エジプト(古代)とは、先史時代~プトレマイオス朝滅亡までのエジプトである。
現代エジプトとは異なりイスラム教のような一神教ではなくオシリスの天空竜やホルスなどの多神教が、ファラオの下で信仰されていた、ナイルの流域で農耕が始まってから古代ローマに滅ぼされるまでのエジプトを指す。首都はテーベ、メンフィス、アレクサンドリアなど。
いつが始まりかは、正直わかっていない。ナルメル王が上下エジプトを統一し第一王朝が始まる前から、何らかの王朝があったり未知のファラオがいた可能性があるからである。ただ、紀元前5000年ごろから人が定住し農耕を行っていたみたいではある。
有名なピラミッドが多数つくられたのはこの時代である。有名なクフ王やハムナプトラにも出演しみんなにトラウマを植え付けたイムホテップが設計したジェゼル王(ジェセル王、ジョセル王など異表記多数)のピラミッドが作られた時代である。
どうやら内乱が起きていたようで混乱していたようである。日本史で言う南北朝時代のような地方長官の争いが起きていたという。
最終的に第11王朝がエジプトを再統一した。ピラミッド建設の終焉。
第15、16王朝はヒクソスというイラン系(?)の異民族がエジプトを征服しファラオの座に居座っていたようである。このため彼らの信仰していたセトやバアルなどの外来の神を持ち込んだ。
有名なラムセス二世やツタンカーメンの時代である。ヒクソスを追放しエジプト人がエジプトを統治する時代が戻ってきた。遺跡もこの時代のものが多く残っている。旧約聖書のユダヤ人のエジプト脱出や遊戯王のアテムはこの時代という設定である。
ゆるやかに衰退していく。27王朝と31王朝はアケネメス朝ペルシャの征服王朝である。異民族に支配されていることからわかるように完全に落ち目である。
かの有名なアレキサンダー大王はペルシャをエジプトから駆逐し、支配下に置いた。が、彼は早くに死に息子も暗殺されるなどしてその支配は部下のプトレマイオスによって受け継がれていく。彼の開いたプトレマイオス朝はいわゆるヘレニズム国家として栄え、この時代はギリシャ文化との融合が起きた。が、この王朝も勢いがあったのはプトレマイオス3世までである。それ以降は暴君が続いたり王家内部で殺し合いが頻発するなどして衰退していき、ローマの圧力に抗しきれなくなっていった。美女で名高いクレオパトラ7世が、最後はローマに敗れ、その息子のプトレマイオス15世が処刑(エチオピアで暗殺されたともいう)されたことでプトレマイオス朝は滅亡、以降はローマの属州としてやっていくことになる。
しかし、ローマの属州になったからと言ってそれからすぐに古代エジプトの習俗や宗教が消えたわけではない。ローマ皇帝がエジプト多神教の神殿を立てたり、400年代になっても多神教の信仰があった形跡はある。しかし、その後キリスト教がローマ帝国の国教になり異教が禁止されるなどすると徐々に「エジプトらしさ」など独特さは失われていったのであった。
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最終更新:2025/12/21(日) 14:00
最終更新:2025/12/21(日) 13:00
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