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ヴィニシウス・ジュニオール 単語

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ヴィニシウスジュニオール

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ヴィニシウス・ジュニオールことヴィニシウス・ジョゼパイション・デ・オリヴェイラ・ジュニオールVinícius José Paixão de Oliveiranior, 2000年7月12日 - )とは、ブラジルサッカー選手である。スペインラ・リーガレアル・マドリード所属。サッカーブラジル代表

ポジションはFW。176cm73kg。利き足は右足。

概要

ブラジルリオデジャネイロサンゴロンサロ出身。メインポジションは左のウイング。幼い頃から「ブラジルの神童」「ブラジル宝石」として注されていた逸材。ロドリゴ・ゴエスと共にレアル・マドリードとセレソンの未来と言われている。

16歳にしてCRフラメンゴでプロデビューし、18歳になった2018年世界最高峰の名門クラブであるレアル・マドリードへ移籍。加入4年となった2020-21シーズン覚醒し、55試合22ゴールという成績を残し、ラ・リーガUEFAチャンピオンズリーグの二冠獲得をもたらし、着実にメガクラックへの階段を昇っている逸材。2023-24シーズンでは特にCL決勝トーナメントきを放ち、公式戦24ゴール9アシスト記録。この年のバロンドールでは2位に選ばれている。

ブラジル代表としてはU-15U-17の南米選手権優勝を経験。2017年南米U-17選手権では得点王と最優秀選手賞を獲得している。フル代表には2019年に19歳でデビューしているが、レアル・マドリードで見せているようなプレーを発揮しきれてはいない。

爆発的なスピード武器に相手を置き去りにするウイングであり、縦に仕掛けて突破するプレーを得意としている。しかし、他のサポーターからのアンチが多く、スタジアムではよりもブーイングを浴びせられ、たびたび人種差別被害を受けることが問題になっている。一方で、相手選手に対する暴言やゴールを決めた直後のダンスパフォーマンスなど彼の言動が挑発的であるという摘もあり、メンタル面に課題を残し、カルロ・アンチェロッティ監督からも苦言を呈されたことがある。この素行面が問題視され、2024年バロンドールを逃したという摘もある。

経歴

生い立ち

2000年リオデジャネイロ州のサンゴロンサロでもポルト・ド・ローザ地区という非常に治安の悪く、スラム街として知られる地域で誕生。祖が幼少期に洪水で他界しており、祖母と両と二人の兄弟と共に暮らしていた。幼い頃から近所のストリートサッカー中になっており、時間を忘れて毎日ボールを蹴っていた。ストリートでは抜きんでた実力を持っており、すでにクラブスカウトがをつけるほどだった。

環境は貧しかったものの、5歳のときに父親に連れられて地元にあるCRフラメンゴ系列のサッカースクールに通うようになり、本格的にサッカーを始める。一方でニテロ内にあるフットサルクラブにも通うようになり、フットサルでドリブルの技術を磨く。ちなみに当時の憧れの選手はロビーニョだった。サッカースクールに通っていたときは大人しく、問題を起こすようなことはなかったが、すでに才の片鱗を見せており、同年代の他の子よりも優れたプレーを見せていた。

ところが、9歳のときにフラメンゴのフットサルチームトライアルに不合格となってしまう。幼くして挫折を経験することとなったが、これをきっかけにフットサルではなくサッカーを選ぶことになる。10歳のとき、フラメンゴのテストに合格し、下部組織に入団。名門クラブの下部組織においても関係者から高く評価される実力を発揮し、1つ上のカテゴリーであるU-13のチームに入ると、チームの中心選手としてプレージュニアユース時代は、90試合敗という圧倒的な強さを見せたチームの中心になっていた。

2016年リオデジャネイロ州のU-17選手権に出場し、10ゴール記録チームリーグ優勝に大きくく貢献。この頃にはトップチーム練習にも参加するようになる。2017年1月には、クラブU-19チームによる大会であるコパ・サンパウロジュニアサッカー選手権大会に16歳で出場。7試合で4ゴール5アシストという成績を残し、大会ベストイレブンに選出。メディアからは「ニューネイマール」「今世紀最高の宝石」と称賛され、欧州からも「ブラジルの神童」として注される。

フラメンゴ

2017年5月9日若干16歳にしてCRフラメンゴとプロ契約を結び、トップチーム昇格が決まる。5月13日カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAの開幕戦アトレティコ・ミネイロ戦で16歳と10カにしてプロデビューを果たす。
5月20日デビューして2週間足らずにも関わらずスペインの名門レアル・マドリードに移籍することが決定する。移籍金は10代の選手としては破格の4500ユーロと報じられ、ブラジル内ではネイマールに次ぐ2位記録となった。もっとも移籍するのは外移籍が可となる18歳になってからで、それまでは引き続きフラメンゴでプレーするようになった。
8月10日、コパ・スダメリカーナのCDパレスティーノ戦で途中出場からファーストプレーゴールを決め、プロゴール記録

2018年には、コパ・リベルタドーレスグループリーグ敵地でのエメレク戦に出場し、2ゴールの活躍を見せ、逆転勝利に貢献。このゴールはフラメンゴにおける同大会での最年少ゴールとなった。

レアル・マドリード

外移籍が可18歳となった2018年7月20日スペインラ・リーガレアル・マドリードへの入団会見をおこない、正式に加入する。ちなみに当初は2019年までフラメンゴでプレーする契約だったが、フレン・ロペテギ監督の意向で加入が前倒しされた。
プレシーズントップチームの一員としてデビューするも2018-2019シーズンカスティージャの選手として登録される。それでも、ラ・リーガ第7節アトレティコ・マドリード戦でラ・リーガデビューを果たす。ロペテギ監督が解任され、サンチャゴ・ソラーリ監督が就任すると徐々に出場機会が増え、12月6日のコパ・デルレイにおいてトップチームでの初ゴール記録2019年2月3日ラ・リーガ第22節アラベス戦では待望のラ・リーガゴールを決める。シーズンが後半戦に入ると、左WGのレギュラーとして起用されることが増え、1年公式戦31試合4ゴール6アシストという成績となった。

2019-2020シーズンからは背番号が「25」に変更される。シーズン序盤戦はトップフォームを崩し、安定した出場機会を得られずにいた。2019年9月25日ラ・リーガ第6節オサスナ戦で圧巻のゴラッソを決め、待望のシーズンゴール記録ゴール後、その場に膝をつき感極まってのを流す。しかし、ドリブル突破でインパクトは残すものの決定力やラストパスの精度に課題があり、定位置を掴めずにいた。2020年3月1日FCバルセロナとのエル・クラシコでは先制ゴールを決め、リーガでの4年ぶりの宿敵からの勝利に貢献。また、このゴールリオネル・メッシの持っていたクラシコでの最年少ゴール記録を上回るものだった。このシーズンラ・リーガ優勝を経験するものの、個人としては伸び悩んだ印が残った。

2020-2021シーズン背番号が変更され、「20」を付けることになる。シーズン前半は前のシーズン同様に定位置を掴めずにいたが、守備時に献身的な姿勢を見せるようになったことに加え、ポジションを争うエデン・アザールが負傷離脱を繰り返したこともあって出場機会を増やすようになる。2021年4月6日UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝リヴァプールとのホームでの1stレグでは2ゴールの活躍を見せ、チームの準決勝進出に大きく貢献する。得点アシストという数字では物足りなさは残ったが、公式戦の出場数は49試合と前の2シーズンを上回ることとなった。

2021-2022シーズンは、ラ・リーガ第2節レバンテ戦で2ゴールを決め、順調なスタートを切る。これまで期待された高いポテンシャルが大きく開し、特にこれまで課題だった得点力が大幅に改善され、第16節のレアル・ソシエダゴールくもシーズン二桁ゴールに到達し、前半戦だけで自身のこれまでのラ・リーガでの通算ゴール数を上回る。覚醒の理由として、新監督カルロ・アンチェロッティが堅守速攻のスタイルを重視したことでスピードを生かしたプレーマッチしたこと、精神的に落ち着きが出たことが挙げられている。カリム・ベンゼマとのコンビラ・リーガ最強ユニットと称され、首位を走るチームの立役者となる。後半戦になると相手から対策を練られたこともあってやや勢いは落ちたものの、2022年5月12日ラ・リーガ第36節レバンテ戦ではプロキャリア初のハットトリック記録ラ・リーガでは17得点10アシストという堂々たる数字を残すことに。5月28日CL決勝リヴァプール戦では、後半14分に決勝ゴールを決め、レアル・マドリードの14回優勝に貢献。ラ・リーガと合わせて二冠を獲得し、大きな飛躍のシーズンとなった。

2022-23シーズンラ・リーガ第2節セルタ戦から第5節マジョルカ戦まで4試合連続ゴールと好スタートを切り、前半戦はベンゼマが負傷で欠場することが多かったこともあって攻撃の中心として期待されながらも、ワールドカップによる中断期間前でのラ・リーガでは14試合6ゴール4アシストCLでは4ゴールとしっかり役割を果たす。2023年2月5日ラ・リーガ第17節バレンシアCR戦では加入5年にしてクラブ通算200試合出場を果たし、この試合でゴールを決めている。一方、プレースタイル得点後のダンスパフォーマンスが挑発的だとして相手チームサポーターからしい批判を浴びることになり、人種差別的な侮辱を受けることがたびたび起きる。5月22日ラ・リーガ第35節のバレンシア戦では、バレンシアサポーターからの人種差別を受けたとして試合が10分間中断する事態になる。

2023-24シーズンから背番号を栄の7番に変更。2023年8月19日ラ・リーガ第2節アルメリア戦で初ゴールを決めるが、その後はスコアポイントが伸びず、役の座をジュード・ベリンガムに奪われたこともあり、精を欠いたプレー批判されていた。10月21日の第10節セビージャ戦ではまたしても人種差別被害に遭ってしまう。それでも11月11日バレンシア戦で2ゴールの活躍を見せ、これから復活が期待された矢先に直後の代表戦で左足大腿二頭筋断裂の大怪を負う。2024年1月3日マジョルカ戦で復帰すると、1月14日スーペル・コパ・デ・エスパーニャ決勝 FCバルセロナとのクラシコではハットトリックを達成し、タイトル獲得に貢献する。3月2日、第27節で前年に人種差別被害を受けたメスタージャでのバレンシア戦に出場。ボールを持つたびにバレンシアサポーターから野次やブーイング人種差別的なチャントを浴びせられるなかで2ゴールを決めてみせる。この試合から公式戦4試合連続ゴールを決め、4試合6ゴール記録している。4月30日CL準決勝バイエルン・ミュンヘン1stレグでは2ゴールを決める。さらに、6月1日CL決勝ボルシア・ドルトムント戦では勝負を決定づけるチームの2点を決め、2年前に続いてチームビッグイヤー獲得をもたらすゴールを決めている。シーズン公式戦24ゴール9アシストという成績を残し、クラブラ・リーガ及びCLの二冠獲得に貢献。
この活躍によりバロンドール獲得が決定というより報道がされたが、実際は2位となった。一方、2024年FIFA最優秀選手賞The Bestに選出される。

2024-25シーズンは新加入のキリアン・エムバペとの連携がなかなかうまくいかない中でも結果を出す。一方、2024年9月15日レアル・ソシエダ戦では久保建英に対する悪質なアフタータックル批判されるなど、相変わらず多方面から非難も集めていた。10月22日CLリーグフェーズ第3節ドルトムント戦では2点ビハインドの状況からハットトリックの大活躍でチームの逆転勝利を演出。11月19日ラ・リーガ第13節オサスナ戦でもハットトリックを決め、チーム公式戦連敗を止める。11月は不振のチームを高いパフォーマンスで牽引し最優秀選手に選出されるが、11月25日に左ハムストリングの負傷によって戦線を離脱することが発表される。12月18日FIFAインターコンチネンタルカップ2024決勝パチューカ戦では1ゴール1アシストの活躍により大会最優秀選手に選ばれる。

ブラジル代表

13歳のときにU-15ブラジル代表に招集されるなど、い時期からアンダー代表でプレー2017年2月には、U-17ブラジル代表として南米U-17選手権に出場。この大会では、決勝までの8試合で7ゴールという大活躍によってブラジル優勝に導き、大会得点王と大会最優秀選手ダブルで獲得。自らの名前ブラジル内のみならず、際的にもかせる大会となった。

2019年3月フル代表に初招集されるがこのときは出場機会を得られず、代表に定着することもできなかった。半年後に再び招集されると、9月13日ペルーとの善試合で途中出場し、19歳でブラジル代表デビューを果たす。2021年6月ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2021メンバーに選出されるが、ネイマールやリシャルリソンらとのポジション争いで勝てず、出場機会は途中出場での4試合のみとなった。

2022年11月に開催された2022 FIFAワールドカップカタール大会のメンバーに選出され、グループリーグ初戦のセルビア戦にスタメンとして出場しワールドカップデビューを果たす。後半17分には絶妙なクロスでリシャルリソンのバイシクルシュートアシスト。ラウンド16の韓国戦では前半7分にワールドカップゴールとなる先制ゴールを決めている。しかし準々決勝のクロアチア戦では相手の厳しいマークの前に封じ込められ、後半19分にロドリゴとの交代を命じられ、チームPK戦の末に敗れている。

2023年6月17日ギニアとの善試合は、スペインでのヴィニシウスへの人種差別に対して抗議の意味合いを込めて前半のみブラジル代表が史上初めてユニフォームを着用する。この試合では初めて背番号10を背負い、PKからチームの4点を決めている。10月16日2026 FIFAワールドカップ南米予選第5節コロンビア戦で左足の大腿二頭筋断裂の重傷を負い、前半27分で交代となる。

2024年6月に開催されたコパ・アメリカ2024ではエースとしてこれまで以上に期待がかかる中、グループリーグ第2節のパラグアイ戦で2ゴールを決める活躍によってブラジルに初勝利をもたらす。しかし、続くコロンビア戦では軽率プレーによって警告を受けてしまい、累積によって準々決勝のウルグアイ戦を出場停止となる。この試合でブラジルは敗れ、不完全燃焼のまま大会を終えることに。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2017 フラメンゴ ブラジレイロ・セリエA 25 3
2018 フラメンゴ ブラジレイロ・セリエA 12 4
2018ー19 レアル・マドリードカスティージャ セグンダB 5 4
レアル・マドリード ラ・リーガ 18 2
2019-20 レアル・マドリード ラ・リーガ 29 3
2020-21 レアル・マドリード ラ・リーガ 35 3
2021-22 レアル・マドリード ラ・リーガ 35 17
2022-23 レアル・マドリード ラ・リーガ 33 10
2023-24 レアル・マドリード ラ・リーガ 26 15
2024-25 レアル・マドリード ラ・リーガ

個人タイトル

プレースタイル

メインポジションは左ウイングワイドった位置から仕掛けるのが得意なドリブラーだが、テクニックよりも爆発的なスピードを生かしたスプリント力を前面に出すタイプフットサル出身だけあって足元のテクニックは高いが、トリッキープレーはあまり使わない。細かいタッチで相手に仕掛けてシザースフェイントでまたいで縦スピード勝負し、DFを置き去りにするのが得意パターンネイマール2世と言われているが、どちからというとロビーニョに近い。

止まってからの再加速が速いので、ドリブルの切り返しはかなり鋭い。スピードに難があるディフェンダーならそれだけで剥がすことができる。右利きで左サイド戦場にしているが、中にカットインするだけでなく縦方向に突破してクロスを入れることも多い。低めの浅い位置や外にった位置というよりは、ドリブルで仕掛けてゴールに近付きシュート性の速いクロスを送るのが得意。

シュートの精度に難があり、得点力が課題となっていたが、精神的に落ち着きが出たこともあってシュートの勢い任せだったのがGKに読まれないタイミングでのシュートキックの種類も増えたことで改善されるようになった。プレー選択も間違えないようになり、中の密集地帯でのプレーは苦手としており、まだ粗削りな部分はあるが恐るべきポテンシャルが開されつつある。

一方、執拗な跨ぎフェイントやシザーズなど、観客を魅せるようなドリブルを披露することがあるが、そのことが欧州では相手を嘲笑するものと捉えられ、DFからしいタックルの標的にされたり、相手サポーターからしいブーイングを浴びせられるなどの物議を醸している。

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