概要
主に加賀市にある「山代温泉」、「山中温泉」、「片山津温泉」と小松市にある「粟津温泉」の計4か所の温泉地の総称で、いずれも「関西の奥座敷」として古来から人気が高い温泉観光地である。玄関口である駅が「加賀温泉駅」と名乗っているため誤解されやすいが、「加賀温泉」と言う温泉は存在しない。
温泉の歴史は日本のみならず世界的に見ても非常に古く、「山代温泉」、「山中温泉」、「粟津温泉」は開湯1300年の歴史を持っており、その中の「粟津温泉」には、一時期に「世界最古の旅館・ホテル」としてギネス記録に認定された「粟津温泉 法師」が現在も営業している。[1]また、「片山津温泉」も発見されたのが1653年(江戸時代中期)で、開湯に至ったのが1876年(明治時代初期)と約200年の歴史を持つ。
また、その歴史の古さゆえ、江戸時代には松尾芭蕉、明治~昭和には与謝野晶子、田山花袋、谷崎潤一郎、棟方志功など多くの著名な偉人や文化人が各温泉地を訪れ、俳句や書籍を書き残し、その素晴らしさを後世に伝えている。さらに過去には皇太子時代に上皇明仁も滞在したことがある。
ちなみにいずれの温泉にも「総湯」と呼ばれる日帰り入浴施設があり、旅館に泊まらずとも一般的な銭湯スタイルで気軽に浸かりに行くことができる。また、こちらは旅館によっては事前予約が必要になるが、旅館の大浴場を日帰り入浴で開放しているところもある。
各温泉地・主要な旅館紹介
粟津温泉
特徴
加賀温泉郷で唯一小松市内にある温泉地で、開湯1300年の歴史を持つ古湯である。その歴史は他の三湯よりも一線を画しており、現在まで営業している旅館の中には開湯当時から営業し続け、1996年~2011年の間で「世界最古の旅館・ホテル」としてギネス世界記録に認定された旅館「法師」がある。他にも2012年に創業700年を迎えた「のとや」など、温泉とともに歩んだ歴史ある旅館が多い。
近隣には国指定名勝の「那谷寺」があり、温泉街はその門前町として栄えた。江戸時代にはその那谷寺までの参道が整備され、並木には杉が使われた。現在でもその名残として残るのが「黄門杉」で、加賀藩三代藩主の前田利常が直々に植えたと伝わる。また、松尾芭蕉の「おくのほそ道」に登場する温泉地として有名で俳句も詠み残している。
泉質・効能
源泉温度は45℃と少し高めで、泉質は「ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性-弱アルカリ性-高温泉)」[2][3]。いわゆる芒硝泉の一種で、色は無色透明で水に近くサラッとした感触の温泉である。特徴としては血管拡張作用があり、入浴し続けることによって神経痛、高血圧症、動脈硬化症筋肉痛などの解消を助ける効果があるとされる。また、新陳代謝を促進してくれるため、切りキズややけどの治癒を助けたり、美容効果も期待されている。
以上の効能があるゆえ、開湯以来から「霊泉」として重宝され続けてきた。ちなみに法師に伝わる粟津温泉の言い伝えとして、「一濯則ち形容端正、両濯則ち万病悉徐」[4]という言葉がある。
歴史
開湯の経緯
粟津温泉は、今から約1300年前の718年(養老2年 奈良時代)、白山開山の祖として知られる修験僧、泰澄によって発見された。開湯までの経緯は伝説や言い伝えが残っており、現代では言い表しがたいシチュエーションがあるが、一番有力な説として白山大権現お告げ説がある。
この説によるとある日、泰澄は夢枕で白山大権現のお告げを突如として聞いた。
「粟津という村に温泉涌出す。汝、往きて之を堀り、末代衆生の病患を救うべし」
【口語訳】
粟津という村に温泉が湧き出している。あなたはそこに行って温泉を掘り開き、(その温泉を使って後世永遠に)民衆にかかっている病気を直して救いなさい。
このお告げを聞いた泰澄は大喜びし、すぐさま粟津村(現在の小松市粟津地区)に向かったのである。
粟津村に着くと、高僧である泰澄を慕って一目見ようと大勢の村人たちが集まってきた。そんな中、泰澄は右手に錫杖、左手に数珠を持って深く目をつむってしばし歩いた。そしてある場所で立ち止まり、村人たちにここを掘るよう命じた。村人たちは協力して掘ってみると、なんと温泉が噴き出してきたではありませんか。
これを見た村人たちは驚きと歓喜に包まれ、泰澄を「生神」と崇めたのであった。
法師・のとやの創業
その後、村人たちは村に残ってほしいと泰澄に頼み続けるが、泰澄はこれを拒否。代わりに聖観世音菩薩と薬師如来の像を村に与えた。のちにこの2体の像は大王寺に安置され、祀られた。さらに弟子の雅亮を還俗させ、温泉を管理させた。のちにその雅亮は湯治宿を創業した。これが現在でも営業している旅館「法師」である。
そして雅亮は養子を「善五郎」と命名し、旅館経営を任せた。以来、この「善五郎」の名は実際に絶やすことなく受け継がれ、2021年の時点で46代続いている。旅館としても2018年に創業1300年を迎えた。
また、鎌倉時代後期の1311年(応長元年)には「旅亭懐石のとや」が創業。こちらも現在でも営業している旅館で、2011年に創業700年を迎えた。
那谷寺の門前町として栄える
開湯とほぼ同時期の717年(養老元年)の秋、泰澄は岩屋寺を開創し、粟津温泉はその門前町として栄えるようになった。989年(永延3年)~992年(正暦3年)頃には花山法皇が岩屋寺に行幸。その折に寺の名前を西国三十三所の那智山と谷汲山からそれぞれ一文字ずつ「那」と「谷」を取って「那谷寺」と改名させたのであった。
しかし室町時代に突入すると寺は南北朝動乱の戦火に巻き込まれた。戦国時代になると今度は加賀一向一揆衆の拠点となって戦が勃発。寺は荒廃し、粟津温泉も門前町としての性格が揺らぐこととなった。また、泰澄から授かった聖観世音菩薩、薬師如来を祀る大王寺も越前の朝倉氏によって焼き討ちにあった。
しかし時代は江戸時代に変わると転機が訪れる。加賀藩2代藩主の前田利常が小松に隠居すると、那谷寺と大王寺の再建を命じた。また、今江町地区周辺から粟津温泉を経由して那谷寺に至る約10kmの参道整備を命じた。参道並木には杉の木が植えられた。この整備によって粟津温泉は再び門前町としての性格を取り戻したのである。この参道はのちに「御幸街道」と呼ばれ、杉並木の1本は「黄門杉」として旅館「法師」前に現存している。
ちなみに前田利常も粟津温泉を訪れたとされ、現存する「黄門杉」を直々に植えたと伝わっている。
そして北陸地方は北前船[5]の寄港地としての性格も持ち始め、粟津温泉はそれに乗ってやって来る湯治客で大繁盛を遂げた。
文化人に愛された粟津温泉
時代は明治・大正・昭和の近代になると、与謝野晶子や田山花袋など、後世の学校の教科書に載るような著名な文化人が訪れ、粟津温泉を評価した。
特に田山花袋は、「温泉めぐり」という作品の中で「粟津温泉は一番静かで居心地がよかった」と書き記して評価している。
総湯案内
備え付けのアメニティはないため、持参する必要がある。タオルは有料貸出あり。駐車場は完備しているが、収容台数は少ない。
主要な旅館
- 粟津温泉 法師
創業1300年以上!現在で46代目、泰澄の弟子が創業したとされる旅館。粟津温泉で最も古く、世界最古2位の老舗旅館。 - 旅亭懐石 のとや
創業700年以上!温泉と懐石料理をウリにしている老舗旅館。 - かたやま緑華苑
1人旅でも気軽に泊まれると人気の旅館。 - 喜多八
「粟津温泉 き・た・は・ち♪」のローカルCMでおなじみ。創業67年、元魚屋さんの旅館。 - 湯快リゾート あわづグランドホテル
大手旅館チェーンの湯快リゾート傘下のホテル。自家掘り源泉を有する。
アクセス
山中温泉
特徴
粟津温泉、山代温泉と並んで開湯1300年を持つ歴史ある古湯。加賀市南部の山あいの谷に位置する温泉地で、旅館数も他の三湯に比べて最も多い。過去には、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅程内で訪れたことで知られる。その際に、弟子の曾良と涙の別れをした逸話が「おくのほそ道」の一節に残っている。この話は古文の教科書に載るほど有名な話となっている。また、「料理の鉄人」で知られる道場六三郎の出身地としても知られる。
近くには景勝地の鶴仙渓とあやとり橋があり、県内屈指の紅葉スポットとして有名。春夏秋限定で川床が設置され、夜間にはライトアップイベントが開催されることがある。
また、総湯が男女別棟の形式となっており、これは山中温泉だけである。さらに総湯前で温泉玉子の手作り体験ができる。
泉質・効能
泉質は、「カルシウム・ナトリウム一硫酸塩泉」。無色透明でサラッとした水質である。神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、打ち身、慢性消化器病、痔病、冷え性、疲労回復、動脈硬化症、切り傷、やけど、慢性皮膚病などに効果がある。また、飲泉できる温泉で、飲んだ場合は胆石、慢性便秘症、肥満、糖尿病、痛風に効果がある。
歴史
山中温泉の開湯伝説
山中温泉の開湯については、2つの有力な説がある。1つは、今から約1300年前の奈良時代、高僧の行基が発見したと伝わる。2つ目の説は、平安時代末期の治承年間頃。鎌倉武士で能登の地頭であった長谷部信連がこの地を訪れた。すると一羽の白鷺が傷めた足を山かげの小さな流れで癒しているのを発見した。その場所を掘ってみると5寸[6]の大きさの薬師如来像が出現。それと同時に美しい温泉が湧き出したのであった。
信連はこの場所に12件の湯宿を開業。これが現在ある山中温泉街の始まりとされる。
ちなみに現在でも営業している旅館「白鷺湯たわらや」も、創業がこの時期とされる。
「おくのほそ道」と山中温泉
時は江戸時代になると、俳人の松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅程内で山中温泉を訪問した。この地を訪問した目的は、愛弟子の河合曾良が腹痛で体調を崩していたためで、これを湯治で治しにきていたのであった。
山中温泉に訪問した際、芭蕉は山中温泉を「扶桑の三名湯」と讃え、一句詠み残している。
(現代語訳)
ここ山中では、菊児童伝説[7]のような力によらずとも、この湯の香りを吸っていると十分に長寿のききめがありそうだ。
しかし、湯治でも河合曾良は体調を回復することができなかったため、曾良は自ら旅の同伴をリタイアし、伊勢の親戚を頼ることを決断したのであった。この時に一句ずつ読み合い、涙の別れを果たしている。
(現代語訳)
このままどこまでも行って、萩の原(=原っぱ)で旅の途上で死のう。(現代語訳)
(曾良と別れて今日から一人道を歩むことになる。)笠に付いた露で笠に書いた「同行二人」の字も消すことにしよう。その露は秋の露か、それとも私の涙か。
この一節は古文の教科書に登場するほど有名な逸話で、「おくのほそ道」の中でも最大の転換点となっている。
山中温泉で興隆する伝統工芸~古九谷と山中漆器~
山中温泉では、現代に息づく2つの石川の伝統工芸の発祥地とされている。
まず1つ目が九谷焼で、その中でも黎明期に興隆した古九谷が山中温泉発祥とされている。古九谷の起こりは今から約300年前、大聖寺藩の初代藩主、前田利治が家臣の後藤才次郎と田村権左衛門に山中温泉上流の九谷村に窯を築かせたことに始まる。ここから数々の名陶が生まれたのであったのだが、開窯からわずか50年で突如として歴史舞台から消え去ってしまう。なぜ消え去ったのかついては現在でも解明されておらず、現在でもなお山中温泉最奥部の窯跡で発掘調査が続けられている。
2つ目が日本三大漆器として有名な「山中漆器」である。山中漆器の起こりは今から約400年前の安土桃山時代、天正年間までさかのぼる。この時期に越前から木地師が集団でやってきて、山中温泉から南へ約20kmの真砂と呼ばれる地に移住した。そこで作られた漆器が山中温泉の湯治客の土産物として人気を呼び、次第に発展していった。江戸時代中頃には会津、京都、金沢より蒔絵や塗りの技術を導入し、時代とともに華やかさも増していった。また漆器は茶道具としても人気を呼び、当時の需要を掘り起こしたのであった。時代が昭和になると、30年代ごろからプラスチックの素地にウレタン塗装を施した合成漆器の生産を開始。生産額を飛躍的に伸ばした。現在では石川県無形文化財に指定され、保存活動が行われている。
総湯案内
アメニティ、タオルは要持参。浴槽はかなりの深さがあるタイプのため、子供を連れる場合は目を離さないよう注意が必要となる。駐車場はあるが、台数がかなり限られている。
主要な旅館
- 白鷺湯たわらや
創業800年!山中温泉屈指の老舗旅館で、鶴仙渓すぐそばにあり、露天風呂もその清流の音色が聞けると人気がある。 - かがり吉祥亭
山中温泉において定番中の定番の宿。「吉祥やまなか」は姉妹館の関係である。ローカルCMを放映している影響で地元民の知名度もバツグン。渓流にせり立った岩造りの露天風呂が人気の旅館。 - 吉祥やまなか
かがり吉祥亭の姉妹館にあたる旅館。こちらもローカルCM放映の影響で知名度バツグン。「吉祥スパ」というリラクゼーションコーナーが人気の旅館。 - お花見久兵衛
旅館名の通り、桜や花見がコンセプトの旅館。貸切風呂に加えて温泉卓球、ラーメン・居酒屋コーナーがある。 - 翠明
創業148年、明治創業の老舗旅館。「じゃらんnet近畿・北陸エリア」で13年連続1位を獲得するなど、旅行雑誌からも高い評価を受けている。大理石の内湯がある。 - 湯畑の宿 花つばき
山中温泉の旅館で唯一混浴風呂を完備している旅館。山中温泉街最奥部に位置する。 - 胡蝶
昭和初期に別荘として建てられた建物を旅館として創業。男女入れ替え制の露天風呂「川かぜの湯」と「月かげの湯」がある。 - すゞや今日楼
「黒湯」と「赤湯」と名付けられたおわん露天風呂が人気の旅館。加えて館内には山中塗の作品を展示するギャラリーがある。 - みやこわすれの宿 こおろぎ楼
料理が自慢の旅館で、加賀・橋立港のセリ人でもあるオーナーが厳選して直接仕入れている。温泉も渓流が見える岩風呂を完備している。
アクセス
山代温泉
特徴
粟津温泉と山中温泉のちょうど中間に挟まれた温泉地。こちらも開湯1300年の歴史を持つ古湯で、一般的な銭湯スタイルの新総湯と湯治場スタイルの古総湯、2つの総湯があることで知られている。
過去には与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻、泉鏡花、吉井勇、北大路魯山人が滞在し、名だたる近代文豪に愛された温泉として有名である。
お土産の温泉玉子がとても有名で、手ごろな価格で購入できるため、地元のスーパーに陳列されるほど地元民のソウルフードとなっている。
泉質
山代温泉では2つの泉質がある。1つは「ナトリウム・カルシウム 一硫酸塩・塩化物泉」、2つ目が「カルシウム・ナトリウム 一硫酸塩泉」である。いずれも筋肉のこわばりや冷え性、睡眠障害を伴ったストレスを緩和してくれる効能がある。他にも切りキズ、皮膚乾燥症、軽度の高血圧、高コレステロール血症などに効果がある。
歴史
行基ゆかりの温泉として
山代温泉の開湯は今から約1300年前の725年(神亀2年)までさかのぼる。山中温泉でも開湯伝説がある高僧の行基が、白山に修行へ向かう途中、一羽の鳥が水たまりで傷を癒しているのを発見した。よく見てみると、その鳥は伝説の神鳥のヤタガラスで、水たまりはなんと温泉だったのである。
以来、この地の人たちはこの湧き出る温泉を「カラスの湯」と呼んで親しんだ。これが山代温泉の始まりである。
近代文豪が愛した名湯として
明治時代には泉鏡花をはじめ、与謝野晶子、与謝野鉄幹、北大路魯山人が山代温泉に滞在した。山代温泉について与謝野鉄幹は一句詠み残して評価している。
一方で北大路魯山人は山代温泉に一年ほど滞在し、陶芸師の初代須田菁華の指導を受けていた記録がある。
現代の山代温泉
2009年には総湯がリニューアルし、総湯と古総湯の2つの総湯がある温泉の街として全国から人気を呼んでいる。
総湯案内
総湯
こちらの総湯は一般的な銭湯スタイルとなっている。浴槽は高温湯と低温湯の2つの浴槽を完備。脱衣所のロッカーは扉付きおよび鍵付きではないため、貴重品の取り扱いには要注意。アメニティ、タオルも要持参。なお、タオルは有料貸出アリ。
古総湯
こちらは湯治場スタイルで楽しめる総湯。洗い場がないため、利用する際は注意が必要。
- 住所:加賀市山代温泉18の128番地
- 営業時間: 6:00~22:00
- 休業日: 毎月第4水曜6:00〜12:00(正午より営業開始)
- 入浴料
- 大人:500円
- 中人:200円
- 小人:100円
- 3歳未満:無料
主要な旅館
- ゆのくに天祥
山代温泉で最も定番的存在の旅館。男女入れ替え制の大浴場が3つ、合わせて18個の浴槽があり、山代温泉の旅館の中では最大級。地元民からも人気が高い。 - 瑠璃光
ローカルCMなどで知名度が高い山代温泉の旅館ホテル。開放的な露天風呂と厳選食材で作られた加賀料理が人気。 - 葉渡莉
瑠璃光の姉妹館にあたる旅館。「木のぬくもり、葉のやさしさ」をコンセプトとしている。毎夜無料開催の加賀一向一揆太鼓は旅館の目玉イベントとなっている。 - あらや滔々庵
露天風呂付き客室が人気の純和風旅館。北大路魯山人とゆかりのあった旅館としても知られる。敷地内には寛永年間に作られた山庭が残っている。 - 加賀の宿 宝生亭
子供連れに人気の旅館。家族向け宿泊プランを多く取りそろえている。 - 星野リゾート 界 加賀
星野リゾートが贈る高級旅館ブランドチェーン「界」。山代温泉にある「加賀」では、大浴場に貼られた九谷焼の壁画を鑑賞しながらじっくり温泉に浸かることができる。 - みやびの宿 加賀百万石
約2万坪の敷地面積を持つ山代温泉最大級の旅館。敷地内の日本庭園の景色と自家源泉100%の大浴場が人気の旅館。 - 大江戸温泉物語 山代温泉山下家
大手旅館チェーン「大江戸温泉物語」系列の旅館。加賀平野を一望できる展望露天風呂が人気。
アクセス
片山津温泉
特徴
江戸時代に源泉が発見され、明治時代より難工事によって開湯した他の三湯と比較して最も歴史が新しい温泉。
柴山潟の湖畔に位置する温泉地で、晴れた天気の際は、湖畔から白山連峰を望むことができる。また、旅館によっては浴槽と柴山潟が水面続きに見える大浴場もあり、景色のいい温泉地として絶大な人気を獲得している。さらに夏には潟上から打ち上がる花火大会が開催されるため、温泉に浸かりながら打ち上げ花火を鑑賞するということもできる。
また、観光用に屋形船やナイトクルーズ、花火クルーズが運行されており、ほかの三湯とはまた違った体験や景色を楽しむことができる。
泉質・効能
泉質は、含塩化類弱塩類泉。総湯では、ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(高張性中性高温泉)と案内される。他の三湯と比べてここだけ塩化泉系の泉質となっており、色は透明だが舐めるとしょっぱい味とうっすらと苦みを感じる。
このため、加賀温泉郷の中で「これは温泉である」と最も実感できるのが特徴で、さらに保温持続効果が他の三湯よりも飛びぬけて高く、湯冷めしにくいのも特徴の1つとなっている。これにより、冷え性解消を助ける働きや塩分による殺菌効果もあるため、切りキズややけどの治癒を助けたり、皮膚病にも効果がある。そのほかにも神経痛や筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性消化器病、疲労回復にも効果がある。
歴史
源泉の発見!しかし・・・
片山津温泉が発見されたのは今から約350年前の1653年(承応2年 江戸時代)、大聖寺藩二代藩主の前田利明が発見したとされる。
ある日、利明は鷹狩りをしに柴山潟を訪れていた。利明はふと水面を見ると、ある場所に水鳥が群れているのを発見。その場所まで船を寄越すと、なんと湖底から温泉が湧き出ているではありませんか。
利明はこれを好機と見たのか、藩費で開湯工事に乗り出して温泉を利用としたのだが、水中に源泉が湧き出ている影響で江戸時代の土木技術では源泉を確保することが不可能に等しかったため、失敗。その後も幾度となく温泉を利用しようと工事を試みたものの、全て失敗に終わり、時は明治時代へと突入した。
難工事の末、片山津温泉開湯へ!
明治時代に突入すると、大規模な開湯工事が行われる。1876年(明治9年)に松材30,000本、面積約1ヘクタールを埋め立てて人工島を作る工事が行われた。これによって源泉周辺を確保することに成功した。そしてそこに橋を架けて温泉に入れるようにし、無事開湯に漕ぎ着けたのだった。1877年には片山津温泉の最初の旅館が開業した。
一大温泉街形成へ
大正時代以降は旅館も増加し、次第に温泉街が形成されていった。橋が架かっていた人工島も、旅館増加に伴いさらに埋め立てて拡張し、ついには現在のように陸続きとなった。
昭和・平成になると近隣には「中谷宇吉郎雪の科学館」が建てられ、片山津温泉の観光スポットの1つとなった。2012年には総湯をリニューアルオープンし、庭と柴山潟を一望できる銭湯へと生まれ変わった。
総湯案内
2012年リニューアルオープン。片山津温泉の総湯は、奇数日と偶数日によって2種類の浴槽が男女入れ替わる。森の湯では庭の風景が楽しめ、潟の湯では水面続きに見える柴山潟が一望できる。なお、備え付けのアメニティがないため、持参する必要がある。タオルは有料貸出がある。駐車場は建物の前に完備しており、収容台数はかなり多い。
主要な旅館
- かのや光楽苑
1912年(明治45年)創業の元湯宿。「片山津温泉といえば『かのや』」と挙げられるほど人気筆頭格の旅館。 - 湖畔の宿 森本
創業120年の老舗旅館。屋形船乗船場のすぐそばに立地する。 - 季がさね
温泉に加えて岩盤浴を完備している旅館。料理も地元産にこだわる。 - 大江戸温泉物語ながやま
大手旅館チェーン「大江戸温泉物語」系列の旅館。柴山潟を一望できる大浴場と食べ放題バイキングが人気。 - 湯快リゾート NEW MARUYAホテル / NEW MARUYAホテル別館
大手旅館チェーン「湯快リゾート」系列のホテル。本館と別館がある。本館は薬草露天風呂、打たせ湯完備。別館は1人素泊まりなどビジネスプランに特化している。 - 湯快リゾート 矢田屋松濤園
1896年(明治29年)創業、大手旅館チェーン「湯快リゾート」系列の旅館。大手旅館チェーン傘下だが、この旅館だけ格式が高く、ほかのチェーン旅館より一線を画している。過去には皇族が宿泊したことがあり、片山津温泉きっての高級旅館である。
アクセス
近隣主要駅までのアクセス
加賀温泉駅
- 東京から
①東京駅より東海道新幹線乗車→名古屋駅または米原駅で特急しらさぎに乗換え→加賀温泉駅下車(所要時間約3時間40分~4時間)
②東京駅より北陸新幹線乗車→金沢駅で特急サンダーバードまたは特急しらさぎに乗換え→加賀温泉駅下車(所要時間約4時間) - 大阪・京都から
大阪駅・新大阪駅・京都駅で特急サンダーバード乗車→加賀温泉駅下車(所要時間約2時間20分)
※特急サンダーバードでは、加賀温泉駅に停車しないパターンがあるため要注意
金沢駅
※金沢から先は片山津温泉、山代温泉、山中温泉への定期直行バス「加賀ゆのさと特急」が北陸鉄道によって2往復運行されているが、2023年7月末で運行休止となる。
加賀ゆのさと特急
北陸鉄道では、金沢から加賀温泉郷へ直行する「加賀ゆのさと特急」を毎日2往復定期運航している。ルートは兼六園下・金沢城バス停より金沢駅西口(金沢港口)を経由して北陸自動車道を走行、片山津インターから一般道を走行し、片山津温泉、山代温泉、山中温泉の順に直行する。
この特急バスを利用すると、特典として利用者全員に1人1枚、片山津温泉、山代温泉(古総湯のみ)、山中温泉の総湯共通無料入浴券が当たる。
関連動画
関連静画
関連商品
関連コミュニティ・チャンネル
関連項目
- 温泉
- 石川県内にある著名な温泉
- 風呂
- 旅行
- 芦原温泉 - 福井県あわら市にある温泉街で、本記事の加賀温泉郷や兵庫県の城崎温泉と有馬温泉などと並んで「関西の奥座敷」として人気の温泉。泉質はもっぱら塩化泉系。
関連リンク・参考サイト
- 加賀温泉郷総合公式サイト (運営:加賀温泉郷協議会)
- KAGA旅・まちネット 北陸・加賀温泉郷の観光・旅行情報サイト(運営: 加賀観光情報センター、一般社団法人加賀市観光交流機構)
- 加賀楓温泉郷(加賀楓観光大使就任記念特設サイト)
- おくのほそ道朗読 山中
- 山中漆器連合協同組合公式サイト
脚注
- *現在は、山梨県西山温泉の「慶雲館」が世界最古に認定されており、世界2位となっている。
- *粟津温泉総湯の成分を代表して記述する。
- *粟津温泉総湯について(まるごと・こまつ・旅ナビ)より
- *口語訳:温泉に一度入ればたちまち美人、二度も入れば万病よさらば(法師公式サイト温泉紹介ページより)
- *日本海側の地方各地と大坂を日本海廻り(西廻り航路)で寄港しながら輸送する交易船のこと。東回り航路(太平洋廻り)と並んで江戸時代の主要な海運だった。
- *メートル法に換算すると約15.15cm
- *中国に伝わるおとぎ話。菊慈童。菊の花びらの露を飲んで700歳まで生きたという内容の話。
- 2
- 0pt