日産自動車株式会社(NISSAN, Nissan Motor Co., Ltd.)とは、神奈川県横浜市西区に本社を置く自動車製造会社である。通称・ブランド名称・商標として『日産』『NISSAN』がある。
1981年まで輸出向け商標に『DATSUN(ダットサン)』があったが、2014年から新興市場向けの低価格ブランドとして展開。
1989年から北米市場などで高級ブランドの『INFINITI(インフィニティ)』を展開しているが、2012年に本社機能を香港に移転しており、厳密には日産というよりルノー・日産連合の高級車ブランドとなっている。
ニコニコ動画のタグは、日産の他に NISSAN / 日産自動車 / ニッサン / DATSUN / ダットサン がある。
会社概要
- 設立:1933年12月26日
- 本社所在地:神奈川県横浜市西区高島一丁目1番1号 (日産グローバル本社)
- 主要株主:ルノー (43.4%)
- 代表取締役会長:カルロス・ゴーン
- 社長兼最高経営責任者:西川 廣人
- 相談役名誉会長:塙義一
- 主な事業:自動車、船舶の製造、販売および関連事業
カルロス・ゴーン
1954年3月9日生まれ レバノン・ベイルート出身(出生地はブラジル)。
ミシュランからルノーを経て入社。
1999年の経営危機で日産がフランス・ルノー傘下に入った際、最高執行責任者としてフランスから来日。
以来、経営再建計画「日産リバイバルプラン」において、村山工場などの不採算事業所の閉鎖・子会社や車種の統廃合・早期退職制度による人員削減などの大規模なリストラ策を断行。
ルノー上席副社長時代から「コストカッター」とも呼ばれる彼の指揮の下で再建を果たした。
現在はルノーの会長も兼務する。
概要
本社は横浜みなとみらい21地区66番街に位置する。みなとみらい線・新高島駅が最寄り駅だが、横浜駅からも地下街を経由して徒歩で行ける。22階建てで、2階は一般にも開放され、横浜駅 - みなとみらい地区へのアクセス向上にも寄与している。また1階をギャラリーとしている。
後述の通りそれまでの東京・銀座本社の老朽化に伴い、企業誘致に積極的だった横浜市や神奈川県からの助成制度を活用して建設。「日産グローバル本社」と命名され、開港150周年にあたる2009年に完成。同年8月より同本社での業務を開始した。
1970年代、技術面では「技術の日産」と称されるほど高い技術力を持っていたのに対し、販売戦略面で苦戦。80年代に入りトヨタ自動車との差が拡大。それを打破するべく「901運動」を掲げて技術力向上に努めた。
1980年代後半のバブル景気時代ではS13シルビアやY31シーマ、R32スカイラインなど、数多くのヒット車を生み出した。それでもトヨタに比べて販売面では苦戦したままだった。
そうこうしているうちにバブルは崩壊。日産は46車種中3車種しか売れていない状態となり、国内シェアも3位に転落。遂には約2兆円(200億ドル)の有利子負債を抱え、経営破綻寸前となった。そこで外資系メーカーの支援の下で再建に乗り出し、ルノーと提携、ルノー上席副社長のカルロス・ゴーンがフランスから来日、彼の指揮下で経営再建は一気に進み、販売台数も増加、3位に転落していた国内シェアも2位に再上昇した。
2005年3月1日からは新横浜にある横浜国際総合競技場の命名権を取得、「日産スタジアム」と命名させた(但しFIFA(国際サッカー連盟)主催サッカー国際試合では使用競技場の命名権行使が禁止されている為、当該試合開催時は正式名称(この場合は「横浜国際」)で使用される)。
三菱自動車との資本提携
2016年には不祥事続きの三菱自動車工業を事実上救済する資本提携を行うことになった。
元々三菱とは軽自動車の開発で提携しており、三菱・ekワゴンシリーズを「日産・デイズ」として販売していた。ところがそのekワゴンで燃費偽装が発覚。フラッグシップ車であったランサーエボリューションの販売終了も重なり、シェア及び売上の急落が確実視された。
だが東南アジア市場では三菱が圧倒的に強く、日産は下の方だった。その為、日産の東南アジア市場強化は必至。そこで三菱を取り込んで市場強化を行う事と、単独では難しい自動運転車の開発推進を兼ねて、資本提携に乗り出した。
これについて三菱の益子修会長によると、燃費偽装で提携開始が早まったものの、元々予定されていたと話し、ゴーン社長も、既存の両社のブランド及び販売店等は残す予定と話している。
日産リバイバルプラン
- 村山工場などの車両組み立て工場3か所と部品工場2か所を閉鎖
- 国内年間生産能力を240万台から165万台に削減
- 全世界のグループ人員の削減 (2万1,000人規模)
- 下請け企業の半減
- 1400社あった子会社・関連会社は、基幹部分4社を残し、全て売却
このうち完成車輸送を請け負う「日産陸送(現・株式会社ゼロ)」など、マネジメント・バイアウト制度を利用して日産グループから独立を果たした子会社も存在する。
車
テレビの刑事ドラマには、日産が番組スポンサーや車両提供を積極的に行って来た関係上よく日産車が登場する。古くは『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』、石原プロモーション制作の『大都会』、『西部警察』、更に『あぶない刑事』、『はぐれ刑事純情派』などなど。最近では『相棒』がある。『西部警察』は二代目フェアレディZ S130をガルウィングドアに改装した「スーパーZ」等々の「スーパーマシン」達が登場した。
Jリーグの横浜F・マリノス、社会人野球の日産自動車硬式野球部[1]とスポーツの文化事業にも積極的に活動をしている。日産社歌は『世界の恋人』である。社会人野球の応援歌として歌われたり、日産提供のラジオ番組で流れる。
日産ファンの著名人は『イチロニッサン!』のキャッチコピーでCMキャラクターに起用されたメジャーリーガー/野球選手のイチローがいる。[2]
トヨタと日産は軽自動車を生産・販売しないメーカーだったが、日産は2002年より三菱自動車工業やスズキから供給された軽自動車のOEM車を販売していた。2011年に三菱自動車工業との合弁で軽自動車事業会社である「NMKV」を立ち上げ、2013年に初の共同開発車である日産・デイズ[3]を発表・発売した。ちなみに軽トラックなどの軽商用車に関してはスズキからOEM供給されている。
レーシングカー、スポーツカー路線を或る意味最も色濃く反映しているプリンス自動車の伝統を引き継ぐ、スカイライン(SKYLINE)、その一グレードから派生した独立車種の日産・GT-Rと、日産自動車の伝統を引き継ぐ現在は消えた日産・ブルーバード(BLUEBIRD)、そのコンポーネントを使った派生車種から始まった独立車種の日産・フェアレディZ (FAIRLADY Z)[4]を持つ。
東アフリカサファリ・ラリーで1966年(昭和41年)410ブルーバードでクラス優勝し、1969年(昭和44年)には510ブルーバードでクラス優勝とチーム優勝、ついに1970年に総合優勝を果たす。フェアレディZにスイッチした1971年に2年連続優勝を達成したのち1973年も優勝を果たした。「栄光への5000キロ―東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録」として書籍化され、石原裕次郎主演で映画化もされた。ハイパワーターボ直列4気筒エンジンと4WD(四輪駆動)を備えたスポーティセダン、ブルーバードのステータスはこれに由来する。
男臭いスポーツカー一辺倒の技術偏向型メーカーかと言えば、1987年1月に発売した初代マーチ派生モデルの日産・Be-1[5]を嚆矢とする女性にも受けるお洒落車=パイクカーブームの震源地と成った。現在の光岡自動車の車の様な感じである。TVCMも視聴者に好評な物が多い。
1990年2月に登場した901運動の申し子、CセグメントFFセダン初代プリメーラ(PRIMERA, P10)と、その後1992年1月に登場したFFコンパクトカー二代目マーチ(MARCH, K11)は良好なハンドリング(操舵・操縦性)とパッケージングで、欧州車的性格を持つ国産車の嚆矢と成った。魔法の言葉「ハンドリング」「パッケージング」の二つの単語を知っていればどんな自動車音痴でも自動車通に見える、不思議!
ラインナップにはニッチな車もある。クーペ好きにはスカイラインクーペとフェアレディZがあり、小型・廉価な国産のMT車が欲しい人向けにはBセグメントFF小型車マーチの1500ccに5速MT仕様のニスモがあり、過去にはSUV型4WD車でMT仕様が欲しい人向けに2代目エクストレイルの6速MT仕様も存在していた。
ロータリーエンジン(マツダ)や水平対向エンジン(スバル)を搭載しない、至って普通のFF車・FR車造りをするが、車馬鹿技術者(Car Guy)がいて、車好きの心をくすぐる個性がある。
皇室の黒塗りリムジン、四代目御料車はV8エンジン搭載の日産・プリンスロイヤル[6]の老朽化に伴い、V12エンジン搭載のトヨタ・センチュリーロイヤルに交代した[7]。
一方で失われた「技術の日産」を謳うための宣伝が先行しており、ただのシリーズ式ハイブリッドを「新しいEVの形」、運転支援にすぎない衝突被害軽減ブレーキシステムを「自動ブレーキ」、プロパイロットの運転支援機能を「自動運転技術」などと呼ぶことに対する非難がある(日産の運転支援が他社のそれより特別優秀ということはない)。
日産は21世紀からルノーとプラットフォームの共通化を進めており、2013年に開発した新プラットフォームCMFは2019年までに三菱自動車にも導入するとしている。またルノー・日産間の部品の共通化も2018年までに7割に増加させるとするなど、コスト削減の努力に励んでいる。
歴史
1911年(明治44年)東京市麻布に快進社自動車工業設立、1919年(大正8年)大阪府に実用自動車製造株式会社設立、1926年快新社自動車工業、実用自動車製造株式会社が合併、大阪本社のダット自動車製造を設立。
1931年(昭和6年)戸畑鋳物株式会社(現・日立金属)の傘下に入る。1932年(昭和7年)ダットサン商会設立、『ダットサン』ブランド誕生。1933年(昭和8年)ダット自動車製造と石川島自動車製作所合併、自動車工業株式会社が横浜市神奈川区に設立。
1934年社名を日産自動車株式会社に改称、1944年(昭和19年)東京へ本社を移転。日産重工業株式会社に改称。1946年(昭和21年)横浜に本社を移転。1949年(昭和24年)日産自動車株式会社に改称。1965年(昭和40年)座間工場完成。1966年(昭和41年)8月プリンス自動車工業と合併。村山工場が帰属する。1968年(昭和43年)東京銀座に本社を移転。1999年(平成11年)フランス自動車メーカー・ルノーと提携、ルノーグループの傘下に入る。2009年(平成21年)本社を横浜市西区のみなとみらい21地区へ移転。
…と合併を繰り返し、変遷のある社名と横浜 - 東京間を行ったり来たりの本社を持つ。なお東京・東銀座の旧本社は、読売新聞東京本社が大手町のビル建て替えに伴う仮本社として2014年の新社屋竣工まで使用。2015年からは三井不動産が一部改修の上、本社機能の一部を移転させて使用される。
関連動画
関連チャンネル/コミュニティ
関連車種
- 日産自動車の車種一覧を参照
外部リンク
関連項目
- 日産自動車株式会社(Twitter)
- 自動車製造会社一覧
- 自動車
- イチロー
- ツーカー
- NMKV(三菱自動車工業との軽自動車の合弁会社)
- 大江戸捜査網
- 出没!アド街ック天国
- あ、安部礼司
- 輪廻のラグランジェ(本作品に登場するロボット「オービッド」のデザイン担当)
脚注
- *2009年12月に休部。
- *星野一義ファンで、インパル(IMPUL)に自身の所有する日産・マーチ、日産・シーマのチューニング・カスタマイズ(改良)を依託していた。
- *三菱では三菱・eKワゴン(3代目)として発表・発売。
- *国外ではZ。
- *Be-1のデザインは元々は次世代マーチのコンセプトデザインであった。
- *合併前のプリンス自動車が開発製造した。納入する直前に日産に吸収合併されたので、日産車になった。
- *初代から三代目の御料車は外車である。
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