キッズ・リターンとは、北野武監督の日本映画である。同監督の第6作に当たる。
北野武のバイク事故後に制作された映画であり、死を疑似体験した北野が、「死ぬこと」に焦点を当てていたそれまでは対照的に、「生きること」に焦点を当てて撮った作品とされる。
残酷で冷淡な暴力描写や、キタノブルーの独特な色彩などはそのままに、夢を追いかけた若者がやがて敗れていく様を描く、青春群像劇である。
また、自他共に認めるボクシングファンである北野がいつか撮りたいと考えていた、ボクシング映画としての面も持っている。
人気が低迷し、ビッグスターである北野もこれで終わりかとさえ囁かれる中での、復帰第1作だったが、シンプルなストーリーと演出が高く評価され、特に淀川長治が絶賛した。
それまでの北野映画と比べて一般客にもとっつきやすいと言われ、後の『菊次郎の夏』と合わせ、北野映画はわかりづらいという人に勧められやすい作品。
北野の映画作品群の内、事故前を前期作品群、今作後を後期作品群と評すこともある。
ラストシーンの掛け合いは非常に有名。 (文章ではあるが、具体的には後述のあらすじを参照。)
このシーンについて北野は、「事故によって復活を危ぶまれた当時の自身への問いかけとその答えである。」としている。
北野自身は、当時の自分と、同じく怪我の末に低迷していたボクサーの辰吉丈一郎を重ね合わせた時にこの台詞が生まれたと語っている。
このラストシーンから希望を読み取るか絶望を読み取るか、あるいはその両方を見るかは、観客次第で、評論家の間でも解釈が分かれる。年を重ねることで見方が変わるとも言われる。
文字通り『まだ始まってもいない』ほどに希望があるのか、追っていた夢の何もかもが始まる前に戻ってしまったがそれでもまだ始められることがあるのか、あるいは、重い後遺症を負った2人にはもう絶望しか残っていないのか、である。
この映画の後、北野武はHANA-BIでヴェネツィア国際映画祭を制し、辰吉もまたチャンプの座に返り咲き、それぞれ鮮やかな復活を遂げる。
その翌年には、菊次郎の夏でカンヌを狙うも無冠に終わり、辰吉はとうとう引退し、またも2人は挫折と敗北に塗れるが、それでも北野は「ここからがリベンジマッチ」と語り、辰吉は「ボクサーとしては終わっても辰吉丈一郎は終わっていない」と話した。
このラストシーンには、挫折に見舞われてもなお立ち上がろうとする北野の意思が、確かにこめられていると言える。
かつて高校の同級生であったマサルとシンジは数年ぶりに再開した。しかしお互い、最後に会った時より大きく変わってしまっていた……。
舞台は2人が高校生だった頃に戻る。受験の時期になっても自分の将来と向き合わず、カツアゲに明け暮れる不良高校生であった2人。
教師には「いつでも辞めろ」と蔑まれ、進むべき道を見つけられないでいた。
ある日、カツアゲの仕返しに連れて来られたボクサーに手も足も出ずノックアウトされてしまったマサルは、更に仕返しする為にボクシングの世界へ入ることを決める。なんとなくで誘われたシンジであったが、才能があったのはシンジの方であった。
マサルはボクシングを諦め、知り合ったヤクザの組長を伝って極道の世界へと入る事を決める。
2人はこうして、それぞれの才能を見出した。シンジは将来が有望な選手に、マサルは子分を従える程にまでのし上がっていた。
それぞれの道で成長していく2人。
しかし、マサルは図に乗った末に罠に嵌って組を追われ、シンジは先輩から巧妙に堕落を教え込まれて、それぞれ落ちこぼれていく。
結局、マサルは右腕を潰されたまま破門、シンジはパンチドランカーになって引退した。
彼らの才能は、大人の世界の中で潰され、2人はまた落ちこぼれに戻ってしまった。
そして、冒頭へと戻る。偶然再会した2人は母校のグラウンドを自転車で走りながら、言葉を交わす。
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最終更新:2024/05/13(月) 19:00
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