon d'Or | ||
Blue Grass Belle |
クロス:Lord Clifden 5×5(6.25%)、Blair Athol 5×5(6.25%)、War Dance 5×5(6.25%)
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関連項目
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