アンドレア・イアンノーネは、イタリア・アブルッツォ州ヴァスト出身のオートバイレーサーである。
1989年8月9日生まれ。2005年からMotoGPの参戦を始める。
2005年から2009年まで125ccクラスに参戦。
2010年から2012年までmoto2クラスに参戦。
2013年からは最大排気量クラスに移り、2013~2014年はプラマック・ドゥカティに在籍。
2015~2016年はドゥカティワークスから参戦。
2017年からはスズキワークスから参戦している。
ゼッケンは29番を愛用している。ヴァレンティーノ・ロッシをリスペクトして黄色い蛍光色である。
ヘルメットはイタリアのAGVと契約している。AGVの親会社はDaineseで、このDaineseの株主には
ヴァレンティーノ・ロッシの名前がある。ゆえにAGVとDaineseはロッシ御用達である。
イアンノーネはロッシの舎弟なので進んでAGVやDaineseと契約している。
2017年の日本GPには「やるっきゃない」と書かれたヘルメットを授けられ、見事4位に入賞した。
ライダースーツの尻にthe Maniacとプリントされている。
maniacとは「狂人、気狂い、精神異常者」という意味である。
日本人には「愛好者」という意味で使われているが、本来の意味は「狂人」という意味。
ヘルメットやグローブに銃の照準みたいなマークを付けるのが好みである。これも黄色い蛍光色。
「銃の照準」で検索するとよく似ていることが分かる。
アクセルを開けてどんどんスピードを乗せていくタイプであり、高速コーナーの多いサーキットで強い。
ムジェロサーキット、カタルーニャサーキット、ロサイル・インターナショナルサーキットといった
高速セクションから長いストレートへ入るサーキットでの成績が良い。
ブレーキングが極めて強烈というわけではなく、バトルに滅法強いと言うわけではない。
ブレーキングよりもアクセルを開けることに重きを置くライダーである。
マルコ・シモンチェリのような意図的な危険走行をするわけではなく、そこまでダーティではない。
ただ、「ブレーキングしきれずに追突」というシーンが多く、クリーンと認知されているとは言えない。
故意に接触することはないが、過失で接触することはある・・・そういうライダーである。
コバンザメ走法(後追いしてタイムを上げる走法)の常習犯で、あまり評判がよくない。
2017年はマルク・マルケスのピットの様子を窺い、マルクが出ると同時にピットアウトして、
きっちりしっかりマルクの後ろに付けるということも行っていた。
2017年のオーストラリアGPで、マルク・マルケスに裏をかかれたことがある。
アンドレア・イアンノーネはヘルメットを被った途端に「俺は悪くない」と考えるようにできている。
イアンノーネのマネージャーであるカルロ・ペルナットがこのようにコメントしている。
「イアンノーネは若い頃、家族経営のチームにいた。なにをしても許され甘やかされていた。
だからあんな具合に『自分が悪い』と考えない性格になってしまったんだ」
いくつか例を挙げていこう。
2009年のサンマリノGP(125ccクラス)が開催された。このレースが始まる前はこんな状況だった。
ランキング1位 185.0 フリアン・シモン
ランキング2位 132.5 ニコラス・テロル
ランキング3位 131.5 ブラッドリー・スミス
ランキング4位 112.0 セルヒオ・ガデア
ランキング5位 109.5 アンドレア・イアンノーネ
ランキング6位 104.5 ポル・エスパルガロ
レースはまずイアンノーネが飛び出し、シモンがそれに続く。ポルは中団だった。
残り12周でイアンノーネ&シモンと3番手ポルの間は2.5秒離れていた。
ところがイアンノーネとシモンが抜き合いをやってしまい、じわじわペースを落とす。
あきらめずに追いかけたポルは残り4周でトップ集団に追いついた。
残り3周ではポルがシモンとイアンノーネを抜き、一気に前に躍り出る。イアンノーネも食らいつく。
そして最終ラップ、イアンノーネとポルが競り合うが、わずかにポルが前に出る。
勝負所の14コーナーでイアンノーネがインに入るが、並びかけるだけで前に出られない。
再びポルが抜き返し、前に出る。
残りのコーナー2つは抜きにくいコーナーなので、このままポルが勝つと誰もが思った。
ポルが勝てば見事な追い上げ勝利になる。
ところがイアンノーネは最終16コーナーで無理矢理インを付こうとした。
やはり無理だったようで、急にバランスを崩し転倒。外側のポルを巻き込んでしまった。
ポルは立ち上がって必死にマシンを探すが、マシンが跳ね飛んでコースの外に出たことに気付き、
その場に崩れ落ちる。そして、当然のことながら激怒し、イアンノーネに抗議した。
ここでなんと加害者側のイアンノーネは猛抗議してきたポルに対して怒り炸裂、ポルににじり寄って、
ヘルメットでポルのヘルメットに一発ヘディングを食らわせたのだ。
このシーンは国際映像でハッキリ捉えられた。(この動画の7分20秒あたり)
加害者側が平謝りするのならともかく、逆ギレしてヘルメットでヘディングする・・・前代未聞であった。
加えて、レース直後に記者達の前で暴言を吐き、これまた国際中継されている。
さすがにみんなに叱られたからか、レース後はポルに謝罪している。
2010年のカタルーニャGP(Moto2クラス)はいろいろと凄まじいレースだったので
記憶されている方も多いだろう。
気温32度、路面温度49度。青空が広がり、太陽が輝き、路面に陽炎(かげろう)が立つ。
イアンノーネが予選最速でポールポジション、高橋裕紀2番グリッド。
1周目の1コーナーで多重クラッシュが発生、8人のライダーがリタイヤした。
2周目に入り、1コーナー付近で黄色い旗が振られている。
この黄色い旗は転倒者が出てグラベルに人がいる場合に振られる旗で、「追い越し禁止」となる。
黄色い旗を無視して追い越しをすると、「追い越しという転倒のリスクがある行為をして、
グラベルで作業している人たちの危険度を高めた」として、厳しい処分がとられる。
そしてこの黄色い旗を無視してパッシングをしてしまったのがイアンノーネだった。
3番手走行中の高橋を黄旗ゆらめく1コーナーで綺麗に抜いている。
2周目の最終コ-ナーでイアンノーネはエリアスを抜き、2番手浮上。
3周目の最終コーナー、絶好調のイアンノーネはルティを抜き、ついに先頭に立つ。
4周目のイアンノーネはますます絶好調で、2番手のルティに1秒ほどの差を付けて独走に入った。
このとき、ニッコロ・カネパのマシンが黒煙を上げて炎上するショッキングな映像が流される。
イアンノーネの2番手の高橋に1.7秒の差を付けて独走するさなか、運営が「29 +1」の表示を出した。
これはイアンノーネに対する「ポジションを1つ下げて2番手に落とせ」の意味だった。
8周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが「P 2」のサインを出している。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず1.6秒差を付けている。
9周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが「 ↓ 」のサインを出している。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず1.9秒差を付けている。
12周目が終わる頃、イアンノーネのピットクルーが手書きで「VAI 2」のサインを出している。
VAIはイタリア語で「行く」「go」という意味で、ここでは「2番手に行け、2番手に下がれ」の意味。
ピットクルーも必死になって手を振って合図している。
ところがイアンノーネは全く理解しないのか、スピードを緩めない。相変わらず2.5秒差を付けている。
14周目、度重なる「ポジション1つ落とせ」の指示を無視された運営は、イアンノーネに対して
ライドスルー・ペナルティを与えた。ライドスルーはピットロードを時速60kmで走るのだから、
極めて重い罰である。優勝争いどころか表彰台獲得も不可能になったのだった。
15周目を終わるとき、イアンノーネはピットに入らず後続を4.0秒ぶっちぎっている。
ライドスルー・ペナルティを無視すると次は黒旗失格となるところである。
16周目の最終区間で、ついにイアンノーネはピットロードに入ったのだった。
優勝したのは高橋裕紀。イアンノーネは13位に終わった。
そして最終ラップでゼッケン9番ケニー・ノエスとゼッケン31番カルメロ・モラレスが接触、
モラレスのマシンが凄まじい勢いで前転する恐ろしいクラッシュになった(モラレスは無傷だった)
最初から最後までハプニングが続出するとんでもないレースだった。
レース後のイアンノーネにイタリアテレビ局が突撃取材しようとするが、イアンノーネは激おこの
憤怒モードに入っている。いまマイクを向けたらどんな放送禁止用語を発するか分からない。
少し時間をおくことにしたのだった。
時間が経ったあとにイアンノーネにマイクを向けると、イアンノーネはこんなことを言うではないか。
「ポジションを1つ下げろというピットクルーの指示は理解していた」
「ただ、自分が悪いと思わず、その指示に納得できなかった。だから指示を無視したんだ」
2016年アルゼンチンGPが行われた。土曜日の練習走行でレディングのリアタイヤが破損、
レース運営は決勝を「マシン1台で10周、もう1つのマシン1台で10周」という乗り換えレースにした。
乗り換えるまではマルク・マルケスとヴァレンティーノ・ロッシの接近戦だったが、
乗り換えた直後にライダーが間に入ってしまい、マルケスが独走態勢を築き上げた。
ロッシは2台目のマシンのセットアップがイマイチだったのか徐々にペースを落とし、
アンドレア・ドヴィツィオーゾとアンドレア・イアンノーネのドゥカティワークス2台と戦う。
ロッシ、ドヴィ、イアンノーネの激闘が続いたが、最終ラップではドヴィとイアンノーネが抜け出し、
2番手、3番手になった。ロッシは4番手。マルケスは悠々一人旅の1番手。
そんな状況だったが、最終コーナー1つ手前の13コーナーで、イアンノーネがドヴィに追突してしまう。
ドゥカティワークスの両雄は揃って表彰台を逃してしまった。
このときのイアンノーネのコメント
「真後ろのロッシに抜かれることを警戒してインを閉めたら汚い路面に乗ってしまい、転倒した。
ドヴィにはすぐに謝った」
レース直後のドヴィは「ちゃんと2人で話をしました。もうこれ以上はコメントしたくありません」
このレースの後に、ドヴィはイアンノーネについて語っている。
「イアンノーネは一緒に作業をしていけるようなタイプのライダーではない。」
「自分自身のことを重要だと思っていて、自分のことしか考えてない。」
「イアンノーネがドゥカティワークスからいなくなっても、寂しいとは思わない」
「彼と彼の友人達には配慮というものがなかった。特に彼には配慮がなかった」
2016年のカタルーニャGPが行われた。気温27度路面温度48度の暑い盛りだった。
ホルヘ・ロレンソはスタートダッシュを決めたが徐々に遅れ、17周目には5番手にまで落ちていた。
そしてその後ろを走るイアンノーネ。
10コーナーでイアンノーネはブレーキングをミスし、全く止まれないままロレンソに追突した。
2人揃ってコース外に投げ飛ばされ、イアンノーネがロレンソにかけた言葉はこうだった
「どうしたんだ、そんなに遅く走って。君のエンジンが壊れたんじゃないのか?」
平謝りしてくると思っていたロレンソはイアンノーネの「お前が悪い」という態度に立腹、
「イアンノーネは次戦出場停止ぐらいの厳しい罰を与えるべきだ」と主張している。
イアンノーネは次戦で最後尾グリッドのペナルティを課せられた。
2017年にスズキワークスへ移籍したイアンノーネは絶不調に陥っていた。
彼は「攻めるとフロントが動くんだ」というコメントを何度も発している。
ドゥカティのマシンはV型エンジンのマシンでハードブレーキをするスタイルに合うのだが、
スズキのマシンは直列エンジンのマシンでハードブレーキングしない技巧派のスタイルに合う。
イアンノーネはドゥカティの乗り方でスズキのマシンに乗ってしまっていて、苦労していたのだ。
しかもチームメイトのアレックス・リンスが怪我で長期欠場し、走行データを参照すべき相棒が
いなくなってしまった。そのためさらにイアンノーネの苦労は続いた。
カタルーニャGPでは表情に覇気が見られず、走りに精彩がない。
代役参戦のシルヴァン・ギュントーリよりもずっと遅いペースで走っている。
さらにおかしいことには、ギュントーリに抜かれた直後、一気にイアンノーネはペースを上げ、
ギュントーリを抜いて引き離しているのである。
ギュントーリに抜かれるまで手を抜いて走っていたことは明白であった。
これをスズキワークスOBのランディ・マモラが指摘し、イアンノーネには気迫がないと断言している。
ザクセンリンクが終わった後、スズキワークスOBであるケヴィン・シュワンツに
「イアンノーネは本気でやっているように見えない。集中力を欠いている」
「カートのレースでもやっていろ」と厳しく糾弾されている。
この糾弾の後、イアンノーネはTwitterにカートの写真をアップした。
「明日カートのマシンに乗るんだよ」のコメントを添えていた。
さらに3ヶ月後、イアンノーネはTwitterにスズキワークス総出でカートを楽しむ動画をアップしている。
2017年イギリスGPのラスト2周でダニロ・ペトルッチの後方を走行中に転倒。ペトルッチを巻き込む。
動画はこちらとこちら。
この転倒について、イアンノーネはこのようにコメントした。
「自分が悪いとは思わない」「ダニロが膨らんだのでそれを避けようとしたらフロントが流れ転倒した」
アンドレア・イアンノーネの公式サイトがある。その中にBiography(経歴)というページがある。
右上の「EN」をクリックすると、高校英語程度の平易な英文になる。
英和辞典を片手に和訳してみると、唖然とする内容であることが判明する。
一部を抜き出してみると・・・
Gather round.(みんな集まれ)
People think I'm a show-off.(人々は俺を自慢屋と呼んでいる)
But I've been giving them hell for years. (だが俺はそういう連中に地獄を見せてきた)
I started racing because Angelo was doing it. My brother.(兄貴の真似でレースを始めた)
Blood runs thick.(血が濃く流れているんだ。兄貴譲りのレーサーの血が濃いんだ)
When we used to argue, my father would give us boxing gloves and lock us inside a room.
When the room grew silent he would open the door and put us in bed, exhausted.
My father believed in me.
(兄弟げんかをしたときは親父はボクシンググローブを俺たちに渡して部屋に閉じ込めた)
(喧嘩が終わって疲れ果てたら親父はドアをそっと開け、ベッドに寝かしつけてくれた)
(親父は俺を信じてくれた)
On my first day of elementary school he said: "If you come home with bruises,
then you'll get even more.
And remember that whoever starts it gets it twice as hard. "
(小学校に入った初日に親父はこう言った 「殴られてアザを付けて帰ってきたら俺が
もっとお前をしばいてやる」「殴ってきた相手は2倍にして殴り返してやれ」)
So if someone got on my nerves, I'd have a go.
And I'd go nuts
(だから俺の気に触れた奴はかならずシメていた。俺はいつも怒っていた)
They expelled me from private school.(俺は私立学校を退学になった)
I would open my friends' rooms with calling cards.(テレカで友達の部屋に入ろうとしたからだ)
If they didn't let me go out, I would escape.(退学じゃなくても逃げ出していただろうな)
My favorite line is: "I break crystal glasses because I'm the best at doing it. "
(俺の好きな歌詞は「クリスタルガラスを割ってやった。それが一番得意だから」)
I like my life.(人生が好き)
I like how I dress.(着飾るのも好き)
I like my house in Vasto Marina.(ヴァストの実家も好き)
I like going out with my friends, small in numbers, trustworthy.(信頼できる少数で遊ぶのが好き)
I like keeping my word.(約束を守るのが好き)
I'll goof off one hundred times over, but if the one hundred and first time
I give you my word, you better believe I'll keep it.
(100回はへまをするだろうけど、101回目は約束したとおりにやる。
俺のことを信じた方がいい)
I like adrenaline, speed, when I pull ahead when I overtake.
(誰かをぶち抜くときのアドレナリンとスピードが好き)
I hate being touched.(誰かに影響されるのは大嫌いだ)
I get up late.(誰にも気兼ねなくゆっくり起きる)
I eat late. (誰にも気兼ねなくゆっくり食べる)
I go to bed late.(誰にも気兼ねなく夜更かしする)
My motto is: dare. Always dare.(モットーは思い切ってやることだ。いつだってそうだ)
I've learned to dare so that when the right moment comes I'll be ready, it'll be a joke.
(俺は思いきってやることを覚えた。正しい瞬間が来たときに準備万端でいられるために、
物事が意外と優しく感じられるようになるために)
And because of this it's better to apologize than to ask permission.
(自分勝手に何かやった挙げ句に謝る羽目になる方がずっとマシだ。
誰かの許しをお願いするよりずっとマシだ)
I've learned to speak my mind, even if it hurts.
(俺は気持ちを直言することを身につけた。たとえ誰かを傷つけたとしても構わない)
I've learned to divide up the beast of Andre.
(俺は己の中の野獣を分離することを覚えた)
The beast comes out when there aren't races and I can allow myself to do it.
(レースがないと野獣が俺の中に帰ってくる)
My name is Andrea Iannone(俺の名前はアンドレア・イアンノーネ)
Motorcycle racer.(オートバイレーサーだ)
Biography written by Moreno Pisto(この伝記はロック歌手のモレノ・ピストが書きました)
2015年シーズンはヴァレンティーノ・ロッシとホルヘ・ロレンソが激しくチャンピオン争いしていた。
第15戦日本GPを終えた時点でランク1位ロッシとランク2位ロレンソのポイント差は18だった。
迎えた第16戦オーストラリアGP、ホルヘ・ロレンソとマルク・マルケス、ヴァレンティーノ・ロッシ、
そしてアンドレア・イアンノーネが激しく首位争いを展開。
アンドレア・イアンノーネはカモメに衝突しながらも激走し、ラストラップでロッシを交わした。
マルケス1位、ロレンソ2位、イアンノーネ3位、そしてロッシが4位となる。
決勝を終えた後、ロッシとロレンソのポイント差は11にまで縮まってしまった。
イアンノーネが一切手加減せず全力で走ってロッシを負かした姿はイタリア人に衝撃を与えた。
イアンノーネはロッシの舎弟たちの中の筆頭格であり、まさかロッシの邪魔はしないだろう、
決勝になったらこっそりロッシに譲るだろう、イタリア人の誰もがそう思っていたのである。
※イタリア人は日本人と違ってそういう考え方をするのが大好きなのである。
実際に、レース後にイタリア人達がSNSで「イアンノーネはロッシを助けるべきだった!」
「なんでロッシに譲らなかったんだ!」と非難するコメントを大量に書き込んでいた。
※これは日本人ならやらない行動であり、日本人には理解できない行動であろう。
※日本人は正々堂々や全力勝負を尊び絶賛する傾向がある。日本人とイタリア人は水と油なのである。
イアンノーネは自分のことしか考えない性格なので、ただ本能のおもむくまま走っただけだった。
8勝・2位2回・3位5回と得意中の得意であるフィリップアイランドサーキットで表彰台を逃したこと、
それも長年舎弟として可愛がってきたイアンノーネに負かされたこと、
残りの2戦はセパンサーキット(暑くて体力を消耗し36歳のロッシにとって苦しい)と
バレンシアサーキット(ロッシが苦手中の苦手としている)でロッシには厳しいサーキットであること、
これらの条件が重なり合い、ロッシは精神的に崖っぷちにまで追い詰められた。
憔悴したロッシは奥の手である精神攻撃に頼ることを決意、マレーシアGP木曜記者会見にて
マルク・マルケスに対して侮辱的な発言をする。そして決勝の悲劇につながっていったのであった。
MotoGP最大排気量クラス決勝の流れというと、まずはピットで待機するライダーの様子が映される。
時間になったら、各ライダーがマシンにまたがり、ピットから出てピットレーンをゆっくり走る。
このとき、イアンノーネは必ずステップで踏ん張って立ち上がり、胸に十字を切る。
ヴァレンティーノ・ロッシはピットレーンでステップで踏ん張って立ち上がり、
股間と尻を触りつつ上半身をひねるので、これをリスペクトしているのだろう。
レースの始まる数日前にはイアンノーネのTwitterに彼の趣味全開の動画が公開される。
2017年日本GPの動画はこれ。 もう面白すぎる。子どもが見ると泣き出すだろう。
2017年マレーシアGPの動画はこれ。 黄色い銃照準マークがコースを動きまくるのが怖い。
2017年オーストラリアGPの動画はこれ。 珍しく落ち着いた感じ。
2017年アラゴンGPの動画はこちら。 荘重な音楽。
アンドレア・イアンノーネの個人マネージャーはカルロ・ペルナットが務めている。
ラフな服装で黒いサングラスをかけ、胡散臭さ全開の容姿でパドックを歩き回る。
サーキットから離れるとタバコをいつもふかしている。(サーキット内は禁煙であることがほとんど)
絵に描いたような業界人。
動画検索すると大量にヒットする。酒焼けしたかのような苦しそうな喋りである。
イタリアのテレビ局に出演しては誰もが言いにくい正論をズバリというので引っ張りだこになっている。
彼はロッシが16歳の少年だった頃のアプリリア監督で、ロッシの資質を即座に見抜き、
給料が段々上がっていくような3年契約をした。このためロッシにとって大の恩人である。
ロッシに対しても歯に衣着せぬことを言えるのはカルロ・ペルナットぐらいなので重宝される。
結構いい加減なことを言うのだが、たまにしっかりしたことを言う。
2011年2月のセパンテストでは「ホンダはついに『前年のマシンの改良版』を持ち込んだ。
毎年完全にモデルチェンジすることが愚行であるとやっと気が付いたわけだ」とコメントしている。
「カルロ・ペルナット」と日本語で検索すると日本語記事が大量にヒットする。
ロリス・カピロッシ、ニッコロ・カネパ、アレックス・デアンジェリス、マルコ・シモンチェリ、
といったイタリア人・サンマリノ人のマネージャーを務めてきた。
イタリアのドゥカティサテライトチームであるプラマックに選手を放り込もうとする傾向が見られる。
典型的な俗物で、ケーシー・ストーナーが引退したときその理由を理解できず、
「ホンダが金を渋ったからだろう。ドゥカティが大金を用意すれば引退撤回するはずだ」と言っていた。
アンドレア・イアンノーネはmoto2時代までレース後のインタビューをイタリア語で答えていた。
英語を勉強するのが面倒だったのだろう。ちなみに他のライダーは全員英語を覚えて喋っていた。
ある記者が、もしバイクレースをしていなければどういう人生になっただろうかと質問をした際に、
アンドレア・イアンノーネは即座にギャングスターと答えている。
※彼の出身地ヴァストは所得水準が低くギャングやマフィアが幅をきかすイタリア南部である。
日本のネットユーザーが「イアンの馬鹿」と書くことがある。
ロシアの文豪レフ・トルストイの作品に「イワンの馬鹿」というものがあり、それをもじっている。
いまどきのMotoGPライダーらしく、モトクロスでトレーニングしている。荒野を駆けるイアン。
名門サッカークラブ・ACミランのファンであり、いわゆるミラニスタである。
アレックス・リンスとは(今のところ)仲が良い。
https://twitter.com/andreaiannone29/status/907671602682351617
https://twitter.com/suzukimotogp/status/926807480558002178
Instagramには彼女がちょくちょく出てくる。(未成年には刺激が強い画像もある)
ちなみにこの女の人はベレン・ロドリゲスといい、アルゼンチン出身でイタリアのテレビ番組に
引っ張りだこ、セクシー雑誌にも登場している有名美人タレントである。
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最終更新:2025/12/13(土) 09:00
最終更新:2025/12/13(土) 08:00
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