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小田切有一とは、福岡県青果生産組合組合長・経営学研究所代表・エール株式会社代表等を務める競走馬主である。
「オレハマッテルゼ」「エガオヲミセテ」「ビックリシタナモー」「ヒコーキグモ」「ロバノパンヤ」「ドモナラズ」「タクシー」「モチ」など、大変個性的で覚えやすく、中には聞いただけで吹いてしまうような競走馬名=珍馬名をつける人物として、一部の競馬ファンに絶大な人気を誇る。
父は評論家・小田切秀雄。弟・統二や息子・光も同じく馬主であり、小田切光氏は面白馬名を募集するなど父に負けず劣らずの珍名馬主である。
概要(オダギラー)
1980年、小田切有一氏が初めて所有し前年には馬主としての初勝利も届けた「マリージョーイ」が金鯱賞とCBC賞を勝ち、重賞初勝利を成し遂げた。さらに1985年には「ノアノハコブネ」がオークスで21番人気を覆し優勝し、初GI制覇をクラシックで達成した。その後も「パンフレット」(90年中山大障害(春))、「ラグビーボール」(86年NHK杯)、「フェイムオブラス」(91年CBC賞)など、続々と所属馬が重賞勝利を収める。「ハウアーユー」「ニンジンロマンス」「ケセラセラ」「ドントマインド」「イエスマン」「チルチル」「ノロノロ」「ヨーヨー」「イトマンノリョウシ」など、後々の珍馬名傾向は見られるものの、他は普通の英語馬名だったりカタカナの格好良さを意識した馬名で、まだそれほどぶっ飛んでいるわけではなかった。
これでも。
しかしトウカイテイオーと同期の「アサキチ」あたりから段々と雲行きが妖しくなり始め、93年生まれの「ドングリ(初代)」「メロンパン」「サンビョウシ」で一気に 吹 っ 切 れ た のか、94年生まれは「ウキウキ」「ガンバリッコ」「シアワセ」「スバラシイキョウ」「ヒコーキグモ」「フウライボウ」「ヨロシク」等所有馬の殆どが珍馬名となり、小田切氏はここいらへんから競走馬名の常識の道を踏み外していく……。
そのユニークな馬名が話題を呼んだのは多分、「ヒコーキグモ」「エガオヲミセテ」「ロバノパンヤ」あたりからであろう。外国産の逃げ馬としてきさらぎ賞を制したりNHKマイルカップで4着に粘った「ヒコーキグモ」や、読売マイラーズカップなどを制して重賞路線で華々しい活躍をみせた「エガオヲミセテ」はまだしも、「ロバノパンヤ」である。おそらく初めてその名を聞いた競馬ファンなら誰しも「お前馬だろ」と誰もが突っ込みたくなるだろう。
古くは「マチカネ」を冠名にして「マチカネワラウカド」「マチカネフクキタル」等を送り出した細川益男氏(故人)、現在は「シゲル」を冠名にして「シゲルキョクチョウ」「シゲルスダチ」などを送り出した森中蕃氏などと並び、長い間『珍名馬の第一人者』として競馬ファンに認知されている。
以上のような経緯から、知る人ぞ知るというレベルから徐々に全国区になり、小田切氏が所有する馬やその馬たちを追いかけるファンのことを、いつしか「オダギラー」と呼ぶようになった。
オダギラー(馬)の見分け方
★助詞を使用、または文章のような馬名
オレハマッテルゼ、エガオヲミセテ、アラシヲヨブオトコ、キヲウエタオトコ、オドロキノサイフ、ボクニモユメハアル、オジャマシマス、イカガデスカ、ビックリシタナモー、カミサンコワイ、ハハノンキダネ、ガンガンユコウゼ、ウソデショ、ワタシヲマッテル、セガールモチンモク、ワシャモノタリン等。
エガオヲミセテが馬名規則緩和後初めて助詞としてヲを使用した馬名として話題になって以来、ヲが大層お気に入りのようだ。
ただ最近は文章馬名のライバルが多数出現しているため、必ずしもオダギラーとは言えなくなっている。
★「日本の心」を意識させるような馬名
ロバノパンヤ(ロバのパン屋)、ヒコーキグモ(飛行機雲)、デンシャミチ(電車道)、トッケンショウブ(特券勝負)、ナーンチャッテ、ユビキリゲンマン、アッパレアッパレ(天晴れ×2)、サヨウナラ、キツネノヨメイリ(狐の嫁入り)、キラボシ(綺羅星)、ヤンヤノカッサイ(やんやの喝采)等。
今ではあまり使用されない日本語や、いかにも日本らしい情緒溢れる、懐かしさがこみ上げる単語など。
★方言馬名
ドモナラズ(丹後弁:どうにもならない=腕白者)、チムドンドン(琉球語:胸がドキドキ)、オジャッタモンセ(鹿児島弁:ようこそ)、ヌチグスイ(琉球語:命の薬=癒される、美味しい等ポジティブな意味で用いる)等。
方言馬名は他の馬主も少なからず名付けているため、必ずしもオダギラーというわけではない。ただし単語のチョイスは絶妙である。
★歌の歌詞、もしくはタイトル
アラシヲヨブオトコ、アナタゴノミ、ギンギラギン、ジジラモローゾ、アイライクエンカ、キミトイツマデモ、ナクノハオヨシ等。
特に昭和歌謡・演歌・シャンソンから持ってくるあたりが侮れない。
★馬名が2文字
モチ、ナゾ、ワナ、ウソ、ロロ、ペン、タコ、アメ、マジ等。
2文字の競走馬名は割と珍しい部類に入るはずなのだが、見かける馬は高確率でオダギラーである。
★複数繰り返す名前
モグモグパクパク、アッパレアッパレ、イヤダイヤダ、ガッチリガッチリ、ムリムリ、オジサンオジサン、メデタイメデタイ、ワイワイガヤガヤ、コワイコワイ、ミテミテ、ドウゾドウゾ、ダメダメダメダメダ等。
小田切氏がよく使う手法。他の馬主でもダンスダンスダンスやヨカヨカ等いるにはいるが、見かける馬は比較的オダギラーであることが多い。
★どう考えてもあり得ない馬名
メロンパン、ドングリ、オケラカイドウ、カミサンコワイ、ワシャモノタリン、イイヤツ、オヘソノタカラモノ、キョカキョク、マズイマズイウマイ、ゴマスリオトコ、パピプペポ、アシデマトイ、ウラギルワヨ、タヌキ等。
「……これ、馬名?」と直感的に思ったなら、多分それはオダギラー。
上記以外にも様々な珍馬名をつけているので、気になる方はこちら(小田切氏所有馬一覧頁)へ。
概要(馬主・小田切有一という人物)
かつては毎年10~20頭の競走馬を購入していた(近年はかなり縮小傾向で、息子の光氏に譲りつつある)。バリバリの名血や前評判の高さよりも自身が気に入った馬やかつての所有していたオダギラーの仔などを率先して所有している。オーナーブリーダーのように所有馬同士の配合も多々行っていて、ラグビーボールやオレハマッテルゼを多数の繁殖馬(もちろん珍名馬)に種付けしていた。
人格者としても知られ、自身が監督を務めるソフトボールチームの試合に出場するため同日行われたオークスを欠席(出走した所有馬ノアノハコブネが前述の通り優勝)。理由は「GI制覇は馬主を続けていればまた見られるかもしれないが、子供の日々は二度と帰ってこないから」であった。その言葉通りオークスから21年後、オレハマッテルゼがGI高松宮記念を制覇。抜群の騎乗で優勝に導いた柴田善臣騎手を満面の笑顔で労い、晴れて"初めての"GI勝利記念撮影に参加した。また現役時代騎手としてノアノハコブネを優勝に導いた音無秀孝調教師と親しく、トレーニングセンター火災により音無厩舎所属のエガオヲミセテを失った後、「ゲンキヲダシテ」と名付けた馬を同厩舎に預託したことも知られている。また、96年に所有馬ボンネットを預託していた松元茂樹調教師が若手の福永祐一騎手を起用したいと相談を持ちかけた時、福永騎手の父の福永洋一元騎手がかつてマリージョーイの騎乗中に落馬事故に遭い騎手生命を絶たれる大怪我をしたことを話し、「(マリージョーイと同じ)小田切の勝負服を息子さんに着せていいのか、ご家族の思いを聞いてもらえないか」と労わったエピソードも知られている。
しかし、こと馬名に関してはかなりの頑固者であり、挑戦的である。
息子・光氏によると、かつて「この馬は左右に急に動くから」という理由で「ラグビーボール」と名付け「ボールの名前をつけるとは」等と批判されたとき、全く意に介さないどころか「何がいけないんだ」と言い放ったという。また、ドングリという馬名を数年に渡ってゴネにゴネ、ついにごり押しで通した上、引退後別の馬に再びドングリと名付けたり、早口言葉の「東京特許許可局」から引用してアナウンサー泣かせの馬名「キョカキョク」を誕生させるなど、珍馬名の第一人者として馬名審査会に次々と戦いを挑む様はもはや勇敢ですらある。
当然のことながらいくら小田切氏でも却下された馬名は数多あり、「ニバンテ(二番手)」で申請するも実況を混乱させると却下されるなどどうやっても申請が通らない場合も勿論ある……が、「ドウモスミマセン」で申請し却下された際には「ギャフン」に改めるなど、タダでは転ばず一矢でも報いようとするあたりは流石である。
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