劉璝 単語

リュウカイ

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「劉璝(劉カイ)リュウカイ ? ~ ?)とは、後漢末期の武将であり、劉璋の配下として劉備と戦った人物である。


この記事の本来の表記は「劉璝」ですが、「璝」の字が表記できないブラウザを考慮して、
「劉カイ」と記述する場合や「劉璝(劉カイ)」と併記する場合があります。

正史では

劉璋配下の武将として、法正らの導きでの地をとらんとする劉備が涪を占拠した際に、劉璋の命で呉懿張任冷苞鄧賢トウ賢)らと共に涪で劉備を防ごうとしたが敗北した。

に立てこもって抵抗を続けたものの呉懿劉備に降し、李厳・費観も投降すると、劉璝(劉カイ)らは雒逃げ込んだ。

劉璋の子の劉循と共に雒を良く守った劉璝(劉カイ)は、張任劉備軍に捕らえられて投降を良しとせず処刑される等す中で持ちこたえたが、一年程の後に雒は陥落した。

三国志演義では張翼残なにあわされて死ぬが、正史では生死不明である。

演義では

劉璋配下の武将として登場する。

の地を脅かし続ける張魯を恐れた劉璋が、劉備に救援をめた際に張任らと共に反対した。

龐統ホウ統)に命じられた魏延が、宴席の際に舞と称して劉璋り殺さんとした時も、張任らと共に舞の相手を始めて事きを得た。

劉備の侵攻を開始し、高沛楊懐って涪関を奪うと劉循呉懿張任冷苞鄧賢トウ賢)・呉蘭雷銅雷同らと共に雒に入って防戦したが、鄧賢トウ賢)がられ、魏延に捕まった冷苞が「番兵をって逃げてきたのよ」と帰還したものの、再度捕らえられた際に遠慮なくられ、捕らえられた呉懿呉蘭雷銅雷同劉備の説得で降し、張任が降を拒んでられるという状況の中、

最後の一兵まで戦うぞ

と、最後まで戦おうとしたものの、味方の張翼の手によりから突き落とされ、雒劉備に明け渡された。 

その他「劉璝(劉カイ)」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照exit

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関連データ

コーエー三國志シリーズにおける劉璝(劉カイ)の力一覧。

統率 政治 身体 運勢
三國志 50 47 67 73 49
三國志II 50 42 31
三國志III 51 60 70 26 47 22
三國志IV
三國志V
三國志VI
三國志VII
三國志VIII 77 55 50 67
三國志IX 71 74 50 43
三國志X 75 72 66 49 63
三國志11 71 73 66 44 62

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