「ぼくの名は摩耶。空を引き裂くもの。お前が指揮官か……そう、なら気安く近寄らないでくれ。怪我するぞ。」
摩耶とは、第二次世界大戦時の大日本帝国海軍所属、高雄型重巡洋艦3番艦『摩耶』をモチーフとした、STGアプリゲーム『アズールレーン』の登場キャラクター(KAN-SEN)である。
デザイン:木shiyo、CV:大西沙織
概要を手にした瞬間から、善の道から離れることが決定された。指揮官、ぼくたちは……英雄になれない
KAN-SEN名 | |
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摩耶 IJN Maya |
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基本情報 | |
所属 | 重桜 |
艦種 | 重巡洋艦 |
レアリティ | SSR |
CV | 大西沙織 |
イラスト | 木shiyo |
艦歴 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
造船所 | 神戸川崎造船所 |
艦級 | 高雄型重巡洋艦3番艦 |
進水日 | 1930年11月8日 |
就役 | 1931年~1944年(日本海軍) |
最期 | 1944年10月23日(戦没) |
備考 | |
感情表現が苦手で、一匹狼な性格。同型艦の姉妹と違い近寄りがたい雰囲気を纏っており、いつも一人で行動している。姉より戦艦・大和に憧れ、大和の話をする時だけ少女らしい反応をしてくれる。
このゲームでの高雄型重巡洋艦はもれなくSSR重巡洋艦となっているが、とりわけこの3女は孤高かつ抜身の刀のような鋭い雰囲気を放っている。入手方法としては、通常海域の8章の最後のステージ8-4、またはそのハードモード(1日3回クリア限定)、救助信号受信により行くことが可能な海域(通称8-5)のいずれかにおいてのボスドロップ限定となっている。海域ドロップ限定のSSR艦と言えば3章の赤城・加賀、6章の夕立が知られるところであるが、それに続く存在である。もちろん出現確率は極端に低く、数回の試行で出れば非常にラッキーな部類と言える。
獣耳が生えた銀髪に黒色系統のセーラー服を着け、首の周りにはマフラーを羽織り、性格は男勝りになっているなど、他の姉妹とは容姿もファッションも正反対。これは一隻だけ防空巡洋艦として改装されたカンレキが反映されているからと思われる。特に、あの部分の膨らみは小さ…おっと、首筋に冷たいものを突きつけられた感覚があるのでここまでにしておこう。姉妹の胸が大きいせいで反転させられてしまったようだ。
一人称は「ぼく」であり、性格面はボーイッシュ。自己鍛錬を怠らない純然たる武人で、防空巡洋艦になった影響か「空を引き裂くもの」を自称。自身の夢に「この世の全てに打ち勝つこと」を掲げており、自己鍛錬の原動力になっている。一方で武器を持つ事は悪だと考え、暴力に溺れている様子はない。常に殺気を漂わせており、局部タッチをしようものなら「急に素振りがしたくなった」と指揮官に斬りつけんばかりの勢いである。大和に強いあこがれを持っている様子。そんな彼女も、親密度が上がれば次第に素直な心を見せてくれるようになる。
鬼に逢っては鬼を斬り、神に逢っては神を斬る!
攻撃特化の魚雷搭載重巡。高雄と同じ傾向の能力だが、その性質はやや異なるものとなっている。
・『魔夜・三十三天 』自身の装填値が15.0%(Max35.0%)アップ、 魚雷発射時15.0%(Max30.0%)で2回発射する
一つのスキルで装填値アップと、「次発装填」と同じ魚雷連続発射の両方の能力を持つ。スキルをマックスまで伸ばせば主砲も魚雷も非常に早い発射速度で連発可能となる。連続発射も発動すれば数の暴力で敵を圧倒できる。
高雄や愛宕に比べて対空値は高く設定されており、重巡としては航空機迎撃の際頼りになる。重巡共通の回避の低さも認識覚醒でレベル100以上に上げることでかなりカバーできる。
2020年12月22日のアップデートにより、全弾発射が自身の主砲攻撃6発毎から4発毎に改善され、戦闘での1回目の全弾発射時に自身の回避率が1度だけ10%アップするようになった。回避値ではなく回避率なので重巡である摩耶にとっては大きいバフだと言える。これは高雄型全艦共通となっている。
南方海域、ソロモン、レイテ沖…この海も、何もかも変わらない……
高雄型重巡洋艦は帝国海軍を代表する重巡で、『摩耶』はその3番艦。摩耶の名は神戸の北にある摩耶山から取られている。上記スキル名の三十三天とは、摩耶山の忉利天上寺(とうりてんじょうじ)に祀られた忉利天(摩耶夫人(釈迦の母)のいるとされる仏教の天界の名)を含む天界の名である。
その他艦歴については次の記事も参照→摩耶(艦これ)
1928年12月4日、川崎造船神戸工場で起工。1930年11月8日に進水し、1932年6月30日に竣工した。竣工後は他の姉妹艦とともに第4戦隊を編制する。
1937年8月13日、第二次上海事変が勃発。摩耶は名古屋の熱田へ回航し、増援部隊の第3師団を積載して馬鞍群島に急行。そのまま支那事変に参加する。とはいえ摩耶が参加していたのは初期だけで、戦線が内陸へ移動した後は内地に帰投した。
1941年12月8日に大東亜戦争が勃発すると、摩耶は南方作戦に参加。アパリ、ビガン、リンガエン湾の攻略支援を実施した後は蘭印作戦に参加。オランダ領東インド諸島進攻作戦を支えた。1942年3月1日14時頃、石炭船シグリーを拿捕する戦果を挙げる。3月2日には駆逐艦嵐と野分と共同で英駆逐艦ストロングホールドを撃沈。3月4日早朝、第4戦隊の高雄、愛宕、摩耶、鳥海はチラチャップからフリーマントルへ逃走中の敵船団を発見し、これを壊滅させる。摩耶は機動掃海艇MMS51を高角砲で撃ち抜いて撃沈した。その後、アリューシャン作戦に参加。続いて生起したソロモン戦線に投入され、ヘンダーソン飛行場を2回に渡って砲撃。2回目の帰投時に敵機の空襲を受け、ドーントレス1機を撃墜するも艦に突入されて中破した。修理のため横須賀に帰投。出渠後は北方部隊に編入され、アリューシャン列島に向かう。
1943年3月27日、アッツ島沖海戦に参加。濃霧による視界不良、レーダーを保有した優勢な敵艦隊という不利な状況の中、敵重巡洋艦ソルトレークシティを撃破。敵艦隊を追い払って船団を守り抜いた。キスカ島撤退作戦には支援の名目で間接的に参加した。撤退作戦後は再びソロモン方面に舞い戻る。11月5日、ラバウル寄港時に空襲を受け、大破の重傷を負う。命からがら横須賀へ帰り着いたが、12月21日より修理ついでに対空特化の大改装を実施。電探と対空機銃を増備し、他の姉妹艦には無い能力を獲得した。
1944年3月6日、出渠。燃料が豊富にある南方のタウイタウイ泊地へ進出する事になり、5月19日に泊地へ進出した。6月19日、マリアナ沖海戦に参加。水上偵察機を放って索敵に従事した。翌20日、摩耶の優れた電探が200km先の敵機の編隊を捕捉。一番槍をつけた事で乗組員の士気が高まった。17時30分から始まった大空襲では自慢の対空能力を発揮したが、2機のドーントレスから至近弾を受けて小破した。
最期は1944年10月23日、レイテ沖海戦の初期で迎えてしまった。栗田艦隊に加わってパラワン水道を通過中、敵潜から雷撃を受けて左舷へ傾斜し、わずか8分で転覆してしまった。生存者は戦艦武蔵に収容された。
作戦終了…今日も骨のある関連動画には合わなかったようだな。
こんな関連静画を今日も側に置くつもりか?…まったく、変なやつ
我が関連項目で…朽ち果てろ…!
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