ハーミット(Hermit)は、1864年生まれのイギリスの競走馬・種牡馬である。
1867年のダービーステークスを制し、種牡馬としても英愛リーディングサイアーを7回獲得する活躍を挙げた。
概要
父は両親ともゴールドカップを勝った1851年のセントレジャー優勝馬で種牡馬としても英愛リーディングサイアーを2回獲得したNewminster、母は当時としては目立たない牝系だったため「隠遁」という馬名を与えられたが現役時代6勝したSeclusion、母父はHighflyer→Sir Peter Teazleというラインの中でもかなりの傍流に位置する1849年のダービーステークス3着馬Tadmorという血統。
牝系は「当時としては」と書いたようにその後発展しており、Seclusionは牝系子孫に英二冠馬Minoru、英愛リーディングサイアー2回のSon-in-Law、アメリカの名種牡馬Seeking the Gold、ホッカイドウ競馬の星コスモバルクらを出して一大牝系祖先となっている。
本馬は現在でも2歳GIとして残るミドルパークSを創設したミドルパークスタッドの代表者、ウィリアム・ブレンキロンによって同牧場で生産され、小柄な一方で均整の取れた馬体に成長した。1歳6月のセリにおいて保守党の政治家ヘンリー・チャップリンの代理人として来場した彼のレーシングマネージャーであるジェームズ・マッチェルが第4代ヘイスティングス侯爵に競り勝って1000ギニーで落札し、チャールズ師とジョージ師のブロス兄弟に預託された。
因縁
本馬の蹄跡を記す前に、チャップリンとヘイスティングス侯爵の間にあった大きな因縁を先に記しておきたい。
本馬が生まれた1864年、チャップリンは第2代アングルシー侯爵の令嬢と婚約していた。結婚式も秒読みというところまで来ていたのだが、令嬢はチャップリンの2歳下の友人でもあったヘイスティングス侯爵に密かに恋心を抱いていたのである。
結婚式の直前になって事件が起こった。チャップリンと令嬢が買い物に出たところ、チャップリンが店の前で令嬢を待っている間に彼女は別の出入り口から店を出ていったばかりか、あろうことかそちら側で待っていたヘイスティングス侯爵と合流してその日のうちに結婚してしまったのである。
チャップリンはこの仕打ちで面目を失い、精神的にも大きなショックを受けた。そしてこの一件は本馬の前半生に言及するに当たって大きく関わってくることになる。
2~3歳時
1歳12月に走った非公式のトライアルレースの時点で同い年の馬に35ポンドのハンデを与えて楽勝したことから素質馬と見られていた本馬は、公式のデビュー戦で2着の後、2戦目をクビ差で勝って初勝利を挙げた。
その後エプソム競馬場で出走した5月のウッドコートS(5ハロン)では後にこの年の三冠馬となる2000ギニー馬Lord Lyonの全妹Achievementから3馬身差の2着となり、続く3戦をいずれも勝利したが、この後調子を落として2歳時は大競走への出走機会が無かった。
3歳時はマッチェルが自身の所有馬Knight of the Garterで2000ギニーを狙いたかったため本馬はダービー一本に絞って調整していたが、Knight of the Garterは本馬が2歳時に二度破っていたVaubanの2着に終わった。
試走中にKnight of the Garterより10ポンド重い斤量でこれに先着するなど順調に進んでいたかと思われていたところだったが、不運にもダービー2週間前に鼻出血を発症してしまった。母も経験があり、父の産駒の一部にもその傾向が見られたとされる点から血統的なウィークポイントであった部分が最悪のタイミングで顔を覗かせたのである。この結果、出走すら危ぶまれた本馬の主戦であるハリー・カスタンス騎手はThe Rakeという別の馬に騎乗することになった。
Uncasという馬をダービーに出す予定だったヘイスティングス侯爵は鼻出血の話が広まったのを聞きつけてこれを好機と判断し、本馬の敗退に大金を賭けた。一方の本馬は本番に間に合うまでに回復し、逆にThe Rakeが調子を崩したが、同馬の馬主がカスタンス騎手を手放すのを拒否したため、本馬は20歳の若手であるジョン・デイリー騎手でダービーに臨むことになった。
30頭立てのダービーは6月にも関わらずみぞれ混じりの雪が降って気温も非常に低いという悪天候の中で開催され、鼻出血明けで10ヶ月ぶりの競馬となる本馬は単勝67.67倍という人気薄となった。本馬の馬体は死体にも喩えられるほどみすぼらしく見えたという。
10回もフライングがあって1時間近くも発走が遅れた中、最終的にスタートが切られるとVaubanと2000ギニーで3着だったMarksmanが馬群を先導する形となった。2頭が直線に入っても先頭で競り合い、途中からMarksmanが抜け出したが、そこへ本馬が迫るとゴール前で遂にこれを捉えてクビ差で勝利した。
チャップリンはダービーオーナーの名誉を獲得し、デイリー騎手やブロス兄弟に報奨金を振る舞うなど大いに勝利を喜んだ一方、たまらないのはチャップリンへの2万ポンドの借金を含む12万ポンドという負債を抱えたヘイスティングス侯爵である。
支払いは遅れても良いとチャップリンに言われた彼は借金返済に奔走したが、翌年Lady Elizabethという牝馬がダービーで大敗してから調子を崩すなどしたのをきっかけに借金苦で精神を害していき、別の所有馬The Earlがパリ大賞やセントジェームズパレスSを勝った後の11月に「ハーミットのダービーで私の心は破壊された」と書き残して26歳で自殺してしまった。
さて、次走とセントジェームズパレスS(1マイル)を連勝したハーミットは一旦秋まで休養してセントレジャーに向かった。カスタンス騎手が鞍上に戻った本馬が1000ギニーなどを勝っていたAchievementを抑えて僅差で1番人気になったが、調教で負荷をかけすぎて疲労があったらしく、逃げたAchievementを捕まえられず1馬身差の2着に終わった。同馬とともに中1日で出走したドンカスターカップ(18ハロン)でもAchievementの3/4馬身差2着に敗れたが、その日の午後(!)に出走したセントレジャーと同条件のステークス競走を勝利した。
しかしこの過密日程が祟ったのか決め手に欠けるようになり、グランドデュークマイケルS(10ハロン)とその翌週のステークス競走(1マイル)、更にその翌日に出走したニューマーケットダービー(12ハロン)でいずれも2着に敗れてシーズンを終えた。
4~5歳時
4歳時も現役を続行し、4月の始動戦は前年のセントレジャーで3着だったJuliusより7ポンド重い斤量で2着、翌週にニューマーケット競馬場で行われたJuliusとの2マイルのマッチレースもJuliusの方が1ポンド重い斤量だったにも関わらず2着に終わった。同時期に本馬がセントジェームズパレスSで2着に破ったThe Palmerとのマッチレースも予定されていたが、本馬の方が13ポンド重い斤量になるということで出走を取りやめた。
その後は9月まで休養したが、休養明けに出走した3戦でいずれも着外に終わった。5歳時も現役を続行したが3戦して全て着外という振るわない結果に終わり、引退して種牡馬入りした。通算23戦8勝。
種牡馬成績
引退後は馬主のチャップリンがヨークシャー州に開いたブランクニーホールスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としても体質の弱い産駒を出しがちというネックを抱えながら大活躍し、1880~86年の英愛リーディングサイアーとなった他にも、英愛リーディングブルードメアサイアー5回を含むブルードメアサイアーランキング10位以内16回という記録を叩き出した。当初は20ギニーだった種付け料は最終的に15倍の300ギニーまで上昇した。1890年4月29日に26歳で死亡した。
フィリーサイアー寄りのところがあったため直系はあまり発展せず、社台グループの初期の屋台骨を担った*ガーサントの直系が絶えるとともに途絶えたものと思われるが、これはあくまでもサラブレッドの父系に限った話であり、クォーターホースの競馬においては7代父に本馬を持つDash for Cashという馬が競走馬としても種牡馬としても歴史的な活躍を収めている。
血統表
Newminster 1848 鹿毛 |
Touchstone 1831 黒鹿毛 |
Camel | Whalebone |
Selim Mare | |||
Banter | Mister Henry | ||
Boadicea | |||
Beeswing 1833 鹿毛 |
Doctor Syntax | Paynator | |
Beningbrough Mare | |||
Ardrossan Mare | Ardrossan | ||
Lady Eliza | |||
Seclusion 1857 鹿毛 FNo.5-d |
Tadmor 1846 黒鹿毛 |
Ion | Cain |
Margaret | |||
Palmyra | Sultan | ||
Hester | |||
Miss Sellon 1851 鹿毛 |
Cowl | Bay Middleton | |
Crucifix | |||
Belle Dame | Belshazzar | ||
Ellen | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Camel 3×5(15.63%)、Sultan 4×5(9.38%)、Selim 5×5(6.25%)
主な産駒
1878年産
1879年産
- Shotover (牝 母 Stray Shot 母父 Toxophilite)
- St. Marguerite (牝 母 Devotion 母父 Stockwell)
- 1882年1000ギニーステークス
- Seabreeze (1888年オークスステークス、セントレジャーステークス)の母、その他牝系子孫に活躍馬多数
1880年産
1882年産
1883年産
1884年産
- Bavarde (牝 母 Basilisque 母父 Dutch Skater)
- Brio (牡 母 Brie 母父 Parmesan)
- Timothy (牡 母 Lady Masham 母父 Brother to Strafford)
1885年産
1887年産
関連コミュニティ
関連項目
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