「向朗」(ショウ・ロウ ? ~ 247)とは、三国時代の蜀の政治家であり、80歳を過ぎて以降も古典の私塾を開いて弟子達を育成した人物である。
字(あざな)は「巨達」。諸葛亮から高い評価をうけた向寵の叔父でもある。
正史では
襄陽郡宜城出身で、若い頃は水鏡先生こと司馬徽の元で勉学に励み、徐庶・龐統(ホウ統)・韓嵩らと親交を深めていた。
劉表から臨沮県の県長に任命された後、劉表が没して曹操が荊州を手中に収めたものの劉備の攻撃で失った際に、劉備に仕える事になり、巴西や房陵の太守を歴任した。
劉禅即位後は歩兵校尉に昇進して丞相長史となり、諸葛亮の北伐時に漢中に移るも、仲良しの馬謖が街亭で趙括な事をして全軍撤退する羽目になった際に、処罰を恐れた馬謖が逃亡するのを黙認した為に罷免された。
罷免から20年間は学問に打ち込んだ後、諸葛亮が亡くなると左将軍に昇進し、過去の功績から特進の地位を授かったが、その後80歳を過ぎた後に亡くなった。
学者出身の向朗だったが、実務では学者肌をみせなかった事で評価されており、80歳をすぎても衰えぬ探究心から古典の収集や研究にあたり、門戸を解放して広く弟子を育てた。
演義では
劉備の蜀攻略戦において、諸葛亮が救援に赴くサイに、荊州に残って関羽の補佐をすることになった。
※その他「向朗」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
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関連データ
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | 52 | 69 | 74 | 63 | 40 | 19 | |||
三國志IV | - | - | - | - | - | ||||
三國志V | 19 | 80 | 68 | 63 | |||||
三國志VI | 51 | 27 | 77 | 67 | 63 | ||||
三國志VII | 24 | 68 | 74 | 71 | |||||
三國志VIII | 24 | 72 | 74 | 70 | |||||
三國志IX | 28 | 18 | 72 | 74 | |||||
三國志X | 28 | 15 | 71 | 74 | 70 | ||||
三國志11 | 28 | 18 | 73 | 74 | 69 |
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