放氏とは、氏寺の要求により、その氏に所属する氏人を追放すること。
※この記事では、興福寺の藤原氏に対する「放氏」について述べる。
11世紀末以降、春日大社と一体化していた興福寺の衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになっていた。その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。
この春日神木(=興福寺=春日大社)の意向に従わない藤原「氏」に対し、衆徒らは藤原氏の長者(藤氏長者)を通して「放氏」処分を行うことができた。
放氏自体は、古来より他の氏も行っていたのだが──問題は、平安時代以降、上流貴族のほとんどが藤原氏で占められていたことにある。興福寺の衆徒が御所の前に神木を置いて「放氏」を命じれば、命じられた公卿(藤原氏)は官位を剥奪され、朝廷から追放されるのである。
(ただし、藤原氏の場合はよほどのことがない限り、大人しく謹慎さえしておけば、一定期間を置いて元の官職に戻ることができた。)
「放氏」処分者が複数人出れば、朝廷は機能停止となってしまうので、藤原氏はもちろん、他の氏の公卿でさえ、強訴してきた興福寺の衆徒には逆らえず、言われるがままだった。従って、強訴は必ず興福寺・春日大社側の主張が認められたという。なんだこの理不尽
こうして、鎌倉~南北朝時代にかけて、やりたい放題だった興福寺&春日大社だったが
・調子こいて放氏を濫発しすぎたため、かえって自分達の宗教的権威に傷をつけてしまったこと。
・朝廷や寺社の権威が下がってしまったこと。
…などの理由で、興福寺側も強訴する必要性がなくなってしまい、1501年(文亀元年)が最後の神木動座となり、「放氏」も行われなくなった。
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最終更新:2024/05/01(水) 14:00
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