すぐおいしい、すごくおいしい
別に説明書かなくても分かるはず。それがチキンラーメン
みんなだいすき。それがチキンラーメン
- たまに食べたくなる。それがチキンラーメン
- 実はそこまで美味しくない。それがチキンラーメン
- でもやっぱり食べたくなる。それがチキンラーメン
- 卵入れないほうが美味しかったりする。それがチキンラーメン
- たまにお湯かけずにかぶりつけたくなる。それがチキンラーメン
- 毎日食べると飽きる。それがチキンラーメン
- 具沢山にして失敗する。それがチキンラーメン
- やっぱりシンプルなのが美味しい。それがチキンラーメン
- 値段はお手ごろ。それがチキンラーメン
- 食べるものがなにもない時になぜかある。それがチキンラーメン
- あると思っていたら無い。それがチキンラーメン
- 3分待つ間に洗濯物取り込んでたら汁がなくなっている。それがチキンラーメン
- 食べてる匂いが漂ってくるとものすごい勢いで食べたくなる。それがチキンラーメン
- 食べると好きになる。それがチキンラーメン
あなたのチキンラーメンの思い出。記事か掲示板に書いていってくださいな。
歴史が古い。それがチキンラーメン
日清食品の創業者である安藤百福が、終戦直後にラーメンを求める人々を目の当たりにし、厚生省(現:厚生労働省)に麺類の普及を要望した。
しかし麺類はパンに比べて製造が難しく流通ルートも取りにくいとして否定、ならば自分でやればいいのではと提案をされた。
数年後、財産を失った安藤は再起をかけて、即席めんの開発に着手した。
試行錯誤をする中で、てんぷらを揚げる場面を目にしたとき、揚げる際に気泡ができることでお湯による戻りが早くなることに着目、瞬間油熱乾燥法を発明し、ラーメンの製造方法について特許を取った。
スープの味については、万人受けして海外の宗教の問題(ヒンドゥー教:牛NG、イスラーム教:豚NG)もクリアーできる鶏がらベースに決まり、それを元にチキンラーメンの名前も自然に決まった。
1958年、チキンラーメン発売開始。
大阪の百貨店での試験販売で手ごたえを感じた安藤は、問屋に現金取引での強気の条件で持ちかけた。多くの問屋が拒否する中で大阪にある中谷商店が応じた。
販売を開始するとすぐさま注文が殺到し、安藤も中谷商店もうれしい悲鳴を上げた。
その後安藤は大規模な製造工場を設立し、販売を大手商社に任せるようになった。
1966年、海外でチキンラーメンを普及させようと、アメリカのバイヤーに売り込んだところ、紙コップにチキンラーメンを砕いてお湯を注いでフォークで食べた[1]。その様子を間近で見たことが、のちにカップヌードル(1971年発売)を生み出すきっかけとなった。
その後スープを別の袋に入れる袋麺がメインとなり、スープの付いた麺はほとんどなくなったものの、チキンラーメンは地道に生き残っていた。
しかし2003年に卵を受けられてどんぶりに入れやすい、窪みのある丸形に替えたことで人気が再燃、その年に最大の売り上げを記録した。
50年を超えた現在でも、チキンラーメンはスタンダード商品として売れ続けている。
世界初の即席麺?
なお、チキンラーメンは「世界初の即席麺」とされることもあるが、そこらへんは即席麺の定義による、……というか、ぶっちゃけ歴史的には疑わしいと言わざるをえない。チキンラーメンは1958年の発売なのだが、少なくとも同年には大和通商の「鶏糸麺」や東明商行の「長寿麺」がチキンラーメンよりも先に発売されているし、さらに前の1955年には松田産業(現:おやつカンパニー)から「味付中華麺」が[2]、さらに前の1953年には村田製麺所(現:都一)から油揚即席麺が販売されているのだ。では、これらの商品が世界で最初の即席麺の候補なのかというと、そうとも言い難い。というのも、この時期の中国には既に何種類もの即席麺が流通していて、そのなかには現在のチキンラーメンと同じような油で揚げた円盤状の鶏ガラ即席麺もあり、少なくとも1940年代にはそうした中国製即席麺が日本にも持ち込まれているからだ。例えば先述の「鶏糸麺」なんかも、開発者本人の談話によれば以前から中国で流通していた即席麺を日本で工業生産化した商品であって「世界最初の」即席麺ではないのだそうである。
……ということで、チキンラーメンの「世界初」については「世界で最初に商業的な大成功を収めた即席麺ブランドの一つ」ぐらいに受け取っておくのが間違いがないのかもしれない。
関連動画もあるんです。それがチキンラーメン
関連項目ももちろん。それがチキンラーメン
脚注
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