概要
そもそも上尾の番人大竹と呼ばれるようになったのは、2008年11月2日等に設定されていたJR東日本の臨時列車「EL&SL奥利根号」を、バルブ(長時間露光の写真撮影)しようとして、停車駅である上尾駅に上尾の番人大竹含む鉄ヲタが集まったことから始まった。
上尾の番人ご一行は、目当ての列車が来るかなり前に上尾駅に到着し、三脚を立てて場所取りをしていたが、そのとき「やまなみ」というお座敷列車で設定されていた臨時の団体専用列車に運悪く被られてしまい、良い写真が撮れない始末に。
上尾の番人大竹はとてもキレ易く自己中な性格であるために、ホームで罵声を上げるのでは収まらなくなり、挙句の果てには「やまなみの車掌殴りたい」という失言。そこまで言うのならば、あらかじめ雑誌等の鉄道情報で調べておけばよい事である。
また、EL&SL奥利根号ホーム入線時には「運ちゃん(運転士)(列車停止位置より)前出してー!」と声をあげたり、なだめる友人に、「だってこんなに待った」と言っているが、待つのは自分たちの好き勝手であり実際待った時間など関係ないはずだ。
このようなことがあってから上尾の番人大竹の元友人である○○○○氏によって、上尾の番人大竹と命名。鉄オタの間でそう呼ばれるようになった。
また、某鉄道学校に入ったが2011年6月9日JR東日本京葉線で京葉69事件(けーよーシックスナイン事件)で201系の車内からS○Xと書かれた紙を掲出、不正乗車したことにより退学処分を受けその後は・・・
今でも上尾の番人大竹は時々発狂することがあるようだ。今日はどこに現れるのやら。
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