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1 ななしのよっしん
2015/01/27(火) 02:14:07 ID: o7mWUM2+yc
首都の記事に「架空の首都」の項目があります。
また、「日本の首都について」の項目の中にも「架空の首都」の項目が有ります。
2 ななしのよっしん
2018/08/20(月) 14:59:01 ID: o7mWUM2+yc
「架空」と言う単語の記事がないからここに書く。
架空の人物は人物じゃない。
架空の会社は会社じゃない。
この2つの意見を聞くに、
架空の馬は馬じゃない。
架空の乗り物は乗り物じゃない。
と考える人が居る。
だとすれば架空とは一体?
コンセプトカーも、動かない物や模型レベルの物さえあるがこれも自動車ではないのだろうか?紛れもなく架空の乗り物だ。
アイディアレベルのハイパーループ等はやはり、未だに乗り物ではないのか?
架空とは一体何だ?
3 ななしのよっしん
2018/08/20(月) 15:04:55 ID: ZOYbEs0AlD
4 ななしのよっしん
2018/08/21(火) 03:00:10 ID: o7mWUM2+yc
白馬非馬論に似た違和感があるんだよな、架空の何某は何某ではない論って。
5 ななしのよっしん
2020/01/09(木) 00:41:57 ID: Dy9pcFoKz3
架空の企業 架空の技術 架空の人物 架空のロボット 架空の年号 かなりあるな
6 ななしのよっしん
2020/01/09(木) 01:05:17 ID: Dy9pcFoKz3
>>2別の言い方だと妄想上の生き物・想像上の生き物
創造でしかいない生き物。
7 ななしのよっしん
2020/06/25(木) 16:28:34 ID: o7mWUM2+yc
架空の列車は列車にあらず。
この論を通すと、「歴史はフィクションである」という極端な立場においては、フィクション性を払拭出来ない「実際に走行風景を見たことの無い車両」は全て列車に該当しない事になる。
特にディープフェイクと呼ばれる技術が発展するこれからにおいては、歴史とフィクションの境界性はとても曖昧になる。
そもそも歴史上の事象の正しさや、あるいは実在性を客観的に万人に対し証明する事が困難なのは、陰謀論者が存在するという事実だけで当の昔に成立している。
彼らを無視したところでそれはもう客観ではなく、説を支持する人間の内輪の話でしかない。
また、構想上の列車と実際に製作された列車の内、真に列車と呼ばれ扱われるべきであり、「列車の一覧」に掲載されるべき物は実際に製作された列車のみとなる。
だがスケッチ上にしか存在しないから列車とは言えない、モックアップしか存在しないから列車とは言えないと言えるのか。
そもそもフィクションとして設計された列車だとしても、綿密な設計が施された構造上実現可能な代物である場合、それは列車ではないと言えるのだろうか?
そもそも、実際の構想でさえスケッチや模型のみのコンセプトモデルと言う物も珍しくはない。
架空性を列車性の否定、あるいは○○である事の否定に使うと、そういう様々な問題点が生まれる。例えば解析機関はコンピュータでも計算機でもない。「製作されたことはないからだ」と言えてしまう。
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